リアリズムの宿 | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

結局、昨年は余裕がなく泊まりでの温泉旅行に行くことが出来なかった。

ひとりでも友人とも。今年は1泊でイイんで行きたいものだ。


ホテルもいいけど今は民宿や旅館にムショーに泊まりたい。風情あるし。

小学校の頃は家族旅行とか行くとなったらキレイで大きいホテルを期待し

着いた宿舎が小さい個人経営旅館とかだったらガッカリしたものだった。口には出さなくとも・・。

おカネと時間を捻出する親の苦労も知らずに・・・。

資本も大きくないのに必死に経営する旅館の苦労も知らずに・・。

子供ゆえの純粋な偏見。


だが社会に出て多くの鬱や文明にモマれて、いつの間にか、そういうコジンマリとした

宿のほうに魅かれて出向くようになっていた。


漫画家つげ義春の描いた短編の旅漫画 「リアリズムの宿」 というのをご存じだろうか。


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ここでいう「リアリズム」とは「生活臭漂う」ということである。

短くいうと誤解をまねかざるおえないが、極端に言えば「自宅」と「旅館」が

一緒になったりしてる宿とかで、入口から入ると経営してる家族が普通に暮らしてる

ところとかも状況により見えてしまうそういう宿のことをここでは指している。


この作品はそんな宿に泊まった主人公である本人?を描いた漫画である。

主人公はこういう生活臭のある宿がキライという前提で、間違えて泊まってしまったのを

悔んでいる描写だが、でも心のどこかで潜在的に趣を感じているというふうに描かれている。


入口を入ったら、経営家族がすぐ見えるとこで炬燵に入ってくつろいでおり、

父親は体調崩してせき込んで縮まってて、子供は玄関でハシャいでる・・・。

そんな情景。


ここまではさすがに生活臭が出過ぎかもしれんが、でも、どちらかといえば

オレが今、泊まりに行きたいのはこういう宿である。


入口のドアは当然、自動ドアなどではなく、ガラスの引き戸がいい。

例によりガラスの中央には縦に金色とかで旅館名がカッティングされて貼ってある。


入ると、「フロント」とかいてあるプレートが置いてあるが、どうみてもフロントと呼ぶには

狭くて、中に人が1人入れるくらいのカウンター。手前には色褪せた周辺観光チラシが重ねてある。


カウンターの後ろには経営家族が利用する居間につながると思われるスリガラスの引き戸。

「御用の方は鳴らしてください」と書いてあるスズを鳴らすが音が小さく気づかれずに

結局、「すいませーん」と声出して呼び掛ける。するとスリガラスの向こうから「はーい!今」

と声が掛かってくる。 このまわりくどい駆け引きがこういう宿の醍醐味で大好きだ。

大人数の従業員抱えてて、ベル鳴らしたら3秒くらいで小奇麗なカッコのホテルマンが出てくる

宿泊ホテルよりもイイなァと思うのはオレの感覚がスレてるからなのだろうか。


おそらく居間で今まで自分の子供の相手をしてただろうと思われる女将サンがあわてて

バタバタ身づくろいしながら出てこようとする気配に心の中で「あ、急がないでいいのに・・」

と思ったりする。


出てくるのを待ってる間、静かなフロントと玄関では柱時計のカチコチなる音が響くのがまた

旅館というモノの演出に役だっている。地方宿での柱時計の音という音楽にはどんな歌姫や

ロックンローラ―の歌声もかなわない。マイケルもあゆもひれ伏すだろう。


フロント後ろから女将サンがガラっと戸をあけて出てくる。

その戸が開いた一瞬に家族がくつろぐ居間の炬燵やおじいちゃんおばあちゃんが見えたり

する。のぞきといえばのぞきになってしまうがこの一瞬に覗ける生活臭もたまらない。


部屋に行くまでの廊下。昔ながらの客が共同で使う流し台。横にはケロリン桶。

都会では見かけなくなったスリムな自動販売機、表示はAsahiとかだったりするが中はランダム。

バヤリース、プラッシー、三ツ矢サイダーのわずか3種類の細い缶がボンヤリ光りながら

ディスプレイされていたりするのがべスト☆ その場にレッドブルなど邪道である。


部屋食のあと、階段を下りて下に行くと廊下奥の戸のほうから宿の家族の会話とゴハンの匂いが

漏れてくる。子供が学校での出来事を話してたりする。ゴハンの匂いからすると宿泊客に出した

ものとは別の家族用料理だとか気づいたりするのも面白い。


そんなことしてたりするうちに宿のおばあちゃんが戸からガラっと出てきて、こちらに気づくと

ニコッと笑って会釈してくれたり話しかけたりしてきてくれる。

おばあちゃんの笑顔には不純物が混入されていない。

その笑顔と対応は「宿の客」へとして向けた顏ではなく「自宅への来客」へ向けたような

商売っ気を感じさせない顏である。オレみたいな若僧なんかに何回もペコペコしなくても

いいのにと申し訳なくなってしまう。

そういう可愛らしい宿のおばあちゃんがオレはたまらなく大好きだ。

人間があまり好きでないオレも話しかけてくれるおばあちゃんとは出来るだけ会話の相手を

しようとずっと心がけている。なんかすごく落ち着くから。マジで。


便所とかも多少汚くても御愛嬌。

そりゃあ、汚物が飛び散ってるとかはイヤだけど、壁とかにシミがあるくらいはね。

人間てのはズルいもんで入った瞬間「うわ!きたねえ!」とか思っても心のどこかで潜在的に

「でも帰ってから飲み会とかで土産話で‘泊まった宿のトイレが最悪’とかいいネタが出来たぞ」

とか考えてしまうものだから何気に損はしていないのだ。


合コンとかでもそういうのあるでしょう、男女とも。

開催会場行って入って相手側の顔ぶれ見た時に

「うわ、ブサイクばっか!サイアク」 とか 「ブ男ばっか!サイアク」とか思う反面、

心のどこかで今度同姓だけの飲み会で「コンパ行ったらヒドイのばっかだったw」とかいう

話題が出来たとよろこんでる部分とかはあるハズ・・←ありますよね?ね!あるでしょ??


・・・


以上、

これまで書いたことは過去の旅行での経験と、

理想および妄想でのシチュエーションを絡ませたものであるが

こういう温泉宿にぶらりと行きたい・・・。


みなさんも是非、リアリズムの宿に泊まってみてはいかがでしょうか?

泊まった時は「来なきゃよかった」とか思うかもしれないけどすこし経ったら

また泊まりに行きたくなっていると思います。


それでは今日はこのへんで。



・・・

今日のブログ、真面目かっ! (;一_一)