伊豆北川温泉への路 | 昭和80年代クロニクル

昭和80年代クロニクル

古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

今夜は温泉ネタ特別編。


友人とのメールやりとりで、先日、熱川へ行ってきたとの報告があった。

ナンとも羨ましい。あっちの方面は良いところだ。とくに今の時季や秋口は。

最近、熱川、北川のほうへは行ってない。


先日このブログにて梶井基次郎の「檸檬」を紹介したが、その中で


『何故だかその頃私は見すぼらしくて美しいものに強くひきつけられたのを覚えている。

風景にしても壊れかかった街だとか、その街にしてもよそよそしい表通りよりもどこか

親しみある汚い洗濯物が干してあったり、がらくたが転がしてあったり、むさくるしい部屋が

覗いてたりする裏通りが好きであった』


という一節があり、とても共感したのを憶えている。

また、これより前にもこの文章をどこかで見た気がして、記憶をたどり本棚をあさってみたら

つげ義春が単行本「紅い花」の中の『近所の情景』でも引用してたのを見たから印象に残った

のだろう。


ここで書いてることに当てはめたら失礼だし、決して見すぼらしいことはないが

伊豆の「北川温泉・黒根岩風呂」へ駅から向かう道は、この梶井がいうような「美しさ」が

あり、オレは大好きだ。 2,3回の訪問だが、あの景色はマジで切り抜いて持って帰りたい。



昭和80年代クロニクル-伊豆北川1         昭和80年代クロニクル-伊豆北川



小さい頃、家族で『海』のほうへ行くといったら、それほど泳ぐわけでもなくとも

若い人やファミリーがたくさんいて明るい音楽が流れている海水浴場にきてこそ

「海に来た」と感じていた。


でもそういう感覚の年齢とともに変化してゆくものなのだなぁ。つげ義春ベクトルへと。


今や、青や赤やピンクのカラフルなビキニや海パンの花が派手に咲き乱れる砂浜よりも

腰の曲がった地元のジイチャン、バアチャンがカゴをガラガラひいて歩いてるような

こういう漁村の方が落ち着いて好きだ…


あちこちから海水浴客が塗ってるサンオイルの流れ香(ながれが)が漂ってくる海岸

よりも、地元の漁師や魚屋が干してる干物の匂いがプゥゥ-ンと漂ってくるほうが

土地のほうが愛おしく感じる…


体つきだけ立派なアイドルの等身大パネルが立ててある海の家の横っちょよりも

フナムシがカサカサと動いているようなテトラポットを見てるほうがなごむ…


某国民的音楽グループ(オレは国民的だと思わんし好きじゃないが)の曲がガンガンと

流れている砂浜よりも、商店街の人達が生みだした「四木ひろし」とか「北島二郎」とかいう

バッタもんぽい演歌歌手の歌が音割れするスピーカーから寂しげに流れてくるような静かな

海辺の街のほうが好きだ…



嗚呼、また伊豆でも他の場所でもいいから汐のかほりのする場所へふらっと行きたい。


ここまで読んで共感してくれたアナタ!

オレと同じくなかなか厭世人の資質がありますぞ(笑)


知~らな~い~ まァ~ちィを~ 歩いて~・・・・♪


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ああっ!時間迫ってるのに「早朝鈍行」の行動予定&目的地がぁ…(;一_一)