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私は、「これが私だ」と信じているようには存在していないものです。
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原文「私は、私だと信じているようには、存在していない」


はぁ…
_(^^;)ゞ

じゃ、私たちはどんなふうに「存在」してるんでしょうかねぇ??

…と思ったら。
4/23の回を思いだしましょうねー(笑)

存在するとは、私たちが「それは本当にある」と信じることでした。

とすると、今日のお言葉から、

私たちが「『本当にある』と信じる私」以外の何かがあるのかも…

ということが、ぷ~んと匂ってきませんか!?

なんか懐かしいこの匂い(笑)

ああ、このニオイをたどりたい…(*⌒3⌒*)

って犬か(笑)

「それなら私は『どんなふうに』存在しているのだろう」

というよりも、

「私の『存在』っていうけど…じゃ、そもそもその『存在』ってなんだろう」

と問いかけるほうが、近道なのかも…??

くんくん…
ふんふん…

あ、これは匂う!!!
 ̄(=∵=) ̄ワン! 



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私はありとあらゆる「地獄」を、問いかけに招き入れます。
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原文「私はすべての地獄を問いかけに招待する」


なんてほっとする、今日のお言葉!

だって「地獄」がなぜ地獄なのかといえばですよ。
出口がないから「地獄」なんです!!

でも「問いかけ」をする、という出口さえあれば…
それはもう地獄ではありません。

一時的なドツボにすぎないのです。
…でしょ?!
(* ̄∇ ̄*)

ドツボによっては、深いのも浅いのもあることでしょう。
しかし、しつこく(笑)問いかけていけば、必ず出られるはずです。

なんといっても、そのドツボから抜け出したバイロン・ケイティさんという実在の同時代人がいます。

そんなわけで私たちには、たしかな希望があるといえます。

ケイティさんにできたことなら、私たちにもできるはず。

なぜなら、ケイティさんのしたことはただひたすら「問いかける」ことだったのですから。

いや~、問いかけですかぁ??
そりゃ、私にはムズカシすぎるなぁ…f(^_^;

というのは、説得力なさすぎですよ(笑) 



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すべての素敵なストーリーを愛しく思うのと同じように、私はこの世界のことも愛しく思います。
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原文「私はこの世界を愛する。すべての良いストーリーを愛するのと同じように」


バイロン・ケイティさんの著者を、何冊か読みました。
字面の文章だけに気を取られると、他のいわゆる「スピリチュアルな指導者」にはない率直な厳しさを感じるところも多々あります。

私は実際にお会いしたことはありませんが、直接お目にかかっても同じように感じるのでは…と想像します。

それはおそらく、ケイティさんが率直に、彼女のありのままを見せているからではないでしょうか。

例えば私がケイティさんの目の前にいるとして、彼女は私の気分を害するかどうかという基準で語っていないのだと思います。

ただ、ケイティさん自身でいることだけを基準にしている。
そのとき彼女の言動が私の好みにそぐわなくても、それはケイティさんの「領域」ではないのです。

…しかし。
そんな、率直で、ある意味厳しい言葉の並んだ著書の読後感のなんという爽快さ!!

あ"ー、よっく揉みほぐしてもらったぁ~
ヽ(*´▽)ノ♪
的な爽快さとでもいうのでしょうか。

…今日のお言葉を見て、そのわけが理解できたような気がしました。

きっとケイティさんは、もうこの世界のことは「信じて」いないのでしょう。

だからこそ、「この世界が大好き」と言えるのでしょう。

ときに私たちにとって、「え!!それはないでしょ?!」という言葉を語ったとしても…

私たちが傷ついたり苦しんだりする「ストーリー」を、ケイティさんはもう信じていないのだと思います。

きっと、それが「愛」なんだろうな…

今日のお言葉にそんなことを思いました。