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私は恩寵の状態のうちに生きています。
(あなたもね!)
そしてこの恩寵の状態とは、「知る必要がある」ものなどではないのです。
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原文「私は、知らなければならないということがけしてない恩寵の状態に生きている(そしてあなたもそうだ!)」
今日のお言葉にある「恩寵」。
宗教用語としては
「神から人への一方的な愛」
であるといわれます。
重要なのは、この「一方通行」。
我々人間の側がどれほど善行や徳を積んだかに関わらず、神は人に対して一方的に慈しみを与えるという点です。
しかし。
最近あった「原因と結果の法則」についてのお言葉などをみると、この「恩寵」、私たちの思考に彩られた二元性の世界では認識しにくいもののようですね。
だって、「神の一方的な愛」なんて聞くと
「そんなら、思いっきり悪さしていーのね?どんだけ悪さしても、神様ゆるしてくれるんでしょ?」
…という思考回路が発動しちゃう(笑)
上記のような「恩寵としての神の愛」の人間界における葛藤は、我々にとってなかなかスパッと解決できないテーマとして有名です。
多くの文学作品が、人間の罪や悪はどこまでゆるされるのかを取り上げていますね。
また少なくない数の、古今東西の宗教家たちが、どんなに罪深い者であっても救われる…と説いているのもご存じのとおりです。
にも、かかわらず。
歴史上どころか、日々のニュースを見るだけでも、人間が性懲りもなく悪さをしでかしているのは相変わらずです。
(--;)ヤレヤレ
そんな「極悪人」どもを目にするとき、私たちは「ええいあんなやつ、地獄におちろ!」と思って溜飲を下げたりしますよね。
しかし同時に、何か釈然としない思いも残ります。
神様って、一方的に人を愛してくれるおかたじゃなかったっけ…
そしたら、やっぱりあんなやつでもゆるしてもらえるのかな。
いーや、あんなに悪さしてもゆるしてもらえるなんて不公平だ。
…でもなんかこう、問答無用に地獄行きってのも、なんだかなぁ。
うーん…
(;´д`)
この葛藤を解決するにも、「ザ・ワーク」の問いかけは大活躍です。
悪人は罰せられるべきだ。
罰によって、罪が帳消しになりゆるされる。
悪いことをした人間は、悪人だ。
悪人は罪滅ぼしをしなければならない。
…それは本当なのでしょうか。
問いかけを通して、私たち自身が信じている「正義」が必ずしも公正ではないことを確かめるのは、「恩寵」に触れるための大切なプロセスだと思います。
「恩寵」じたいは、知るべき必要のあるものではない…
と、ケイティさんは言っています。
それは取引ではありません。
「恩寵」なのです。
それに与っていない人は、誰一人としていないはずです。
それならば、そのためのプロセスを通れば、誰もが必ず「恩寵の中に生きている」と確認することができるはずです。

