あるサイトで、
を偶然に拝見したのですが、それに関連して個人的に思ったことを書きたいと思います。
私としては、相手をやたらと論破したがるようなタイプの人間に対しては、基本的には、
【「五丈原の戦い」における司馬懿(司馬仲達)の如く、守りをしっかり固めて、日本テレビの「イマイ」さん的な感じの対応でもって、相手の主張の骨子・概要等を把握して、自分なりに分析・検討を行う】
というスタンスをとっています。
その上で、相手の出方に応じて、「ベトナム戦争」における北ベトナム軍や「硫黄島の戦い」における日本軍よろしくみたいな感じでゲリラ戦のようなことを展開するなり、「沖田畷の戦い」における島津家久や「賤ヶ岳の戦い」における羽柴秀吉(「桶狭間の戦い」における織田信長もそんな感じかな)よろしくみたいな感じで電撃戦のようなことを展開します。
その方が合理的だし、コスパが良いし、個人的にはしっくりくるので。
ちなみに、私の中では、「相手を論破しよう」という概念自体はありません。
なぜなら、やたらと「相手を論破しよう」と意気込んでしまうと、思わぬところで足元をすくわれたり自分で墓穴を掘るような真似までしてしまうリスクも生じるからです。また、論破云々の判断は、結局は良識のある第三者が行うことであって、自分がコントロールできる範囲内のことではないからです(自分でコントロールできないようなことまでコントロールしようとすればするほど、無用なストレスが生じるので、精神衛生上よろしくないかと)。
で書いたように、私は編入試験における論文試験でも、法学や政治学の基本的事項を論理的にシンプルに繋ぎ合わせて問いに答えた(出題者が受験生に書かせようとしているであろうと推知できる事柄について、できるだけ端的に書面で示した)だけであって、さほど高尚な議論は展開していませんし、相手を論破しようという気持ちはサラサラありませんでした(大学生時代における学内試験や司法試験その他各種資格試験等でも似たようなスタンスでしたが)。英語ではいわゆる「守りの答案」に徹せざるをえなかった(→それほど悪くもなければ格別良くもない出来であると思われる)ことを勘案すれば、相応の評価が得られたのではないかと推察できます。
総じて、やたらと相手を論破しようと躍起になっている輩に対しては、私見としては、まずはきちんと相手の主義主張等をできるだけ客観的に分析・検討をすることが肝要かと考えます。
特にそういう点では、司馬懿や北ベトナム軍や栗林忠道中将や島津家久や羽柴秀吉や織田信長等はなかなか優秀ではないか、と思われます。
結局、
【論破云々は所詮は「結果論」であって、最終的には良識ある第三者が判断することに馴染む類いの事柄であるにすぎないので、やたらと「論破したがる」ようなマインドセットを行うこと自体がナンセンス】
なんですよ。