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あなたにとってのすべての
「あのとき」「あの瞬間」。
本当は、そうしたすべては「今、ここ」にあるのです。
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原文「あなたのすべての『あのとき、あの場所』は、本当は『今、ここ』にある」


そう言われて、冷静に考えたらその通り!!
(*≧∀≦*)

私たちは、思い出に浸ることを「今に生きず、過去に生きる」と表現したりします。
過去のことばかりを考え続ける。それを、イコール「今にいない」と考えます。

…が。
今日のお言葉の観点からすれば、「過去の思い出に浸る」のも、「今、ここで」やっていることですよね。

他ならぬ今、ここに座って、思い出に浸っているのです。
ぼんやりとして、電話が鳴ってるのも無視かもしれません。寝食も忘れる有り様かもしれません。
しかし、やはりそれは「今、ここ」で起きていることなのです。

そしてよーーく考えてみると、「今、ここにいない」などという芸当は不可能なのがわかります。

そんなの、どうやったってむり!!
どうしたって「今、ここ」にいる以外にいようがないですよね?

眠って夢をみていたとしても、「今、ここ」で眠りこけてるわけなんですから…

本当は、すべては「今、ここ」にある。
「今、ここ」以外はありえない。

それはどういうことなのでしょう。
それはいったい、私たちにとって何を意味しているのでしょうか?

…そんな見方で「今、ここ」を眺めるのも、楽しいものですね。


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すべての人がーそう、あなたでさえも、つねに、どんな状況であれ安全に生きているのです。
問いかけをすると、それが認識できるようになります。

そんな証拠がどこにある、ですって?
…問いかけて、答えを待ち、耳を澄ましてごらんなさい。

じゃあ悟りは、ですって?
…それはすでに与えられているものですよ。
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原文「問いかけは、すべての人、あなたでさえもが、いかなるとき、いかなる状況においても安全に生きているという認識を助ける。証拠?尋ね、待ち、聞きなさい。悟り?与えられている。」


ケイティさんの「ザ・ワーク」の終着点とでもいえるような爽快感、充実感。
その感覚を、今日のお言葉では
「あなたも含めたすべての人が、いついかなる状況でも安全なのだという認識」
と表現しているのだと思います。

最後のあたりに登場する「悟り」という言葉は、原語は「enlightenment」。
本来は、無知が晴れて心に光明が訪れる状態を表す言葉ですが、日本語の「悟り」を英訳したのがこの「enlightenment」です。

今日のお言葉が語られた場面がどのようなものかわかりません。
ひょっとしたら誰かが、
「安全だとかいうのはわかった。じゃ、悟りはどこにあるんだ?」
と聞いたのか。
または
「誰もが安全?…もしかして、それは悟りの境地ではないのですか?」
そんな質問が出たのかもしれません。

いずれにしても、ケイティさんはその悟りについて、「与えられている」と答えています。

もしも「悟り」を探すというのなら、そしてもしそれがすでに「与えられている」というのなら、私たちはそれを私たち自身の中に探さなければなりません。

与えられているというのにそれに気づいていないとするなら、気づけずにいる理由があるのでしょう。

従って「悟り」を探すとは、それに気づけずにいる理由に目を向ける…ということになるのではないでしょうか。

ではどのようにして、目を向けるのでしょう?

その方法のひとつが、
「問いかけて、答えを待ち、耳を澄ます」
…つまり、ケイティさんの「ザ・ワーク」のプロセスです。
きっと、他にもいろいろな方法がありますよね。

私たちが目を向けるところさえ間違えなければ、どの方法を用いても「悟り」はきっと見つかることでしょう。

なにせそれは、すでに「与えられている」のですから。


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もちろん、私なんて人間のクズよ!
え、どうしてそんなことが言えるのかですって?
私について考えている思考が、そう言うんだもの。

…でもその「思考」、どれほど信用できるのかしらね。
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原文「もちろん私は落後者だ!どうやってそれがわかるのか?私のことを考える思考がそう言った。それはどれほど正当なのか?」


「私」について、四六時中セッセと考え続ける思考。
働き者なのは感心なのですが…
肝心の「仕事内容」、つまり考えている中身が、大概ロクなもんでない(笑)

今日のお言葉の冒頭にある「人間のクズ」のようなものを基本に、「サイテー」「どアホ」「ボケ」等々、様々なバリエーションで同じ内容のことばかり考え続けます。

ここまで熱心に同じ内容ばかり繰り返せるとは、職人気質というか融通がきかないというか…。

こんなにも一本気な「思考」につられて、いつしか私たちのほうも、思考の言うことが正しいと信じるようになっている…

本当ところはもう、どっちがニワトリでどっちがタマゴなのかわかりませんね(笑)

この思考、真面目で仕事熱心だからといって必ずしも正確な事実を述べているとは限りません。

いったいどれほど信用できるのか…
それは、また別の話。

この仕事の虫の「思考」を、疎んじたり憎んだりするのもくたびれます。

私たちがいくら憎しみを募らせても、なにせ相手は融通のきかない職人気質。
私たちの不興を買ったくらいでは仕事を止めません。

それならば、この思考を信用するかしないかを選ぶほうが、私たちにとって実際的な対応かもしれません。

「人間のクズ」
これを、信用するかしないか。

どうしましょうね??
…楽なほうを、選ぶことにしようかな??
(^w^)