GAREKI-瓦礫- | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

今から書くことはもしかしたらとんでもなく間違った考えかもしれない。

無知なヤツのたわごとかもしれない。

だから、あくまで個人的な疑問というか考えとして書く。

勉強不足知識不足なとこがあってもムキにならず、若僧が知識人を気取って

かっこつけてやがる程度に思ってよんで頂きたい。


ちょっと遅いが前からいつか書こうと思ってた

「東日本大震災のがれき受け入れ問題」


もう問いたいことや書きたいことが多すぎてなにから訴えていいのかわからんから

思いつく順にポンポンと羅列してゆくんで、ところどころ順序がおかしくなるかもだが

ご了承を。


各地の「瓦礫受け入れ反対」の抗議の様子を見てると、なんかこの国の民族性を疑う。


「絆」? 「頑張ろう」?

よくそんな言葉を連発してたもんだと…


オレは家庭も持っていないし、子供もいないから正直キモチがわかるわけではないが

小さい子供がいるから放射能を帯びてる可能性がある瓦礫を受け入れるのは反対だとか

いう抗議の声をkメディアでよく聞く。だが、被災地の家族にだって、どこのエリアにだって

子供や赤ん坊はいるはずだ。


あと、ただ反対するのはまだいいとして、集団で「受け入れ反対」とか書いたプラカード

とかを掲げたり拡声器で抗議するというカタチはいかがなものだろうか。

抗議を受ける役所はまだどうでもいい(こともないかもしれんが…)。

ただ、その様子を被災地の人が見たらどう思うだろう…

被災地の人は今も‘その瓦礫’がたくさんあるところにいるのだ。


じゃあ、その嫌われ者の瓦礫のすぐ近くにいる私たちはなんなんだ。と思わないだろうか。

また、現在は「瓦礫」と呼ばれる物体になっていても、もともとは現地の人にとっては

思い入れ深い住居や家具の1部だったりする。

ある意味、カタチは崩壊しかけてるとはいえ思い出の品なのに、それを邪魔モノ扱いされた

キモチはなんともいえないだろう。


瓦礫受け入れ問題が発生するまでは、なんだかんだで「絆」だの「頑張ろう」だの

言ってたが、裏を返せば

「カネも寄付するし、自分達の電力も節約するけど放射能関連には巻きこむな」

というような雰囲気が各地に出てるような気がしてならない。


それだったらまだ

「生活厳しいからおカネは1円も寄付できないが、瓦礫搬入先なら我が町を」

っていうほうがまだ東北のことを考えてるように思える。


やはり所詮、『絆』とかそういう言葉を連呼して、東北のことを思ってるみたいな

感覚に酔う傾向だったというのが事実だったのだろうか。


だからオレは耳障りのいいような言葉やポジティブなことをいう輩がきらいだし

信頼できないのだ。そういう言葉は本来口に出すモンじゃない。


瓦礫を受け入れることにより、いわゆる「ガレキ利権」のようなモノが発生し

それによって動くカネで甘い汁をすうアホ企業が出てくるってのはあると思うが

報道で見てきた集団の様子をみてると、それを防ぎたいんではなく、

単純に自分達が放射能を怖がって拒否してるふうにしか見えん。


極論!もう強制的に日本全国の家庭にひと欠片ずつくらい瓦礫を受け入れさせた

ほうがいいんではないか。教訓と痛みを分け合う意識として。


なんだったらオレの部屋の向かいの部屋が空き部屋で誰もいないから

そこにガレキ数十㌔くらい置いといてもいいわ!


かつて息が詰まるくらい人間的に汚いオッサン上司と同じ空間にいた時、

それこそ空気の悪さがハンパなく悪くオレも仲間も精神を害しそうになったから

それにくらべりゃ、瓦礫の数キロくらいは別にキモチ的にはラクなもんに思える。


まあ、オレが良くても管理人が反対するだろうけど…。


とりあえず政府は手本として、まず国会の中にガレキ詰め込め!

それと、増税バカの総理の家にも送りつけろ!


いやあ、中途ハンパな毒舌になったがこれ以上書くとヒートしそうだから

これまで。


皆さんはガレキ問題、どう思われますか?