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むかーし、むかし…
じゃなかったわ。
わたーし、わたし。
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原文「ひとたび、時の流れの上に…ちがう。ひとたび、時の流れが私の上に。」
Once upon a time...
No:
Once time was upon me.
これが本日の原文。
この「Once upon a time」という表現は、昔話の語りはじめに用いられる決まり文句で、日本語の「むかーしむかし、あるところに」みたいなものです。
これを文字通り直訳すると、
「かつて、時の流れの上に」。
日本語にするならば、「時の流れの『中』に」のほうがなじみがよいですが、英語の感覚だと「時の流れの『上』upon」になるのですね。
「時」は、そんなふうに連綿と、大きなゆったりした川の流れのようなものとしてとらえられているのでしょう。
そんな「時の流れ」の上に…
いやいや、ちょい待ち。
その大河のような「時」よりも、さらに大きなものがある。
それが「私」。
だから、「時の流れ」がその「私」の上にたゆたっているのだ…
というのが、今日のお言葉の内容です。
日本語訳もこれまた苦しい(笑)ですが、どうぞご容赦くださいませ。

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あなたのストーリーがなかったら、あなたとはなんでしょう。
あなたのストーリーがあったなら、あなたとはなんでしょう。
あなたは自分についてのストーリーを、どれくらい愛しているでしょうか。
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原文「あなたの物語がなければ、あなたは何だろうか。あなたの物語があれば、あなたは何だろうか。あなたはどれくらいの頻度で、あなたについての物語を愛しているだろうか」
こういう学びをしていると、いつのまにやら
「ストーリー」→「悪」という図式に囚われることがあります。
とにかく「ストーリー」があるから、私は苦しくなってしまう。
そんなもん、根こそぎ引っこ抜いて捨ててやるー!!(怒)
そんなふうに思いがちなところへ、今日のケイティさんは一言。
ストーリーがあったらどうなの?
そしてストーリーがなかったらどう??
…どっちにしても、「あなた」という存在に、変わりはないんじゃないのかしら。
ストーリーがあろうがなかろうが、「私」という存在になんら影響はない。「私」はストーリーに左右されることなく存在している。
これについては、言葉で伝達できるものではないのかもしれません。
私たちひとりひとりが、各々のストーリーに向かって
「それは本当ですか?」
という問いかけを続けるのが、それを腑に落とす近道なのでしょう。
そして、いずれにしても「私」はストーリーに左右されないのだ…
と理解できたとき、私たちは「ストーリー潰し」に心血を注ぐのを止めることになるのだと思います。
実はストーリーに振り回されることと同じくらい、この「ストーリー潰し」は苦痛な作業です。
そうはいっても、
「私」はストーリーに無関係にシッカリ存在しているんだ…
ということが腑に落ちないと、ストーリー潰しを止める気にはならないものです。
心が紡ぐストーリーに対して
「ま、血眼んなって追いかけ回さなくても、いっかな~」
(ノ´∀`*)
と思えるようになり、おおらかにストーリーを眺めることを、今日のケイティさんは「ストーリーを愛する」と表現しているのではないでしょうか。
それは、ストーリーを「好きになる」こととは少し、違うのかもしれません。
好きか嫌いか、善いか悪いか、美しいか醜いか…
そういった観点からではなく、
「ま、あってもなくても私には影響ないし」
という観点から眺める。
そんな視点をもつことを、今日のケイティさんは「愛する」と呼んでいるのかな…と思いました。
