こども代表の「平和への誓い」
心持っていかれるなあ
毎年、心持っていかれる
死んだおばあちゃんは
「戦争はいやだねええええ」って言っていた
遺言は「みんな仲良く」
私は直接言われてないけど
みんな仲良くしているよお〜おばあああ
こども代表の「平和への誓い」
心持っていかれるなあ
毎年、心持っていかれる
死んだおばあちゃんは
「戦争はいやだねええええ」って言っていた
遺言は「みんな仲良く」
私は直接言われてないけど
みんな仲良くしているよお〜おばあああ
掃除中。
次女を連れて手伝いに行きました
この日は新盆の方だけの供養
なのでみなさん喪服です
男性陣が会場をつくります
ジャンプしている
お茶をお配りしています
法要が終わりました
上條恒彦さん
お亡くなりになりました
すっごく いい声でした
共演をきっかけに
付人することになり
(付人の素養が皆目わからなかったけど「味噌汁つくれれば大丈夫」ということて引き受けた、、、)
盛りだくさん経験させていただきました
私が知り合った上條さんは60代で
それ以前はどんな方かはんかりませんが
ぜんぜん気取らないし
(舞台の人で気取ってる人あまりいないけど)
土とギターと歌と共に生きていた印象です
待ち時間など、楽屋でよくギターの練習?してました
親分みたいに俳優たちに慕われてて
ジョーさん、と呼ばれてました
主演の女優さんたちも
親しみやすく接していた
主演に嫌われてたら共演はないが。
自宅のある長野では畑をやってて
とある舞台の初日の楽屋挨拶で
自分で作った白菜配ってた・:*+.\(( °ω° ))/.:+
そんな人見たことないよーー!
何度か目の再演で、気のおけない昔からの座組だったこともあるだろうけど。
その新鮮な白菜とりんごをマヨネーズで和えるだけのおかずが
とても美味しくて
白菜があるときは必ず作ってました
上條さんの付人の仕事の一番は
楽屋での食事の用意だったので
味噌汁から揚げ物、煮物なんでも作ってました
玄米と雑穀のご飯に、シャケとブリは必ずどちらか焼いていて
奥様の美味しい手料理の作り置きもあり
品数の多い豪華な楽屋ごはん
ハードな付人スケジュールを乗り越え続けていたのは
一緒に食べていた
食事のおかげだと思います
そして肌も綺麗だった!
帝劇でも南座でも鍋持ち込んでましたよ〜
「にんにくは すりおろさなければ匂わない」とのことで毎回使っていた!
大地真央さんと共演するのにいいのかな、などと内心感じつつ
にんにくスライスしてました
思い出いっぱいありすぎる