あきらめる | 水色のタオル

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並の教師で終わりたくない。。。

最近,度々登場する杉田洋

先週の話の中で,

「あきらめるとは,あきらかにみる」なんてことを言っていた。



いま,ネットで調べたら,

あきらめるには,もう希望や見込みがないと思ってやめるっていうネガティブな意味と

積極的に行う、覚悟して行うというポジティブな意味があるそうだ。

積極的に行うという意味で用いられる「あきらめる」は,「思い切る」と言い換えることができる。


僕も今回の「あきらめる」は,覚悟して行うという意味だ

今日,毎週続けてきた取り組みを思い切った。つまり,やめた。

子どもたちがノっていないからだ。

「やらされている」活動になってしまっていた。

原因はなにか。

そこはしっかり考える必要がある。



うん。


でも,今日の思い切りは,どちらかというと,あきらめかもしれない。

続けていくこと,継続には意味がある。

しかし,それに固執してしまっては取り返しのつかない事態になってしまうことも事実。


瀧本哲史の決断思考には,「ブレないことがよしとされる風潮が日本にはあるが,その価値観は,今の「一寸先は闇」とも言える時代にはもう古い。」というようなことが書いてある。


ブレることは必要なことだということか。


そうは言っても,教育の世界で成果(子どもたちの成長)を感じる背景には,毎日積み上げてきたもの(指導)があったりする。



勉強熱心な教師でも学級経営がうまくいかないケースとして,よく言われるのが

いろいろな情報(ネタや指導技術,取り組み)を仕入れて,試しはするが,

そのうちのなにひとつとして,継続して取り組まないということだ。



やはり,継続は力なのだ。




この背反するふたつの事実

難しい

僕にできることは向き合い続けることしかないんだろうな