☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
無理やりさせられている…
そんなふうに感じたら、自分が認めてもらおうと躍起になっているアイデンティティーについて問いかけてごらんなさい。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

原文「強制されていると感じたら、あなたが確立しようと試みているアイデンティティーに問いかけてみなさい」


無理やり、強制的にやらされてる感。
要するに、くたびれる…
とか、もうやだ~…
って感じ??

…そんなの
日常茶飯事なんですが(笑)

特に「疲れる」なんて、カラダ都合でしょ?!
動きすぎ、働きすぎて体がくたびれてるだけじゃんー
┐(´д`)┌

…あ。
ここでカラダからラインきた。
なになに。

「お言葉ですが。
私は動くだけです。
私は、くたびれません。

この際、はっきりさせたいのですが」

な、なんですか、急にあらたまって(汗)

「あなた様がよくおっしゃる、
『つかれた』『くたびれる』
という言葉の意味を、教えていただけますか。
私には、意味不明でございますので。」


は?
「つかれた」「くたびれる」の意味がわからない、ですと…?
(;゜∇゜)

「お言葉ですが。
『つかれる』『くたびれる』
のは、あなた様のご都合かと存じます。」

疲れる、くたびれるのは…
わ、私の都合ですか??
((((;゜Д゜)))

「はい。
なにぶん、私には、『つかれる』『くたびれる』の意味がわかりませんので。
そのように意味不明のものに、なりようがございません。」

意味わかんないって、あんた。
疲れるってのはさ、ほら…

ほらあの…
んーーー(汗)

そう言われてみると、何なんだ「疲れる」って?!

待てよ。
今日のケイティさん、無理やり感のあるとき、くたびれるようなときにはどうしろって言ってたっけ?!

(*_*; 焦焦

えーと…
認めてもらいたいと躍起になってるアイデンティティーを調べろ…??

アイデンティティーとは、
「自分がこうだと思う自己像」
のことでしたよね。

その「自己像」と疲労感ややらされ感とのあいだに、なんの相関関係があるのかな…?

その「自己像」があるから、疲れちゃうってこと?
つまり、ケイティさんがよく言ってるみたいな…
その「自己像」を本当だと信じることが、くたびれ感ややらされ感を引き起こす…
ってこと?

んーーー
「自己像」ねえ。

たとえば
「いつも元気いっぱいで明るい私!」
とか。

(/--)/…

「おや、どうなさいましたか。
いきなり、あなたがよく『くたびれた』とおっしゃる状態になってますが?」

…いやぁー。
ご心配おかけしてサーセン。
いきなり疲れたよ。
「いつも元気な明るい私」
と考えただけで、一気にくたびれた…

「ははあ。なるほど。
非現実的なことを考えるのが、『くたびれる』ということなのですね」

(○_○)!!

「よくわかりました。
ありがとうございました。
それでは失礼します。」


たしかに。
「いつも元気で明るい私」
なんざ、あり得ないよなぁ。
そんなもん、「自己像」としてホンモノだと信じちゃったら、そらくたびれるわなぁ…。

(((^_^;)

「あり得ない、非現実的」な自己像を信じちゃってると、無理やりやらされてる感じとか、疲労感が出てくるってことなのか。

なるほどね。

そもそも私たちの「自己像」なんてものからして、いかにもインチキ臭いもんなぁ。

なんか、納得しちゃいました(笑) 


 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
あなたが考えていることか、あなたが正しいと主張することか…
そのどちらにでも、問いかけてみてください。
どちらにしても内面での戦争なのに変わりはないのですから。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

原文「あなたの考えていることか、あなたが擁護していることのどちらかに問いかけること。戦争は戦争」


私たちが「それは本当です!!」と主張する考えは、確かに内面の葛藤のタネになりそうですね。
それは、なんか納得。

では、単に「考えていること」も、心の中の葛藤のタネになるのでしょうか。

だって、ひそひそと自分のアタマの中で考えているだけですよ??
それはまさか、人畜無害じゃないのかなぁ。
葛藤なんて、関係なさそうだけど…

しかし、今日のケイティさんはそれもまた「内面の戦争」であると言います。

とにかく考えをもつことが、葛藤のタネになる。

これはどういうことなのでしょうか。

これまでにも同じようなことを書いたような気がしますが、葛藤の火種は「考えそのもの」や「考えをもつこと」ではありません。

その考えを無条件に本当だと信じることが、葛藤を引き起こすのです。

考え自体も、考えそのものも、それだけならまったく人畜無害です。

しかし私たちがそれを疑うことなく「本当だ」と信じたとき、それは猛毒になってしまうのです。

確実に解毒するには、問いかけてみるのがいちばんシンプルです。

その考えが、「本当ではない」と証明できなくても問題ありません。

やっぱり本当のように見えて仕方ないのだけど??
でも、まったく構いません。

とにかく、無条件に本当だと信じることをやめられればよいのだと思います。

今の私には、やっぱり本当に思えるけど…
でもひょっとしたら本当じゃない可能性もあるのかもな。

問いかけるとは、そんな「可能性」に心を開くことなのでしょう。

そのようにして、ちょっとしたスキマが開けば、おそらく葛藤の火種はぐんと減るはずです。 


 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
あなたが信じていることは、本当のように見えているだけです。
(問いかけという判別をして)それを確かめてごらんなさい。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

原文「あなたが信じていることは、本当のように見えているだけ。テストしなさい」


日常で心が動揺するのは、突き詰めて単純化すれば
「私の信じること」vs「実際に起こっていること」…
つまり、この2つのあいだの不一致、ということになるのでしょう。

要するに、目の前にあるものが「気に入らない」。

なんでそんなに気に入らないかといえば、れっきとした「気に入らない理由」があるわけです。

そして今日のケイティさんは、その私たちの「気に入らない理由」について、問いかけて確かめてごらん、と言っているのだと思います。

私たちはなにかの考えを信じて…
イコールその考えが正しいと信じて、それを根拠に目の前のものを「気に入らない」と断定します。

もう、自信満々(笑)
気に入らない理由の、私の考えは、とーぜん「本当」なのです!

困ったことに、私たちにはそもそも
「私の考えは事実である。本当である」
と信じている自覚がありません。

有名なお話の、「裸の王様」。
あの王様、まったく悲惨なドツボではありますが、実は「わし、実は裸じゃね…?」という自覚はありましたよね。
でもみんながすごいすごいと口を揃えるので、自分には見えない衣装なのかも…??
見えてないのは、自分だけかも??
と考えてしまうわけです。

ところが私たちのほうは、自分が「裸」だと気づいていません。
たいそう立派な衣装を身につけていると本気で信じているのです。

…それ、正真正銘の「裸の王様」ってやつですよね(笑)

私たちが信じていることは、実は「本当のように見えるだけ」。

まさに、ストリーキーーーング!!
(@ ̄□ ̄@;)!!