調べものをしているときにあるサイトで偶然に以下の記事を拝見して、思わず首を傾げ&眉をひそめざるをえなかったので、書かせていただきますね。
先日のドイツ戦の感想を書く予定だったのですが、私のようなひねくれ者的な論評よりかは下記のTOPICの方が食い付きが良さげな感がありますし。

<事案の概要>

参考記事 



<私見>
率直な話、
【この井川某とかいう実業家はどういう事業を展開していた・しているのか知らんしあまり興味ないけど、ずいぶんとまぁ狂信的かつ「金の亡者」的なショボい&ダセー奴だな。むしろ、テメェの方がよっぽど「自己満足」的だし、「キモ」くね?】
【舛添要一氏も井川某とほぼ同類じゃね〜の】
というのが第一感でしたね。


以下、その理由を展開します。

そもそも、
バカラにハマって会社の金を湯水のごとく使い続けて約106億円をつぎ込んで華々しく前科をつくるというバカな真似をすること自体がきわめて「自己満足」的ですし、よっぽど「キモ」くないですかね(笑)?
つまり、
【テメェ自身がそうだからこそ、その反射的・付随的・自己投影的な効果によって、他人もそう見えてしまう】
という事象の一形態に過ぎないのではないかと思われます(このブログのいつぞやの記事にも書きましたが、「レンズ自体が歪んでいると、そのレンズ越しに見えるものも当然に歪んで見えてしまう」のと同様の原理です)。
換言すれば、
【そういう風に妙に斜に構えたようなマインドセットなりものの見方なりをしているからこそ、バカラにハマって会社の金を湯水のごとく使い続けて約106億円をつぎ込んで華々しく前科をつくるというバカな真似までもしちゃうんじゃね?
という立論も可能ではないかと考えます。

その井川某は、ゴミ拾いをしているサッカー日本代表のサポーターの方々が「自己満足」することを目的として当該行為をしている、という事実を裏付ける客観的なデータを収集して分析検討するなり独自のリサーチなりをしていた・しているのか自体も甚だ疑問です。ある意味、善意的な心情でもって上記のような行為をしている日本代表サポーターの方々に対してきわめて失礼ではないでしょうか。

サッカー日本代表のサポーターの方々がゴミ拾いをしたとしても、それらのゴミを最終的に処分するのはスタジアムの清掃担当者であることには変わりがないですし、かえって清掃担当者等の業務の効率化や改善に寄与する可能性も否定できない以上、スタジアムの清掃担当者等の労働者の権利を不当に制約することにはならないと思われます。
そのような点でも、上記の井川某や舛添要一氏の指摘は失当ではないかと考えます。
むしろ、会社経営者等の事業者経験者ならば尚更、上記のような視点はフツーにもっていてしかるべきではないですかね?(そのような視点が欠落しているからこそ、バカラにハマって会社の金を湯水のごとく使い続けて約106億円をつぎ込んで華々しく前科をつくるというバカな真似をしてしまうのかもしれませんが)

そもそも、「奴隷」とは、
人格としての権利と自由をもたず,他人の支配下で強制・無償労働を行い,また商品として売買・譲渡の対象とされる「もの言う道具」としての人間
をいいます。
しかるに、自分自身の自由な意思決定の下、自分で責任をもって善意的な行動をする人間は、「他人の支配下」にはなく、「強制」労働をしている「道具としての人間」には当たりません。
また、仮に国際世論が称賛している等の風潮に影響された結果として上記ゴミ拾いをしている人間がいたとしても、終局的には自分自身の自由な意思決定の下、自分で責任をもって行動していると認められるならば、実質的にみれば「他人の支配下」にはなく、「強制」労働をしている「道具としての人間」には当たりません。
従って、上記の方々は「奴隷」には当たらず、上記の方々を「奴隷」扱い等している井川某の言動は失当です。
むしろ、バカラにハマって会社の金を湯水のごとく使い続けて約106億円をつぎ込んで華々しく有罪判決を受けて刑務所に収監されて社会的・実質的にみて「奴隷」扱いされていたようなある意味fantasticなお方から「奴隷」扱い等されるいわれはない、などと思ってらっしゃる日本代表サポーターの方もいるのではないかとも推察できますね。

更に、仮に国際世論が称賛している等の風潮に影響された結果として上記ゴミ拾いをしている人間がいたとしても、終局的には自分自身の自由な意思決定の下、自分で責任をもって行動していると認められるならば、当該行為が現地の法令違反その他公序良俗に反すると認められない限りは、他人からとやかく非難されるいわれはないと思われます。
また、直前の

にも書いたように、ゴミ拾い等の利他的な行為には「運を引き寄せる」といった機能も果たすことを勘案すれば、日本代表を応援・後押しするという戦略的な見地からしてもあながち不当な行為ではなく、尚更他人からとやかく非難されるいわれはないと考えます。

そのような点でも、上記の井川某や舛添要一氏の指摘は失当ではないかと考えます。

むしろ、会社経営者等の事業者経験者ならば尚更、上記のような戦略的な視点もフツーにもっていてしかるべきではないですかね?(そのような視点が欠落しているからこそ、バカラにハマって会社の金を湯水のごとく使い続けて約106億円をつぎ込んで華々しく前科をつくるというバカな真似をしてしまうのかもしれませんが)


以上の理由により、
【上記の井川某の見解は、会社法のいわゆる「経営判断原則」を借用すれば、「事実認識の過程に不注意な誤りによる不合理さがあり、それに基づく推論の過程・内容に著しい不合理さがある」といわざるをえません。】
つまり、上記の①ないし⑤の事実を認識できていないと思われる点で、「事実認識の過程に不注意な誤りによる不合理さ」が認められます。また、自らの意思で善意的な行為をしている方々に対して、やれ「自己満足」だの「キモい」だの「奴隷みたいだ」等といったような感じで頭ごなしに狭量な決め付けを行っている点で、「それに基づく推論の過程・内容に著しい不合理さがある」と認められます。
(同様の理由により、行政法で著名になっている某判例の判断枠組みを借用すれば、当該判断が「重要な事実の基礎を欠」き、「社会通念に照らして著しく妥当性を欠」く、ともいえるかと考えます)
舛添要一氏の見解についてもほぼ同様のことが妥当するかと思われます。

下衆の勘繰りならば申し訳ないですが、上記の井川某は、バカラにハマって会社の金を湯水のごとく使い続けて約106億円をつぎ込んで華々しく前科をつくるといったある意味fantasticきわまりないようなことしかできなくて、さも当然的にゴミ拾い等の利他的な行為を自然にシレっとできないからこそ、サッカー日本代表のサポーターの方々等に一種の「当て付け」みたいなことをしているのではないか、とも思えてしまうのですが。

妙な例えになってしまうかもしれませんが、
結局は、特に上記の井川某の言動は、
【悪質な性犯罪を犯したような人間が、一見草食系で良くも悪くも紳士的で大人しそうな方々を見ただけで、「ウワ~ こいつらっていかにも痴漢みたいなセコいことくらいしかできなさそうだな~ 日本国民もずいぶん貧弱な人種になっちゃったな~ 日本オワタ」等と嘆いているのとレベル的には大して変わらない】
ように見えて仕方がないのですが。

もっとくだけた言い方をすれば、
【傍からみれば、上記の井川某の方がよっぽど「自己満足」的で「キモ」くみえるし、むしろメチャメチャ滑稽できわめてダサくね? 舛添要一氏も似たようなもんだけど(→こんなんだから余計に「日本の政治家はバカだ」等と昔から言われてしまうんだろうに)
ということでして。