入院中だった..。あれから1ヶ月かぁ..。
・・・もちろん今も禁酒は続いているが..。
過飲による体調不良は、1度や2度では
無いにもかかわらず、「喉元過ぎれば熱さを忘れ..」
健康を取り戻すとチビチビから始まり、ゴクコク→
ガブガブ→グッタリを繰り返してきた(汗)
周囲に心配をかけ「懲りないやっちゃなぁ」
・・・と見切りをつけた人達もいる中で、
根気強く励まし続けてくれた、
親族、知人、友人には感謝の念が絶えない..。
病んで倒れて
健康あってこその幸せだと自覚をするものだ..。
・・人が「痛い、苦しい」と言っていても、
その痛さ、苦しさは目に見えないので、
お気の毒だと同情はできても同苦する事は、
難しい..。
・・それでも人ごととは思えず、
幾度も足を運んでくれる人がいる。
気持ちが広いと言うか、その方々の
厚く根気強い「情」を僕は尊敬する..。
今朝の新聞コラムこのようなエピソードが
載っていた..。
【下記引用文】
ピアニストになる夢を持ちつつ、
ラグビーにも熱中する少年が、
試合中、指を骨折した。
ピアノを続けられないと、
レッスンを受けていた先生に告げると、
「音楽はやめるのか」と言われた。
黙り込む少年に、
先生は「指揮者はどうだ」と助言し、励ました。
小澤征爾氏の少年時代の話だ。
大人の一言が、子どもの夢を育み、
開花させていく転機となった。
言葉の背後にある、
自分のことを思ってくれる真剣さを、
子ども心に敏感に感じ取ったからだろう。
【上記迄引用文】
小澤さんがピアニストになる夢を
持っていた事も、ラグビーをやっていた事も
僕は知らなかった..。
よって、少年時代に、そのようなエピソードが
あったなんて知る由も無い..。
レッスンの先生の一言が人生の転機となり、
「世界の小澤」になるなんて...。
・・・運命とはわからないものだ..。
この先生の言葉が無ければ「指揮者 世界の小澤」
は誕生してなかったかもしれない訳で、
先生の小澤少年に対する深い思いに感動する。
・・「親身になる」と言う言葉はよく使われる..。
使われすぎて、この言葉の深みの大切さが
軽く感じる時さえあるし、親身でもないのに
軽く使う人もいる..。
・・・が、本当に「親身になれる」人とは
人の可能性を諦めず丹念に丹念に励ませる、
人の事だと思う...。
そうゆう方々は、自分にとって
希少な「生まれ合わせた味方」
であり宝のような存在だ..。
その真心を、いつも忘れずに、いつづけたい。
