私の家にはテレビがない。

1日の大半が仕事で家にいないし、深夜に帰宅しても興味のない番組ばかりだったから、アナログから地デジに変わる時もそのままにした。それ以来、テレビを観ていない。


気分転換の一貫であるDVD観賞は、今から約30年前、自立して独り暮らしを始めた時に買ったテレビに、チューナーを接続して観ている。


そんな訳だからニューズはネット専門で、毎朝、仕事の着手前に必ず確認する。


最近、連日のように掲載されている〝結愛ちゃん事件〟には涙が出る。

そして、血が沸騰するほどの猛烈な怒りしか湧かない。

報復が怖いから通報できなかったって、要は、自分の保身で娘を生贄に差し出したってこと。

そんなに邪魔なら、児童施設に預けるなりして、堂々と親の責任を放棄する選択肢もあったはずなのに。


親はなくても子は育つ。


ましてや、この母親が結愛ちゃんにとって最善だった訳がない。それでも、5歳の結愛ちゃんにとっては絶対だったのだ。


私に子供はいないから、親の大変さは知らないし、想像はできてもわかっていると言える立場にない。


・・・だが。

この母親も共犯だとしか思えない。


長年、亭主の暴力に支配されて怖かっただろう。

だからって、結愛ちゃんに何の責任もなく、言い訳にならない。

結愛ちゃんの味わった恐怖と苦痛は、想像を絶するものだったであろう。

裁判で涙ながらに謝罪したとあるが、その涙に本当に申し訳ない気持ちが含まれているのだろうか?


こうなる前に、結愛ちゃんの恐怖に怯える涙も、暴力の痛みに耐える涙も、散々見ていた。

いや、それを黙認して傍観していたのだ。


結愛ちゃんの生まれた意味は何だったのか・・・


結愛ちゃんのご冥福を祈ります。

もし、また人間に生まれるなら、今度は愛してくれる親の元にしてあげてください。