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「でも、私が夢をみることはできますよね?」
いいえ。
「あなた」って、夢みられているものじゃないのかしら?
「自分の力でやっている」と考えるのをお止めなさい。
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原文「『しかし、私が夢をみることができる。そうではないのか?』いいえ。『あなた』とは、夢みられているものではないのか?すべて自分の力でやったと思うのを止めなさい」
「あなた」って、夢みられているものでしょう?
「あなた」が夢をみているのじゃ、ないわよね。
いつだったかの回で、
「あなたは『生きられて』いる」
という表現がありましたね。
それに通じる今日のお言葉だと思います。
私は、自立した私自身の力で生きている。
まあそりゃ、生んで育ててくれた親もいれば、お世話になった方々だって数知れない。いろんなものに支えられ、大いなる自然、慈しみ深い母なる地球に支えられてここまで来たのは、もちろんよーーーく、承知しています。
しかし、いったい誰の足でここまで歩いてきたのでしょうか。
誰かにおんぶしてもらって、私はここまできたのでしょうか。
様々なものに支えられながらも、私は、私自身の足で歩いてきたのです。
そうです。
この、私自身の足で…。
と、い~カンジ(笑)に自己肯定感がアップしてきたところで、今日のケイティさんからツッコミの一言。
あなたは、「歩かれている」ものでしょ。
「歩いている」ものじゃなくてね。
Σ( ̄ロ ̄lll)))!?え"
だ、だってだって。
「歩かれている」って…
だってどう見ても、私は自分の足で歩いてますよ??
どう見ても、これは、自分の意志で自分の足を動かしてますよ??
ほら。
いちに、いちに…
ね??
前に、進むでしょ?!
(@_@;)????
あのね(笑)
「歩かされている」のじゃないの。
「歩かれている」のよ。
(((((((・・;)
は??
それ、おんなじことぢゃ…
だから。
「自分の力でやったと考えるのを止めなさい」って、言ってるでしょ(笑)(笑)
確かに、私は自分の力で自分の足を動かしているように思えます。
自分で夢をみて、自分で生きているように思えます。
…しかし、そもそもその「自分」とは、何者なのでしょうか。
自分の意志による力で、歩いたり、夢をみたり、生きているようにみえる「私」。
その「私」には、確かに独自の意志とそれを実行する力があるように思えます。
しかし、本当に、その「私」が足を動かしたり、夢をみたり、生きているのでしょうか。
…つまりその「私」は、本当に「私を動かす力の源」なのでしょうか。
本当に、その「私」が私を動かしているのでしょうか…?!
もしその答えが「ノー」だとしたら…
では、いったい誰が、もしくは何が、私を動かしているのでしょう?
それが、私が考えていたような「私」ではないとしたら…??
もしこの「私」が、実は私とはなんの関係もないとしたら…
私は「歩かされている」という表現は奇妙な感じがしてきます。
というのも、「歩かされる」とは、私自身が阻害され、何か別の力で無理やりさせられることを意味しているからです。
もとよりその阻害される「私」なるものがない、あるいは私にはなんの関係もないとしたら…
なるほどケイティさんが言うように、私は「歩かれる」という表現はしっくりきます。
自分の力で歩いているのでもない。
さりとて無理やり自分以外の力で歩かされているのでもない。
私は「歩かれる」。
(*゜Q゜*)
むむ。
なんだろ、この楽チンな感じは…(*´ω`*)