☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
あなたは、あなたが存在可能になる前にあなたが存在するのを信じなければなりません。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

原文「あなたはあなたが存在できる前に存在すると信じなければならない」


私が「私」と呼んでいる何か…
いわゆる「アイデンティティー」(自己同一性)というものですね。

その「アイデンティティー」が出現する以前から、存在しているものってなんなのでしょう。

それはそれは、いっぱいありますね。
たとえば空気とか。
もう地上にはいなくなっちゃいましたが、恐竜さんとか…
地球だって宇宙だって、「私」が存在する前からちゃーんとありました。

でも、当然ながら。
そうした「私以前」に存在していたものはすべて、私ではありません。

だって、みんな「私」ができる前のものなんだもん。
私じゃないのは、当たり前…

(ゝω・´★)キラリ
おっと。
それは、本当ですか??

…というのが、今日のお言葉です。

「私」という「アイデンティティー」以外のものは、私ではない。

私たちはなんの疑問ももたずにそう考えていますし、
「私というアイデンティティーではないものも、私である」
なんて、あまりに奇妙すぎて考えたこともありません。

それならば…
信じてみるしかない。

おかしなことだとアタマの半分では思っていても、とにかく信じてみる。

そんなふうにして、未知の可能性に対してオープンになってはじめて

私の存在が可能になる前から存在しているものは、私ではない。
…それは、本当ですか?

という問いかけをしてみようという気になれるのです。

私が「私」と考えているもの以外は、私ではない。
…それって本当に、本当なのでしょうか??
σ(^_^;)?


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
マインドはどのようにしてマインドになって、自分自身を保つのでしょうか。

マインドは、「何もないもの」に名前をつけるという攻撃をしているのです。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

原文「マインドは、どのようにして識別されるのを保っているのだろうか。それは無を名前と呼ぶことによって攻撃する」


度々登場の「マインド」、なんだか悪役っぽいイメージですよね。
いかにも、いぢわるそうな…
(ФωФ)ヒヒヒ…

なんとマインドは、攻撃することで自分自身を保つのだそうですよ?!
やっぱりねぇ…
いぢわるなヤツだと、思ってたよ。

で、その「攻撃」とやらの手口は…

(*゜Q゜*)

え???
なんでもないものに名前をつける。
…そ、それが「攻撃」ッスかぁぁ?!

ケチ臭い攻撃だなあ。
大ボス悪役とは思えない。
地味すぎる。

なんかもっとこう…
あるでしょ??
いかにも「オレは悪いんだゾー」的な攻撃が?!

だいたい、名前をつけるのがそんなにすごい「攻撃」なのかなあ。

たとえばですよ。
私の名前とか。
それの何が、大ボスのマインドの保身につながるような「攻撃」なんでしょうかね?
ただの、名前だよ?

…待てよ。
(・・;)
もしもその「名前」がなかったら…

「私」は誰なんだろう。
誰でもなくなっちゃう…
名前がついて、はじめて私は「私」になるわけで…

もし「誰でもない」としたら…

「私」という名前のついた人物を存続させる必要がないわけで。
すると、それまで積み重ねてきた「私」にまつわるものも、存続させる必要がなくなる…

と。
…ありゃ?!
それ、なんか楽だあーー
( ̄▽ ̄)ゞ

その時その時で、いちばん良いようにしてればいいだけだもん。
ははは。
楽チン、楽チン♪

しかし、そうとばかりも言ってはいられませんね。
なにせ、日常生活では、私ちゃんとした名前のある人物なのですから…

ってそれ、重ッ!!
!Σ( ̄□ ̄;)
すんげー、重ッ…

…。
たかが名前をつけるだけと思ってたけど…
これがマインドの攻撃というもの…?!

((/_;)/)ヤ,ヤラレタ…


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
投影をせずに見る方法があります。
そして、それは美しいものです。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

原文「投影なしに見る方法がありそれは美しい」


なんですと。
「美しい」ものを見るのが、「投影なしに見る」ということですか。

よーーし。
ここはひとつ、気持ちを落ち着けて、と…。

( ̄* ̄)…
しばし、瞑想。
無我のきょーち。

ムム!!
み、見えた!
美しい世界が、わが心の目にクッキリと見えましたぞよ!!
O(≧∇≦)O

実に美しい!
世界とは、本当はこんなにも光輝く美しいところだったのですね。

これが「投影なしに見る」ということなのかぁ…
(ToT)カ,カンドー

いやいや、チョーっと待って~(笑)

投影なしに見る、そんなやり方がある。
私たちが普段「見る」と呼ぶもの以外にも、見るための方法がある。
そして、それ自体が「美しい」。

ケイティさんは、そう言っているのですよ。

世界が美しいから、それが心の目に見えた…
というのは、今日のお言葉の観点からすると正確ではないかもしれません。

世界を見る方法そのものがが美しい。
だから、美しい世界が見える。

美しい世界が見えたのなら、それは私たちの世界に対する見方が美しいから。

今日のお言葉の観点から言うと、そういうことになります。

美しい世界、見たいですよね。

それならば、私たちの世界に対する「見方」を、美しいものにすればよい。

…それが、今日のケイティの言っていることだと思います。

世界に対する見方を美しいものにする。

残念なことに、私たちは基本的にそれがどのようなものか理解していません。

従って多くの場合、私たちは美しい世界を見てはいないのです。
私たちが「美しい」と呼んできたものの多くは、私たちが「美しいと考えるもの」です。

「投影のない、美しい見方」をすっかり忘れている私たちに見えているのは、美しいにしても醜いにしても、私たちがそうだと考える世界です。

それが、「投影」というものなのです。

この「投影」を離れて、「美しい見方」をするためには、私たち自身がそれなりの練習を積む必要があるでしょう。

その練習方法のひとつが、ケイティさんの「ザ・ワーク」です。

美しい見方、投影なしに見る方法を習得することは、
「心をきれいにする」
「霊的な浄化」
などと呼ばれてきました。

その方法論も、数多くが古今東西の宗教的、精神的な修養として伝わっています。

結局、これらの方法論が根本的に目的としていたのは、
私たちがもつ自分自身の思考に対して「それは事実、真実だ。本当なのだ」と信じるのをやめる…
ということだったのですね。