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何とも、自分自身を比較しない。
それなら、あなたは完璧でしょ?
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原文「あなた自身を比較するものが何もないなら、あなたは完璧ではないだろうか」
完璧ねぇ…。
完璧って、何でしょうね??
いやぁ、自分なんて「完璧」にはほど遠いよなぁ~
ケチだし意固地だしだらしないし…
そういうのって、比較のレベルじゃないんですけど。
比較以前に、すでにケチで意固地でだらしない(笑)
…たぶんこの場合、この人は、ケチとか意固地などと他人との「比較」で言っているわけではないかもしれません。
誰かとお小遣い帳の見せっこをしたわけではないし、とりたてて誰かと自分を比較したわけじゃない。
でも、当人は自分がケチだと考えている…
それでも「比較」なのでしょうか?
この人はなぜ、自分がケチだと考えるようになったのでしょう。
おそらく何か、これまでの人生のなかで、原因になる出来事があったのでしょうね。
とすると、この人が「私はケチ」の根拠にしているのは、過去の出来事や、それによる過去の経験…
ということになります。
ひょっとしたらケイティさんは、このように過去の経験に基づいて私たちが判断することを、ここで「比較」と呼んでいるのかもしれません。
そしてもしこの「比較」を、過去のデータベースに基づく判断を一切しないとしたら…
私たちは、目の前に展開する「今」をただ見ている以外、何もできないことになります。
良いも悪いもまったくわからない。
なにが起きているのやら、さっぱりわかりません。
ただ、目の前の「今」をそのまま見ている…
受け入れるしかないのです。
たぶん、ケイティさんはこれを「完璧」と呼んでいるのでしょう。
それが美しいからではなく、調和しているからでもない。
そのような「美」や「調和」もまた、私たち自身の過去の経験による判断…
つまり比較です。
そのようなものとはまったく関係なく、ただ、「今ここにある」という理由だけで、「ありのまま」という理由だけで…それは「完璧」。
「私」についても、同じことですよね。
ケイティさんのいう「比較」がなければ、今ここにいる「私」は「ただ、ありのままにここにいる」だけです。
そしてただそれだけの理由で、「完璧」なのです。
ケチなんだか意固地なんだか、何なんだかまるでわからない 「私」。
ただありのままに、今そこにいる「私」。
ケイティさんは、それを「完璧」と表現しているのでしょう。
「完璧」についての考えが根底から覆されてしまう、今日のケイティさんですね。

