十字架とフランクフルト | 昭和80年代クロニクル

昭和80年代クロニクル

古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

5年生になって新しいクラスの数日目。


出席番号が前後だったワケでも、席が隣だったワケでもない。

だからなんとなく話すようになって仲良くなっていったんだろうね、ボクたち。

たぶんキミとボクは何か同じ‘匂い’で引かれあったんだろうね。


いくら同学年といっても、その時のボクらの学年はたくさんの人間がいたから

クラス替えで同じクラスになって、はじめて顏を知ったりすることなんて珍しいことでも

なんでもなかった。


だからボクは5年生のクラスになって初めてキミの存在を知ったんだ。

そして、キミと話すようになって数日後、

キミが3年生の時に転校してきたこと・・・

そしてその時から今日までこの学校でいじめられてることをボクは知った。


ボクとキミが教室で話してるのをみて別のクラスメートがボクに

「○○(ボクの渾名)、アイツって4年まで「■■菌」て言われてたんだよ…」ってコソッと

教えてくれた。そのクラスメートはたぶんキミと仲良くするとボクもクラスでヘンな目で見られるよ

ということを親切に忠告してくれたんだろうね・・・いや、親切ってのもまた間違った言い方だけど。


でもボクはそのクラスメートがなんて言おうとカンケ―なかったんだ。

周りが何と言おうとキミは友人だと思ってた。

そして、ボク自身が卑怯者だということにまだ気づいてなかったんだ…。


ボクとキミはよく教室でおしゃべりをした。

ボクはたまにクラスの別のひょうきんな友人達とかと話したが、キミが話すのはボクだけだった。

キミはボクを頼ってくれてたんだね。


ボクにはある程度多くの友人がいた。当然いじめっ子的な要素を備えた奴も。

たまにその友人がボクを誘ってキミのことをからかおうぜって言ってきた。

そん時からかい方はまだじゃれあうような提案だったから、ボクもキミをからかった。

でも、もしかしたらキミはボクの行動にショックを受けてたかもしれないね…

必死に強がって笑いながら…


そう、ボクはキミと話すのも楽しかったけど、こっちの友人と一緒にキミをからかうことにも

潜在的に優越感を感じていたんだ。 卑怯者だったんだ。


ある日の休み時間、教室のうしろのほうでざわめきが起きて、何かと思い振り返った。

そこに見たのは悪ガキ軍団のひとりのAがキミの首根っこをつかんで、キミは苦しそうな

表情で上を向いて口をあけていた。

その前で、もうひとりの悪ガキBが植木鉢の中にあった糸を引いた腐った土のような固まりを

指でつまみ、キミの口の上にぶら下げていた。

指の力を緩めれば、その土の固まりはキミの口内へ間違いなく落下する・・・。


悪ガキどものグループ内で何かゲームをやってて負けた奴がキミの口の中に

土を入れるという罰ゲームだということを近くにいた友達から聞いた。


土をつまんでいるBもさすがにこれはマズイという考えとわずかな良心があるのか

オドオドと迷った顏をしている。ゲームに勝ったと思われる悪ガキは笑いながら

「落とせ!落とせ!」と煽る。

ほとんどクラス全員が見ているが誰も止めない。

女の子たちは小さい声でキャアキャアいって口を押さえているがかすかに笑っている。


ボクはそん時におしゃべりしていた友人と傍観していた。卑怯者。

さすがに悪ガキBとはいえ、同じクラスの人間の口の中に落としたりはしないだろうと

思ったが、悪ガキグループの中にも決めたことを守らないとという圧迫もあったのだろう。


クラス全員が状況を見守る中、Bはすっと指の力を緩めた・・・

土は吸い込まれるようにキミの口の中へと落ちて行った・・・。


瞬間、男子はみな「あー!」と叫んだ。女子はみな一段と大きな声で「きゃー!」と叫んだ。

でも、みんな笑っていた。

ボクは隣にいて一緒に見てた友人に、「ホントに落としやがったよ、アイツ」と言った。

だけど・・・・

口ではそんなコト言っておきながら、ボクは自分で気づいていたんだ。

‘ボクも笑ってた’ということに・・・。


騒ぎが大きくなってさすがに担任も出来事に気づき、次の授業は臨時学級会になった。

事態は定期的なイジメのひとつでなく単発的ないじめということで担任は片づけた。


そんなボクの傍観者ぶりに気づいてたか気づいてなかったのかわからないけど

数日後、キミはまたボクに普通に話しかけてきた。いつもどおりしゃべった。

ほんとにキミはぼくをクラスの友人として頼りにしてくれたようだ。


その日の放課後、キミの家に遊びに行くことになった。

キミはあまり友人がいないからか人を家に呼んで遊ぶことが無いとみえて

キミのお母さんは喜んでボクを迎え入れてくれたね。


キミのお母さんはとても嬉しそうに見えて、ボクに対してこれからもキミのことを

宜しくねと言った。


キミのお母さんはボクたちにおやつとして2人分のフランクフルトを出してくれた。

ボクらは美味しくそれをたいらげた。


いくら友人を連れてくることが少ないとはいえ、キミのお母さんはキミが学校で少なくとも

クラスメートと楽しくやっているだろうと思ってるんだろう。

だって、子供が苦しんでるのを悩んでるようには見えないから。


そして、もしなにかあってもボクのような友達がいるから大丈夫だと思ってるのかもしれない。

キミと仲良くしてる御礼の意味でフランクフルトを出してくれたような気がしないでもない。

ボクが傍観してたことも知らずに。


ボクはキミのお母さんの楽しそうな表情を見て、急にとてつもない罪悪感に襲われたんだ。

いじめられっ子本人のことも重要だけど、キミの場合に限らず、大事な自分の子供が学校で

酷い目にあわされてるということを知ったらお母さんはどう思うだろう・・・


ボクはそん時に全国のいじめられっ子というよりも、そのお父さんやお母さんのことを考えたら

急にやるせないキモチになった。


いつも一緒にいながら、キミがクラスで晒しモノにされてる時に傍観してたボクなんかを

キミのお母さんは大事な子供の友達だと思って歓迎してくれフランクフルトを出してくれた。

ボクはキミだけでなくキミのお母さんの笑顔を裏切ったんだ。卑怯者。


そん時、永遠に外すことの出来ない大きな十字架が背中にガッシャーンと張り付いた気がした。

ボクは一生このトラウマを背負って生きることになるだろう。


それ以降、友人宅でもドライブ行った時のサービスエリアでもフランクフルトを食べる時、

舌は味を感じることが出来るが、同時に頭の中では、あの時のキミのお母さんの笑顔が

思い浮かび、自分に対し裏切り者だという観念が甦ってくるんだ。

これはもう「つぐない」の修行として背負ってゆくしかないね。


5年生の時期が過ぎ、6年生も終わりボク達は卒業した。

学区分けではボクとキミは同じ中学のハズだったけど中学でキミの姿はなかった・・・

おそらくまた、その間に転校していったのだろうね・・・


ボクにこんなこと言える資格はないけど、新しいとこでキミが良い生活をしてることを願っている・・・。


以上

(後日談は、ない)


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あとがき


大津市の「いじめ自殺」事件の報道を見て、いつか機会があれば書いてみようと思っていた

半自叙伝的告白形式文を数日前から少しづつ下書きしていって完成させUPしてみた。


半自叙伝・・・いや、実名を伏せてるだけであとはオレの観てきた(傍観という意味では関わってきた)

経験をそのまま書いただけなので「半」というよりも「9割ノンフィクション」と言ったほうがいいかも

しれない。

それにより文が稚拙なのはお詫びするところであるが、内容や文体に関してはまったくのオリジナルで

ある。報道をみてたしか「死んだ蜂を食べさせられていた」という内容を聞いて、今回の文に出てきた

土を口に入れられた友人I君(キミ)のことと、川上未映子の小説「ヘヴン」のいじめられっ子主人公を

思いだした。

「へヴン」の主人公でいじめられてる「ボク」は公園で砂の上に犬か猫の乾いたフンがてんぷらの衣

みたいに転がってるのを見て、このあとコレを食べさせられることになるんじゃないかと妄想に怯える。

この「へヴン」や数年前の野島伸司ドラマ「人間・失格」などで読者や視聴者から「いじめの描写の

演出が露骨に酷過ぎて観てられない」という批評が多かったようだが、実際のいじめはこれ以上である。

この本やドラマをみて描写が酷いと言う人はおそらくいじめの実態を知らない。


今回書いた友人(キミ)のように得体のしれないモノを食わされたりするかもしれないのだ。

それは体に対する害的なものを除いたとしても精神的な屈辱ダメージは大きい。

友人(キミ)はもしかしたらホントに当時自殺も考えた時があったかもしれない。

それを思うと大津市の自殺してしまった少年の精神的、肉体的ダメージを考えるとなんとも

いえない悲しさが沸きあがってくる。


とか言っても、当時のオレは友人(キミ)に対し、何もしなかった。

だからこれはある意味、恥を覚悟で半分告白しての執筆である。オレは卑怯者だったと。

そして、友人はもちろん、そのお母さんに対しての罪悪感は今でも背負っている。

だって、もしオレが親だとしたら、自分の息子が屈辱にさらされてるのを助けない人間に

やさしく対応しておやつを出したりしてたなんて知ったら、とんでもなくショックを受けるから。

友人(I君)のお母さん、本当にすいませんでした。このトラウマは一生背負います。

オレが今でもフランクフルトを見たり食べたりする時にこのことを思い出し、自己嫌悪に落ちるのは

事実です。

そして学校で・・・いや、今や学校だけでなく職場でもあるかもしれないですね。

「いじめ」をしてる側の人たちへ、

人間だれでも多少は残酷性というか人の困った顏とかをみて楽しむ性質はあるでしょう。

それは程度の問題すらあれど、やむを得ないことだと思います。

いくら「いじめられっ子」が泣きそうな顔をしてるのを見ても、逆にそれが楽しくてやめないんで

しょうね。だから現実、その子の表情をよく見ろといってもそういうアナタたちには効果ないと思います。

でも・・・

一度そのいじめてる子の父親、母親の顏を考えてみてください。

自分の「宝」が傷つけられてることを知らず、学校でうまくやってると思ってる親御サンのことを。

これで少しも罪悪感がないなら、世論を敵に回してもオレはアナタ達に対し、

「おまえが死ねばよかったのに」 と言います。オレが今回いいたいのはそれだけです。

そして自殺してしまった少年のご冥福をお祈りします。


長く重い文章になってしまいましたが最後まで付き合って頂いた読者様には感謝致します。

重いのを引きずるのは互いに好きではないと思うんで、いじめに対するこの形式文章は今日が

最初で最後です。イジメ問題に関心ある読者サンは声をお聞かせいただけると嬉しいです。

それでは次回は軽めの記事でお会いしましょうね。


2012年7月8日 ケン74

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