「カンガルー日和」:超短編小説が18篇掲載されております。

 

 

一篇、ほぼ10ページの話ですので、話の要旨を記述するのは(実質的に)大変です。そんなわけで、各物語、どんなすばらしい言葉が続くとしても、ぐっと我慢して、ワン・センテンスだけを抜粋(例外:5センテンスの場合もあります。村上は、気分が乗ってくると止まらなくなります)してみます。そこから、この本「カンガルー日和」の全体を想像してください。とうぜん、すばらしいのです。

 

ちょっとした折に、この18篇の超短編小説にぜひ触れてみてください。

 

 

『カンガルー日和』

 

我々が立ち去る時にも父親カンガルーは、まだ餌箱の中に失われた音符を捜し求めていた。

・雌カンガルーは尻尾の具合を試すように柵の中で跳躍を繰り返していた。

 

 

 

 『4月のある晴れた朝に100%の女の子に出合うことについて』  

 

以前、この物語については少し書きましたが、この物語を好きな方、本当に多いですね!!

 

・平和な時代の古い機械のように温かい秘密が充ちているに違いない。

二人は通りの真ん中ですれ違う。失われた記憶の微かな光が二人の心を一瞬照らし出す。

・とにかくその科白(せりふ)は「昔々」で始まり、「悲しい話だと思いませんか」で終わる。

 

 

 

『眠い』:以前、少し詳しめに書きました。

類似の『眠り』『ねむり』のように恐ろしい話ではありません。かなり笑える話です。

 

・「そういえばいつも白熊と一緒に窓ガラスを割って歩く夢を見るよ」と僕は冗談を言ってみた。

「でも本当はペンギンが悪いんだ。ペンギンが僕と白熊に無理やりそら豆を食べさせるんだ。ものすごく大きな緑色のそら豆で・・・」

「黙りなさい!」と彼女がぴしゃりと言った。

 

 

 

『タクシーに乗った吸血鬼』

 

・「幽霊というのはつまり肉体的存在に対する アンチ・テーゼ だな」と僕は口から出まかせを言った。

 

 

 

『彼女の町と、彼女の緬羊』

 

人生というのはそうゆうものだ。植物の種子が気紛れな風に運ばれるように、我々もまた偶然の大地をあてもなく彷徨う。

外では雪が降りつづいている。そして百頭の緬羊は闇の中でじっと目を閉じている

 

 

 

『あしか祭り』

 

「ええ、たいしたことじゃないんです。まあ、いわばあしかという存在に対する先生の象徴的御援助を頂ければ、という程度のことなんです」

 

 

 

『鏡』

 

・ひとつは次元的な常識を超えたある種の現象や能力が存在するってことだね。つまり予知とか虫の知らせとかね。

でもその時ただひとつ僕に理解できたことは、相手が心の底から僕を憎んでいるってことだった。まるで暗い氷山のような憎しみだった。

 

 

 

『1963 / 1982年のイパネマ娘』

 

・「君は歳をとらないんだね?」「だって私は形而上学的女の子なんだもの」

・「大丈夫よ、私の足の裏はとても形而上学的にできているから。見てみる」

 

 

 

『バート・バカラックはお好き?』

 

どうか鋭くあろうと思わないでください。文章というのは結局は間に合わせのものなんです。

彼女は何も言わず口もとに微笑みを浮かべた。1センチの何分の1かの、とても小さな微笑みだった。

 

 

 

『5月の海岸線』

 

窓際にはゼラニウムの鉢が置いてあるかもしれない。窓からは、のどかな宗教的な光がさし込んでいる。

古い防波堤の上を歩きながら僕は予言する。君たちは崩れ去るだろう、と。

 

 

 

『駄目になった王国』:日本のようです。

一応、1990年代は世界一の経済大国。

 

「立派な王国が色あせていくのは」とその記事は語っていた。流の共和国が崩壊する時よりずっと物哀しい」

 

 

 

『32歳のデイトリッパー』

 

若い女の子のたちの十人中九人までは退屈な代物である。しかし、もちろん、彼女たちはそんなことに気づいてはいない。

 

※: 「デイ・トリッパー」(Day Tripper)は、ビートルズの有名な楽曲。

また、デイ・トリッパー:幻覚剤の通称でもあります。MDMA:エクスタシーのような。

 

 

『とんがり焼きの盛衰』

 

・鴉(カラス)なんてお互いにつつきあって死んでしまえばいいんだ。

 

 

 

『チーズ・ケーキのような形をした僕の貧乏』

 

・僕は今でも「貧乏」という言葉を聞くたびに、あの角形の細長い土地のことを思い出す。

 

 

 

『スパゲティーの年に』

 

・一九七一年に自分たちが輸出していたものが「孤独」だったと知ったら、イタリア人たちはおそらく仰天したことだろう。

 

 

 

『かいつぶり』

 

・形而上学的なドアも、象徴的なドアも、比喩的なドアも、まるで何もない。

・「親父がよく言っていたよ。他人の靴を磨いてやるとその次は靴紐を結ばされる、てさ」

・ペン習字の見本帳のようなのっぺりとした顔だちではあったけれど、口元には人の良さそうな微笑を浮かべていた。

 

 

 

『サウスベイ・ストラット』

 

・この街で永遠に若いと言えそうなのは死んだ若者たちだけだ。

金で買えないものは誰も欲しがらない。

機関銃、それはミンチをつくるには適しているかもしれないが、人を正確に殺せる武器ではない。口数の多い女のコラムニストと同じだ。

・私はドアにむけてあと三発45口径を撃ち込んだ。一発だけ手応えがあった。3割3分3厘、引退の潮時だ。

サウスベイ・シティーには雨は殆ど降らない。そこでは死体よりは手押し一輪車の方が丁重に扱われる。

 

 

 

『図書館奇譚』

 

・時間だって永久運動ではない。来週のない今週だってあるので。先週のない今週だってあったのだ。

・図書館は必要以上にしんとしていた。

迷路の問題点はとことん進んでみないことにはその選択の正否がわからないという点にある。そして、とことん進んでそれが間違いとわかった時にはもう既に手遅れなのだ。それが迷路の問題点である。

僕は今、午前2時の闇の中で、あの図書館の地下室のことを考えている。

 

 

 

[使用書籍]

カンガルー日和 (講談社文庫) 文庫 – 1986/10/15

村上 春樹 (著), 佐々木 マキ (イラスト)