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あなたの、その手厳しい「ジャッジメント」。
それ、あなたを幸せにしてくれるのかしら?
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原文「あなたの厳しい判断は、あなたを幸せにするだろうか」


ケイティさんの「ザ・ワーク」で、最初に行うのは「ジャッジメントワークシート」という紙への記入です。

特定の人物に対して、特定の場面で、いかに「ハラワタが煮えくり返った」か。
その人物が、その場面で、がいかに、私に対する「悪事」を働いたのか。

それを思う存分、心ゆくまで、コテンパンに、完膚なきまで、相手に対する非難ゴーゴーを書きまくる。
(# ゜Д゜)ψψψψ

はぁはぁ…
あー、スッキリしたわい。

…そんなふうにして、チョーばりばりに「ジャッジメントワークシート」を記入しまくった人に、ケイティさんはニッコリ笑って今日の一言(笑)

…そんなシーンを、想像しちゃいました。

でも、ケイティさんはこの人を責めているのではありません。

あー、せいせいした。
あなたは今、そんなふうに感じているのでしょうけど…
どう?
それって「幸せ」なのかしらね?

( ゜o゜)ゑ?

真剣に、本気で、怒りまくって「ジャッジメントワークシート」を書けた人なら、おそらくここで「鐘ひとつ」。
(・。・)チーン

あっさり退場できそうですね(笑)

自分自身の怒り、他人に対する非難をはっきり感じ取り、それを表現した人ほど、
(・。・)チーン
とハラオチするのかもしれません。

なにせ、怒りや非難ほど「不幸」なものはありませんよね。
それをはっきり感じている、ということは、自分自身が「不幸」なのだと気づける大きなチャンスでもあるのです。

一日の食べ物が、水とオニギリだけの刑務所に入れられた囚人は、
「さ、最悪…。とにかくここから出たい!!」
と、考えるようになるのではないでしょうか。

でも、三食おやつ付、各国料理のバラエティーにとんだメニューの刑務所にいる囚人は、
「監獄暮らしも悪くねーよなー(笑)(笑)」
なんて思うかもしれません。

どちらにしても、刑務所なんですがね…

自分の怒りや非難が、いかに自分自身を「不幸」にし、牢獄に繋いでいるのかにはっきり気づく。
そうしないと、牢獄から出ようという気にさえなりません。

そのためには、いろんなメニューで気を紛らすよりも、オニギリだけのほうが話が早い場合もあるでしょう。

「ジャッジメントワークシート」に記入するときは、怒りや非難をごまかさず、ストレートにジャッジしてください。

…と、ケイティさんがいうのはそんな理由なのかなと思いました。




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マインドについて理解しないかぎり、私たちは苦しむのです。
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原文「マインドについて理解するまで、私たちは苦しむ」


マインドについて理解する。
それは、どういう意味なのでしょうか。

日本語ではしばしば「心」と訳される「マインド」という言葉。
これは、理性や判断を表す言葉です。

日本語で「心」というときに含まれる、情緒や感情については表していません。

その点を押さえて、今日のお言葉を考えてみましょう。

ケイティさんがこれまで教えてくれたことを思い起こしてみます。

苦しみとは、私たちが自分の思考を「本当だ」と信じることから生まれる…

の、でしたよね。

とすれば、この
「自分の思考を本当だと信じてしまうこと」
について理解するのが、
「マインドについて理解する」
ということになるのではないでしょうか。

理性や判断を司るマインドは、その性質上、物理的に活動が可能な限り自らの「つとめ」を放棄することはありません。

つまり何らかの物理的な制限が加えられない限り、「思考する」「判断する」のを停止することはないのです。

マインドによって次々と生産される思考や判断。
私たちはこれまで、無条件にそれらを「本当」だと信じてきました。

それらが「本当ではない」可能性など、まさに想像すらしたためしがありませんでした。

そのようにして、私たちは自分の思考を信じ、苦しみ続けてきました。
けれど、その苦しみがどうして起こるのか、その仕組みについて知らなかったのです。

しかし当然ながら、その仕組みがわかれば何らかの対策が講じられます。

苦しみっぱなし、苦悩に翻弄されるまま…ではなくなるのです。

マインドについて理解さえすれば、苦しみが生じる仕組みさえ理解できれば、打つ手はある。

もし打つ手があるというのなら、漫然と苦しみ続けようとは思いませんよね。

今日のケイティさんは、このことを私たちに思い出させてくれているのだと思います。


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「ありのままを愛させる」。
そんなことできません。
だって、私自身がその「ありのまま」なんだもの。
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原文「私は、私自身にありのままを愛させることはできない。それはただある」


スピリチュアルな指導者と呼ばれる方々が、繰り返し語る言葉のひとつに

「ありのままを愛しなさい」
「ありのままを受け入れなさい」

というものがあります。

そんなありがたいお言葉を頂戴した私たちは、

よっしゃ!
そのありのままとやら、愛しましょうじゃないの。
どーんと、受け入れちゃるわ!!
エイエイオー(^○^)/!

…と、なるわけですが。

いかんせん、たいてい三日坊主です(笑)

その理由はなぜか?
それをズバリ解明してくれる今日のケイティさん。

「ありのまま」は、愛そう、受け入れようと血道を上げるような対象ではない。

「ありのまま」…
なんとそれは、実は「私たち自身」だというのです。

コロンブスのタマゴ的、鮮やかな発想の転換!
びっくりしますねー
v(^o^)

「ありのまま」が「私そのもの」だとすれば、無理やり受け入れようと頑張るのがうまくいかなかった理由がわかります。

温泉に浸かりながら、
「よっしゃ!!絶対、温泉に入る。なにがなんでも、あったかくって気持ちいい温泉に入るぞ!!」
と気勢をあげているようなものなのですから…

あんた、とっくに湯舟の中ですがな(笑)

(今日のケイティさんの写真、ホンワカ湯けむりの温泉みたいに見えませんか?!)

スピリチュアルティーチャーの方々の教えが、間違っているわけではないのだと思います。

ありのままを愛しなさい、受け入れなさい、といった言葉は、

「あなたこそが『ありのまま』であり、それが『愛』であることに気づきなさい」

というような意味なのでしょう。

しかし…。
その言葉を聞く肝心の私たち自身が、キーワードである「ありのまま」「愛」さらには「私たち自身」について、理解していないのです。

トホホ…
(;´д`)

それでは、どうすればよいのでしょうね??

…そうです。
アレです。

「それは本当ですか?」

とにかく不快になったらすぐにこれ。
いらっときたら、「それは本当ですか?」

はぁ~?!
(# ̄З ̄)
あちきが「ありのまま」だぁ??
…わかりゃしませんよ、そんなこと。
ちーとも、ぜんっぜん、わかりませんよー

はいはい。
それは本当ですか?
Ψ( ̄∇ ̄)Ψ