早朝鈍行③3大奇橋猿橋編 | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

早朝鈍行2012の一回目の最終目的地へ。


日本には「3大奇橋」という、3つの変わった『橋』が存在する。

『橋下徹』 『橋田壽賀子』 『はしだのりひことシューべルツ』


ではなく

『錦帯橋』 『かずら橋』 そして山梨県の『猿橋』

ここが今回の甲州旅の最終目的地


オレはメディアの影響とかでなく前々から山梨方面に行く機会があれば

一度立ち寄ってみたいと思い、今回ちょうど路線上にあったんでコースに組み込んだ。

最近改めて注目されてきたようで、過日テレビ東京の番組でも紹介されていて、

何年も前にサッカーの三浦カズに二股かけられ結果無残にも捨てられたほうの某女優が

リポートに来ていた放送を観た。←イヤ~な言いまわしw


温泉は無いが、最後は文化財見学で〆るべく「猿橋駅」で降り、街の散策をかねて

『名勝 猿橋』までトボトボ15分ほど歩く。


こう言っては失礼だが、散策も楽しもうと思ったがフツウの車道横をずっと歩いてゆくので

着くまでの過程はなんというか、これまたツマラナイ。

それなりに歩いてやっと入口まで到着。アーチの上には『猿橋』の文字が。


画像に写るオトコ2人は右の‘長いほう’がF。左の‘短いほう’がキングである。


昭和80年代クロニクル-猿橋入口


降りて行くといきなり目前に『MONKEY BRIDGE』


昭和80年代クロニクル-猿橋手前

AH~!夏休み~期間だというのに思ったほど観光客がいない。



昭和80年代クロニクル-橋上

一休さんの「この橋わたるべからず」を思い出す。


横からみたらこんなカンジ。

昭和80年代クロニクル-猿橋外観1



階段降りて見上げるとこんなカンジ。


昭和80年代クロニクル-外観2


なにが珍しいかというと画像ではわかりにくいが、この「猿橋」は【橋脚】が無いのだ。

両岸から張り出した【はね木】で支えられている。


短めの橋なら、それで充分支えられるかもしれんが、ある程度の長さがあって「はね木」にて

支えてるのは珍しい。

日本全国、橋多しとは言え、このような橋があるとは中村橋之助もビックリである。


「はね木」の重ねデザインもなかなか凝っている。

和洋折衷の仕掛けがありそうだ。

サマーウォーズだったら一部がパカっと開いて、この茶色い和風のはね木から

ミサイルとかビームが発射されそうである。


夏休みにファミリーで来た小学生のガキ・・・いやお子様とかもこれを見たら

夏休み宿題の工作とかで、割り箸で「猿橋」作りそうだ。

見に行ったという遠回しの自慢にもなるし。


「猿橋の模型つくりたいから割り箸ちょーだい!」とか母親に言うも、

「割り箸モッタイナイから新しいのじゃなく一回使ったヤツで作りなさい!!」

と言われて、結局、お昼に〈イシイのおべんとクン・ミートボール〉を摘むのに使った割り箸を

使わされてつくってたりする。

いくら洗っても先っちょに浸み込んだタレのこげ茶色が抜けない割り箸を使わされてたりする。


でもそれが良いほうに転がり、いい具合に茶色く年季掛かった「猿橋」が完成されたり。

嗚呼、そんな家族の情景が目に浮かぶ。


そんな猿橋を見て、今回の2012年の一回目の「早鈍鈍行」は終日を迎えた。

皆さま多少は楽しんでいただけましたでしょうか?


それではまた次回旅、

「新党 国民の生活が第一」へ対する期待値と同じくらいの期待値でお待ちください。



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コピーライト昭和80年代クロニクル

コピーライト2012年ブログ『早朝鈍行』製作委員会