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皆様は、お笑いコンビ「ロザン」の 宇治原 史規 氏の(大学関係の)受験体験記らしきものをお読みになったことはありますか。
もし興味がありましたら、検索エンジンで検索にかけてお読みになっていただければと思います。

 

私は、少し前に彼のその体験記らしきものを偶然拝読したことがあるのですが、
私の第一感としては、
【なんだよ、こんなのはまだカワイらしい合格体験記の部類に入るんじゃね〜の】
というのが率直なところですね(十代そこそこの頃の自分ならば、かなりの確率で「なんだよコイツ、嫌味かよ」などと言ってしかめっ面をしているかもしれませんね…)。

というのは、宇治原氏は大学入試センター試験の数学において、緊張しすぎて失神し、失神した後の部分の得点は0だったものの、他の科目で上手くカバーできて第一志望校のボーダーラインを突破し、結果的にその志望校に合格できたからです。

 

私が実際に大学受験に臨んだ頃はどうだったかというと、
【大学入試センター試験の初っ端の科目の数学において、一生懸命に問題を解いている途中に、突如として鼻血がドバドバ噴き出してきて(私は生まれつき呼吸器系統や鼻の粘膜が弱いようで、昔からその部位に関する疾患にしょっちゅうかかって&鼻血を出していました。それでも当時はだいぶ鼻血は治まってたんですけどね)、咄嗟にポケットティッシュを丸めて慌ててそれで鼻の穴を塞ぎつつ何とかしのいだつもりだったものの、結果的に不満足な点数をとってしまいました。そして、その初っ端の科目で出鼻をくじかれることになった波及効が他の科目にも及ぶ結果となりました。】
結果として、自分にとって及第点をつけられる点数だった科目は、世界史と地学のみでした。

 

直前に私の出身高校において行われたプレ試験では800点満点中約700点だったこともあって、「よ〜し、本番ではこの余勢をかって何とかボーダーライン近辺にしがみついて、二次試験の前期日程(筆記試験)で一世一代の大勝負をかけてやろうか」などと意気揚々として本番の試験に臨んだだけに、本番の大学入試センター試験の翌日に出身高校でやらせられた自己採点の結果を見てかなり呆然とし、ショックで3日間くらい何もできなかったです(日本史で例えるならば、上田原の戦いで村上義清軍に完敗した後の武田晴信みたいな感じでしたね)。
やむなく当時の第一志望校の志望学部を変更し、前期日程では数学の全問を完答する等、自分なりにできるだけのことはしましたが、結局は上手くいきませんでした(ちなみに、私の出身高校でその第一志望校を受験した文系の現役生は「全滅」(浪人生では2名程うかったくらい)だったそうです)。

 

その後、後期日程で、私が学士編入する直前に卒業した大学の入学試験を受験したときは、心身共に「最悪」に近いコンディションでした(あそこまで悪いコンディションで試験を受けた記憶はまずないですね…)。
というのは、

【自分がどういう問題を解いたか・どういう回答をしたか云々に関しても、一切記憶に残っていない】
くらい、心身がフラフラクタクタ状態でしたので。

惰性で乗り物が動いていることがありますよね?そういう感じで問題を解いていたようなものですよ。マンガで例えるならば、「東京大学物語」の主人公が最初に某T大の筆記試験を受けていた状態をかなりクールにしてドンヨリしたような感じだったように思います。おそらく、前期日程の合格発表を現地の大型掲示板で見た途端に「一応は数学で全問完答できたし、他の科目も今までの模試よりも結構マシな出来だったような感触だったんだけど、ダメだったか…」みたいな感じで落胆したあまり、今までの疲労がドッと吹き出たのではないかと思われます。歓喜と落胆の声で錯綜していた現地から地元に戻った当日の夕方近くになって、当時の出身高校で英語の教員を務めていた学年主任のA先生がわざわざ私の実家の方に電話をかけてきてくださって(後期日程の筆記試験が2日後に迫っていたので)、「こうなったら開き直って、今までの貯金を使い果たしてこい」等と電話越しに激励されたこともあって、前期日程に関するショックを引きずりながら3回以上も電車を乗り違えてフラフラになりながらも何とか地元から後期日程の試験地に辿り着いた記憶がウッスラとあります。そのようなコンディションで入学試験を受けたから、その試験にすら合格するかどうかについてもかなり微妙ではないかと思われたので、某大学受験予備校の入学申込書みたいなのを書いていつでも出せるように準備しつつ、わざわざその予備校まで地元から電車で約数十分かけて下見に行った程です。

 

結果的には、浪人しないで済みました(学士編入前の大学・学部を受験する際には、所属学科については第一志望ないし第四志望まで自分で選定することができたのですが、幸いにも第一志望の学科で入学が許可されました)。

仮に浪人しても当時の第一志望の大学にうかる保証は一切ないと思われた、学士編入前の大学に入学しても自分の興味のある分野の勉強はできると思われた、その他経済的理由等により、学士編入前の大学に入学することになりました。

 

今でも、上記の判断は妥当だったと思っています。というのは、私の出身高校の同期で、かつ、私と共にその第一志望校を受験した結果として浪人をし、翌年にその大学に合格できた文系の受験者は「わずか数名」だったからです。特に(このブログのいつぞやの記事で紹介させていただいた)成績優秀だった私の出身校の野球部の部長・キャプテンのN君が不合格だったのを確認したときには、愕然としつつ、「やっぱり俺は浪人しないでよかったんだろうな。それにしても特にN君は気の毒だよな…あれだけ成績優秀で、しかも、気合いを入れてわざわざ駒場付近に下宿してまで必死こいて勉強していたんだろうに…」などと苦虫をかみつぶしたような感じというか、複雑きわまりない感情になりながら、主に簿記関係の勉強をしていた記憶があります。


学士編入前の大学の系列の大学院に進学する、公務員試験の受験、某資格試験の受験への専念等の選択肢もあったのですが、「自分が後々後悔しないであろうという確率が高い」という観点から、消去法的に、試しに他の大学の法学部への(学士)編入試験を受けてみようという意思決定をしました(商法などの分野に特化する覚悟があったのであれば、そのまま法学部系の大学院に進学するという手段も採りえたのでしょうが、いかんせん、昔から主に西村京太郎の推理小説を読みふけっていた私がもっとも興味をもったのは、主に刑法その他の刑事系の分野や概念法学系の分野だったので)。
今でもその意思決定は妥当だったと思っています。なにせ、学士編入する前の大学でもっとも興味をそそられた講座が、一般教養の心理学関係の講座でしたし(笑)。そういう状態でただ惰性的に経営経済関係の大学院に進学していたら、かなりの確率で、猛烈に後悔していたと思います(事実、かつて私がお世話になったあるお方が、当時の私のGPAの裏付けとなる証拠資料(成績証明書)を見ながら「こんなに成績が良いのに、当時のあなたが一番興味を持てた授業が一般教養科目の心理学関係の講座だったの!?それだったら、他の分野に転向したのは妥当だったと思うよ」という趣旨の指摘をしていた程でしたし)。


某編入関係予備校の夏季講習等を媒介にした法学部への学士編入に向けた試験の勉強については、一言で言えば、正直、「かなり楽しかった」です。特に論文試験対策で勉強した法学・政治学については、元々歴史好きの自分にとっては、常に知的好奇心がバシバシ刺激されましたね(しかも、各大学の編入試験でよく出題される分野から優先的にピンポイントで学習できたので、それなりに効率的・効果的な勉強ができていたように思われます)。ただ、英語の専門的な単語を覚えたり、それなりに複雑かつ専門的な内容の英文を和訳したりする訓練には結構手こずりました(元々、英語よりは数学や社会の方が好きで相性が良いタチなので)。
卒論との兼ね合いも考慮して、第一志望校(結果的に学士編入できた大学)の日程に自分のピークをもっていくように自分なりに分析検討をして戦略を練って、卒論の準備と同時並行的に編入試験に臨みました(仮に第一志望校が残念な結果になった場合には、卒論を書き上げた後で他の大学の法学部の編入試験を受けるつもりでいました)。

第一志望校の英語の試験においては、難解な専門用語が満載だったこともあってわりと苦戦を強いられましたが、論文の試験については「マジで楽しかった」です(客観的にみても、大問2問とも「それなりの良問」だったように思われます)。当時自分のもっとも興味のある分野・将来活躍したい分野だったから、尚更そう感じたんでしょうね。「英語で足キリに相当する点をとってなかったら何とかなるかな」と思いながら、編入前の大学で必死になって卒論を作成していたら、本当に何とかなってました。ホッとしながら卒論用の文献等で溢れていた下宿先の部屋から合格通知書を実家にFAXで送った記憶があります。


総じて、「結果オーライ」というか、「人生万事塞翁が馬」の一種の発現形態といえるかもしれませんね。

 

正直、個人的には、特に学風については、大学受験において前期日程で実際に受験した大学よりは、学士編入した大学の方が断然好きです(もっとも、学士編入前の大学も雰囲気は悪くなかったですし、私が学士編入した以降においても学士編入前の大学やその土地の悪口は一言も言ったことはありませんが)。
というのは、元々私の父方の家系がいわゆる「左」寄り(祖祖父が秩父事件に関与した疑いで獄死または処刑されているそうです)で、私自身も、元々自由で伸び伸びとした雰囲気が好きというか、どことなく天邪鬼というか、いわゆる「官僚的」な性質等に対してマユにツバをつけてしまうようなタチなので。幼少期から育った環境(戦国大名で例えるならば「織田家と織田家に挟まれた」ような環境、映画で例えるならば「用心棒」の宿場町のような環境)から派生した私の感覚も多分に影響しているのかもしれません。


以上が、私の大学関係に関する受験体験記(実話)です。

 

大雑把な流れで概略を示すと、

半ばなりゆき的に経済経営関係の学校で勉強

→その学校でもっとも興味をそそられた講座が一般教養の心理学関係の講座

→某資格試験の勉強をかじったりしていたときに書籍「墜落遺体」等を読んで脳に衝撃を喰らう

→元々社会科好き&推理小説好き

→主に刑事法関係に興味

→消去法的に法学部の編入試験を試しに受けてみることにした

→インターネットで検索してたまたま見つけた某編入関係予備校の気の利いた講座を受講

→結果的に学士編入して法律関係の分野に転身できた
という感じですね。

 

以上が、「ロザンの宇治原氏の大学受験体験記らしきものは、まだカワイらしい合格体験記の部類に入るだろうな」等と私が感じざるをえなかった理由です。

 

 

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