Life is war , for the happy ~僕が僕であるために~ -3ページ目

『絆』は形を変え・・・

最近、ユイにとって大事な『絆』を一つ失いました。


10年の付き合いがあり、『偽善者』ユイが最も自分を犠牲にしてでも大事にしていた『存在』。

学生の頃に一目惚れし、ユイの親友と付き合う事を全面的にバックアップし、『妹分』として常に大事にしてきた『存在』。

自分が嫌われようと、そいつの為にあるべき厳しい事も要求してきた『存在』。


のちに「俺が側にいてはダメになる」と思い、付き合いを断ち・・・。

昨年、その『妹』は、見る影もないほどボロボロに傷つき、『兄』のもとに帰ってきました・・・。


そして、その『妹』は一時その境界を越え、羽を癒し、強さからか弱さからか・・・、ユイの元を巣立ちました。

ユイとの絶縁という形で・・・。

ユイの人生において過去最大の『裏切り』を伴いながら・・・。

涙もない、言葉も出ない、あっけない結末・・・。


今は、「でもやっぱり、それがお前だよ。」と言える様になった気がします。

(もしかしたら、追い込んだのはユイの方だったかもしれないし、あるいはアイツなりの優しさがあったかもしれない)


今までの人生における最大級の『絆』。

その『絆』は、今の『偽善者』ユイを形成する最も重要な要素だったと思います。


失われた『絆』。

「いや、この『絆』は失われたのではなく、形を変えたのだ」と今は思います。


前述したとおり、今の自分を形成する、自分の中で生きている『経験』や『影響』。今の『考え方』。

『過去』への『決別』ではなく、『決着』を経て、『未来』への一歩。

ユイの中で脈々と生きる大切な『記憶』。


遠く離れても、その『存在』はユイの中で存在感を示し、きっと今後の自分にプラスになっていくでしょう。

きっと、アイツにとってもそうだろう・・・。それだけは疑うべくもなく・・・。


『絆』は形を変え、これからもユイを形成する要素の一つとなっていく。

もっと自分らしく・・・。もっと素晴らしい自分に向かって・・・。


惜しみない敬意と、愛を込めて・・・。

自分の『心』にその『絆』をしまう。


 ※ここら辺の詳細は、いずれ【テーマ】『昔話』で・・・。

自分の『価値』知ってますか?

『価値』ってなんだろう。

通常なら、物の値段だったりその有用性や貴重さだったり、、、


前に流行った「あなたの値段鑑定します」系のサイト。

ユイはいくらだったかなぁ・・・。


人間に『値段』はつけられない。


仮に値段をつけるとすると、、、

年収3000万の人は40年働くとして12憶なのか?


実際にある話、、、

命の値段は20万円を下る。その額で人殺しの依頼が出来る時代だ・・・。

でも、延命措置には何千万も掛かったりする・・・。


話はちょっと変わって、ユイの好きなワインの値段の話。

同じ畑で採れた、10年物の1万5千円のワインと、その前年に取れた1万円のワイン、どっちがおいしいかって話。(飲み頃の話はおいておいて・・・)

実は1万円の、安いワインの方がおいしい。(一般的に・・・。)

何故なら、1万円のワインは、天候が良くてたくさん取れたから安いのであって、たくさん取れた年の方が当然うまいからだ。

言い方は悪いけど、、、高いワインは「ただ値段が高いだけ・・・。」


賃金にも似たような事が言えるケースがある。

ユイは管理系や経営系の仕事をしている。

当然、わりと給料は貰っている。

でも、ユイから見て「とても仕事が出来るなぁ」とか「俺にはとても出来ないなぁ」って仕事をしている人が、ユイが尊敬するような人が、ユイより安い賃金で仕事をしていたりする。


『値段』は需要と供給のバランスで決まる。

稀少度や貴重度が高い分だけ『値段』は上がる。

最近のガソリン代だって、以前より品質が上がったわけでもないのに高くなっている。


さて、『人間の価値』。

人はそれぞれオンリーワンだと思う。

それぞれにそれぞれの世界があって、様々な過去や未来を抱えて、一様にして特別だ。


ユイの『連れ』達は、誰一人として替えが利かない。

ちょっと自信過剰かもしれないけれど、『連れ』達にとってのユイもそうだろう。。。


人は一様にして希少価値を持っている。


また値段の話に戻る。

ピカソやゴッホの絵は高い。

売れない画家はたくさんいる。

ピカソやゴッホは、「たまたま社会にその感性を認められた、共感されたアーティスト」にすぎないと思う。

アーティストは、「自分の感性・価値観を、自分の為に表現している人」なんだと思う。

それぞれにとってその価値は、ピカソやゴッホも、売れないアーティストも、それぞれの中で非常に高価なものなんだろうと思う。



人はえてして、他者から『値段』の類をつけられる。

見た目、性格、年収、地位、名誉、etc.etc...


本当の自分の価値は、自分にしかわからないものものなんだと思う。


人から評価されたり、好感を持たれたり、、、

それはとても幸せなことだ。

自分の『価値観』が他者からも認められたってことだ。


でも、一番大事なのは、『自分が自分を認められる事』


『価値』のない人なんかいない。


ユイから見ると、『自分は価値のない人間だ』と真剣に悩みながら生きている人ほど、『価値』がある人間に見えたりする。

とても純粋で、一生懸命に、真っ直ぐに、もがきながら生きている人が多い。

とても素敵に見える。


前に書いた、『絆と運命』 の話。

ユイは、たくさんの人たちとの『絆』や『運命』によって、いまここに存在している。

途中の誰一人、どの一事件、どの一言が欠けてもここにはいないんだろう。

掛け替えのない『縁』。自分を形成する、欠けてはならないパーツ達。。。


きっと、全ての人々が、それぞれそんな存在のつながりの中にいるんだろうと思う。


だからやっぱり、『価値』のない人なんかいない。


その上で、自分の『価値』を高めるなら・・・。

自分を『認めてあげる』事。『認められる自分になる』事。


「自分を好きになろう!」「誇れる自分になろう!」「誰が何と言おうと、自分はしっかり前を向いて歩いてるぞ!って言ってやろう!!」


ユイには、自分の『価値』はよくわかりません。

でも、自分でもっともっと好きになれる様な人間に向かって、日々歩んでいきたいと思います。


辛くとも、、、険しくとも、、、

時に『絆』に助けられながら・・・。

器の大きさ 人間の大きさ

『器』の大きい人、『人間』の大きい人、いたりしますよね。

でも、『器』とか『人間』の大きさって、何なんでしょうね。


ユイが考える『器』の大きさ。

それは『認める』ことのできる力だと捉えています。


『認める』。英語で言うところの『recognize』。あるいはこちらの方がニュアンス的に近いかと思います。

あらゆる物事において、否定でも、肯定でもなく、ただ素直にそうである事を受け入れる事。

『理解=理屈・道理をもって解る』ことでも、『納得=理解したとして納める』ことでもなく、ただただその事象を正確に、先入観や固定観念やヒイキ目や感情的な部分を無しに、『認識』する事。

いい事も、悪い事も・・・。自分の弱い部分も、誇れるところも・・・。


この『認める』ことのできる力が『器』の大きさであり、より多くの事を、より多くのシーンで『認める』ことが出来る人が『器』の大きい人なんだと思います。


ちょっと話がそれますが・・・

よく近い意味で『心が広い』などと言われたりしますが、ユイの捉え方では似て非なるものです。

詳しくは多分別の機会に語りますが、『心の広さ』は、自分は勿論のこと他者も含めて、あらゆる感情・心情を受け入れる・飲み込む・吸収する力だと思います。

これはこれで大事なことなので、当然、『器の大きい人』と同様に『心の広い人』は素晴らしいと思います。


『器の大きい人』は、あらゆる物事を見る目、世界観や人生観に優れる人だと思います。

『心の広い人』は、人間同士の関り合いの中で、より人を見る目、人を思いやる心に優れた人だと思います。


さて、本題に戻して・・・。

『器の大きい』人は、その特性から、あらゆる物事を吸収し、自分の力に変えていけるだけの、文字通り『器』の容量が大きい人です。

そして、その『器』の中身がどれだけ大きいかが、『人間の大きさ』なんだと思います。

『器』が小さければ当然中身はそれ以上大きくならないし、『器』が大きいだけでも中身が伴わなければ『大きい人間』になり得ません。

大事なのは、『大きい器』をもって、あらゆる物事を吸収していく事なんだと思います。吸収する為に必要なことが『recognize』です。


あと一つ、、、

『器が大きい人』、『人間の大きい人』は、えてして『心の広い人』です。

それはきっと、『心が広い人』でなければ、前述した『正確に、先入観や固定観念やヒイキ目や感情的な部分を無しに』受け入れる事が出来ないからなんだと思います。


そう考えると、まず『広い心』を持つ事が肝要なんでしょうね・・・。


ユイは、、、まだまだですね。。。

これからの成長に期待です。


自由恋愛

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はじめに・・・
この記事は"himizou"さんからのコメント を元に書いています。
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『自由恋愛』って言葉、よく耳にします。『恋愛は自由。』同じ意味でしょうか?

人が誰かを好きになる。それは至極当たり前の事だし、素敵なことだと思います。
誰が誰を好きになるかなんてわかりません。
えてして、好きになった時に好きになった理由は明確ではないものですから。


だからユイは、社内恋愛とか教師と生徒だとか不倫とか同性愛とか、全ての愛の形に否定的ではありません。
好きになってしまったものは仕方ないですから・・・。


ただ、以前記事にした『覚悟』 の話。
恋愛は、各々の『責任』において行うものだと思います。


だから恋愛をするからにはそれなりの『覚悟』が必要です。

周りから何を言われるかわからない・・・。
人を傷つけてしまうかもしれない・・・。
相手を不幸にさせてしまうかもしれない・・・。
別れてしまうかもしれない・・・。
目の前の恋に走った結果、人生をおかしくさせてしまうかもしれない・・・。


前段の話ですら、好きになってしまったものは仕方ないにせよ、そういう状況にしてしまったのは各々に責任がある筈です。(2人で会ったりとか、甘えてみたりさせたりとか、、)


冒頭の話に戻りますが、『自由』というのは『全てが許されている』事ではなく、『全て自分の責任において行う』事だと思います。
恋愛でいえば、『誰かの事を好きになるのは勝手だけれど、誰の事を好きになっても構わないけれど、それによる代償があれば『責任』は取らなければならない』のだと思います。


さてこの『責任』。『責任をとる』ってどういう事なんでしょうか?
ユイは、やってしまった事は基本的に取り返しがつかないものであると思っています。
より良くしたり、償ったり、やり直したり、許しを乞うたり・・・
色々フォローの方法はあるけれど、それで『やってしまった事がなくなった=元に戻った』わけではないのです。しっかりと、経験とか記憶とか傷だとかとして、残ってしまうものなのです。


ユイの考える『責任』の取り方。
それは、『しっかりと自分の中で受け止めて、逃げずに前へ進む』事だと思っています。
「あぁ、ひどいことしたな。」、「最低だったな。」、「ああしておけば良かったな。」という想いや傷を抱え、それでも前に進んで、いずれ『昇華させる=未来に役立てる、もっと良い自分になる』事だと思います。



あと一つ、この『責任』取り方は、『自己完結』をするという事ではありません。
『絆』を持ったすべての人やその周りの世界に、少なからず影響を与えているのですから、相談したり、助けてもらったり、謝罪したりはあって然るべきだと思います。それこそ自分の『責任』で。
※ここら辺の話は、また別の機会に【絆とか運命と言われるものについて考える】【友情について考える】 で細かく語るかと思います。


ちなみに、こんなこと言ってますが、ユイは『自由恋愛』応援派です。
とことん『恋愛』して、とことん苦しんで、とことん幸せになればいいと思います。
『恋愛』こそ、自分の全てを懸けて挑むべきものではないかと思っています。



--- himizouさんへ ---

ユイの『自由恋愛に対しての責任』についての考え方は、前述でお話しした通りです。


"himizou"さんは、十分に悩み、苦しんでいるのだと思います。
その人に支えられて生きている、決してそれ自体悪い事じゃないと思います。
支えになってくれる人がいるのは素敵なことです。


でも、その『罪悪感』から逃げたままではいけないのだと思います。

"himizou"さんにとって、一番大事なのはなんですか?
その人ですか?子供ですか?自分自身の女としての幸せですか?


一番大事なものを見つけ、それに向かって、覚悟をもって自由に進むべきだと思います。
きっと、どの様な道を選んだって、それ相応の苦しみを持つことになるでしょう。
様々な罪悪感が残るでしょう。大事なのは、受け止める事です。


ここから先は、"himizou"さんが考える事だと思います。
あなたは『自由』です。『自由』にご自分の『責任』で答えを探して下さい。(例え人の考えに身を委ねたとしても、それもご自分の責任です。)



その上で、敢えてユイが考えられるパターンをあげておきます。
・その人が一番大事なら、その人の気持ちを尊重するべきでしょう。
 迷惑がかからないように、その人と別れたり、今の夫と離婚したり

するのかもしれません。
・子供が一番大事なら、夫に全て話して、家族でどうするか考える

べきでしょう。
 新しい家族の形が生まれるかもしれません。やっぱり離婚する事に

なるかもしれません。
・自分自身の女としての幸せが一番大事なら、全てを捨ててでも、

相手の奥さんから奪ってでも、その人を求めるべきでしょう。
 一番ダメージは大きいでしょうけれど・・・。


すべて自分の中に抱えて、今のまま過ごすのも、ひとつの道ではあります。

ちなみにユイは・・・、3歳の頃に親が離婚しています。
でも離婚の事実を知ったのは17歳の頃でした・・・。
ずっと、単身赴任的に誤魔化されていました。(バカですね・・・。)

それでいて、母親は10歳頃から別の男性と暮らしていましたね・・・。
15歳ぐらいからは僕も一緒に暮らしていました。

当時は、「それも現実、母は母、俺は俺」と割り切っていたものです。
その頃から、ユイには『理想の人間象』がありましたから・・・。
母には、母の幸せを追求してほしかったから・・・。

※注※ 離婚を推奨するものではございません。あしからず・・・。

付き合ってどうしたいのですか?

ちょっと昔、とても好きだった女性に気持ちを告げた時、

「どうしたい?どうして欲しいの?」と聞かれた。


何も言葉が出なかった・・・。


その時はただ気持ちを伝えたかった。

確かに、付き合いたい気持ちはあった。だけど、付き合う事がなんになるのか、すぐに答えが見つからなかった。


「付き合ったら何が変わるんだろう?」「付き合ってどうしたいんだろう?」

もちろん、「デートしたい」だとか「キスしたい」だとか「セックスしたい」だとかという思いは少なからずある。

でも、何かが違った。

極論を言えば、そんなこと付き合ってなくたってできる。


その人の存在は、ユイにとってかなり特別だった。

その存在が自分に『負けない・逃げない』強さを与えてくれた。

負けそうな時、逃げそうな時、存在を感じては、顔を上げ前を向き歩いてこれた。


何がしたいのか・・・。

決してエゴをぶつけたい訳じゃなかった。


その人にとって一番大事な存在になりたかった?

確かになりたいけれど・・・、それも違う・・・。


その人の事を一番大事に出来る存在になりたかったのだと気づいた。


前に語った『恋と愛』の話。僕はその人を『愛』していた。


思うに、その人の事をいかに『愛』していても、その人の為にしてあげられることには、目に見えない領域・制限みたいなものがある気がする。


例えば、

友達なのに、相手にお小遣いをあげて「遊んでおいで」だとか、自分がモロに犠牲になって助けてあげたりする事はし難い。相手にとって負担になる。よく分かり合えた恋人同士なら、状況に応じてそれもアリだろう。


もっと言えば、

相手の親が急に体を壊して急な手術代を出してあげるのは、ただの恋人にしてはいき過ぎだろう。婚約者ならあり得るかと思う。

結婚をしていれば、相手の家族ひっくるめてサポートしたりも出来る。


交際のレベルが上がるという事は、相手にしてあげられる事が増えるという事。注いでいい『愛』の上限が増えるという事な気がする。


もう一つ、その人にとって、その人が傷つけても困らせてもいい、心から頼っていい存在になりたかったんだと思う・・・。

お互いに、素直に求めあえる、与えあえる存在になりたかったんだと思う。



それと『恋』の部分の話。

ユイが相手に望んでいたもの。


それは、『時間を共有したかった』につきる・・・。

些細な日常や、先に待つ困難や喜びをともに過ごしたかったんだと思う。

同じ風景を、同じ時間を、一人ではなく二人で共有したかったんだと思う。

過去の傷みも現在の輝きも未来の喜びも・・・。

どう生きますか?どう死にますか?

しばしば話題に上がる事がある「過去に戻れるとしたら、いつに戻りたい?やり直したいことはない?」という議題。

ユイはいつも、「特別戻りたい時もやり直したいこともない」と答えます。


全てがうまくいってきたわけでもないし、辛い事が無かったわけでもない。今が特別幸せなわけでもない。

むしろ要所要所の岐路ににおいて、多分、常に辛い方、困難な方を選んできたと思う。(ここらへんも、前に話した『理想の人間像』にかかってくる)


きっと、あの時、こうしていれば、今頃もっとHappyだったろうなとか、思うことだって沢山ある。


じゃあ、何故「過去に戻りたい、やり直したい」と思わないのか・・・


それは、後悔をしていないから・・・。


ユイは、色々な場面場面、行動において、真剣に挑んできたつもりです。

当然間違った判断もしたし、自分が辛くなることが分かってて辛い道を選んだりもしてきました。

『覚悟』をもってすべての事を受け入れてきました。(時として逃げ出したくなる時もあったし、死にたいぐらい凹んだことも数え切れずあったけれど・・・)


だから、後悔はしていない・・・。過去の思い出として輝かしく見える事はあるけれど・・・。この道を選んできた自分には誇りを持っている。


それに、きっと僕は、過去に戻っても結局同じ選択をしてくるんだろうなと思うし、今現在の自分が築いてきた『傷み』や『苦しみ』や『喜び』や『絆』を失う事の方が、よっぽど辛い事のように思える。(あんなに苦しい時間を越えてきたのに・・・)



さて、タイトルの話。

今回りを見渡すと、至って健康体でありながら『生きる為に生きている』人や『死にながらに生きている』人が多い様に見える。

『ただ日々を過ごす為にそれなりに仕事をして、目的も持たずに何となく生きている人』や、『色々なことから、ましてや自分からも目を背け、あらゆるものから逃げながら生きている人』だ。


『どう生きるか?』

人生を有意義に過ごす為には、自分が何を成したいか、どうありたいかを強く持っていく事が大事だと思う。

快楽主義でもいい。ただ楽しく過ごそうと一生懸命に過ごす。十分素敵だと思う。

大義をもって、会社を興そうとしたり、慈善活動に精を出している人たちも素敵だ。

とても輝かしく見える。


でもユイには、そんな大それた大義もなければ、残念ながら日々楽しくといった生き方も性に合っていない。

ユイは『どう死ぬか?』を大事にしている。


人間必ずいつかは死ぬもの・・・。いつ死ぬかすらわからない。

だから、一日一日、一瞬一瞬を、大事に、真剣に、必死に生きようと思う。

一つ一つの『絆』や『運命』を真剣に捉えたい。


たとえ明日突然死んでも、その時が自分の人生で最高でありたい。胸を張って、やり残しはないと言いたい。

実際には、とても難しいのだろうけれど・・・。


覚悟を持って生きよう。

『覚悟』

自分の行いや言動について、責任を持つこと。こうだと決めた事について、全力で、時として命がけで挑むこと。


ユイは『覚悟』を大事にしています。


ちょっと話はズレるけど、飲みの席で話題に上がったりする「好きなタイプ、嫌いなタイプ」の話。


ユイは『好きなタイプ』として、必ず『真剣に生きている人、苦しみながらも逃げずに前に進み続けようとする人、自分の弱さを受け止めている人』とあげます。


一方『嫌いなタイプ』、と言うより『許せないもの』して話すのが

磨けば、痩せれば可愛くなるのに、それをしようとしない人。自分が可愛いと自認して、磨く努力を忘れた人。


もっと『許せない』のが

自分が努力をせずに、人や何かのせいにし続ける人。好きな人が出来たからと言って、好きになってもらう努力もせずに、周りを妨害したり、周りに「私が好きになったんだから手を出さないでよ」等と牽制する人。


そして『一番許せない』のが

「好き」だとか「愛してる」という言葉に、責任を持たない人。

その人を幸せにするだけの努力もしてなければ、その自信すら明確に持たずに、「幸せにするから」だとかいう人。

自分の好きな人が自分を好きになってくれた時に、ともすればその大事な人を不幸にさせてしまうかもしれないという怖れを抱かない人。

単純に、冒頭で挙げた『覚悟』を持たない人です。


人は生きていく上で、いろいろな人の行動や言動に立ち会い、少なからず様々な影響を受け、人生を進んでいきます。

自分の何気ない一言が、それを聞いた人の心理状況に少なからず影響し、その先の岐路における判断の一端を担ったりします。


ましてや、「好き」とか「愛してる」だとかの言葉や想いは、人生に物凄く大きな影響を与えます。


恋愛だけではありません。

例えば、世の社長は「なんとしても会社を成功させる。社員の人生への影響を背負う」という『覚悟』が必要でしょう。

ユイにはその『覚悟』がなかったから、今まで起業を考えてきませんでした。


昔の同僚で、のちに自分の部下となった『覚悟』を持っていなかった男がいます。

ユイはその男が嫌いでした。

仕事が出来ない奴でしたが、なにより、仕事が出来ないという事実から目を背け「できるやつがすごい、自分は凡人だ」で済ませていたからです。


あるとき私は、その男を問いただしました。

「自分、どうなりたい?仕事が出来るようになりたい?今の自分で満足してるの?」

その男はしばらくうんたらかんたら言ったあと、

「そりゃあ出来るようになりたいし、満足もしていない。でも一生懸命やっても出来ないんです。」と返しました。

男泣きしながら訴えるその男に、追い討ちをかけるように僕は、

「いや、本気で一生懸命やってないね。覚悟が足りない。人の半分しか能力がないなら、人の倍やってみろよ!本当にできる人間でありたいなら、出来る自分を意識して命がけで進めよ!!俺は、確かに人より仕事が出来る自信がある。が、それ以上に、人より努力している自負がある。それは、自分のありたい人間像として、仕事は出来るやつでいたいからだ!必死でそうあろうとしているからだ!!」


のちに彼は、誰からも慕われる管理職になりました。私の最も信頼する部下になりました。

彼は、人生を再興する『覚悟』をもって、仕事にもプライベートにも挑むようになったと言います。

その時の彼は、私から見ても非常にカッコイイ男でした。


『覚悟』があれば何でもできる!とは言わないけど・・・

『覚悟』がなければできない事は、ものすごく多いと思います。


最近のユイは、『覚悟』が足りない事が多々あります・・・。


もっと、『覚悟』をもって生きよう!と自分を見直すこととします。

恋と愛の違いって何?

また深い題材になってしまいましたけど・・・。


『恋』と『愛』ってなんでしょうね?恋しいのと愛しいのの違いってなんでしょうか?


ユイの解釈では、

『恋』は自己完結の問題。『愛』は相手への干渉の問題だと思っています。


わかりやすく言うと・・・


『恋』は自分がどうしたいか?自分がどうなのか?自分が何を求めるのか?

自分の視点・想いにおいて、自分の為に相手を想う事が『恋』に当たると思います。


一方『愛』はというと・・・

相手に何をしてあげたいか?自分の損得は一切抜きにして、何を与えたいか?と思う事だと思います。


これだけ見てると、『恋』が利己主義で『愛』が利他主義に見えますが、実はこれ、それぞれ一方通行の自分主義世界でしかなく、『恋愛』にはならないんです。


『恋愛』は、文字通り『恋』と『愛』が共存してこそ成り立つのだと思います。

相手に何かしてあげたいと思うのみでは『慈愛』にしかなりませんし、自分の想いをぶつけるのみでは『愛』は生まれません。

また、自分のみが『恋愛』を成立させていても、それは『片想い』でしかありません。

(『片想い』は自分主義で相手の為に何かをしようとし、自分勝手に相手に何かを求める可能性を秘めています。究極系はストーカーですよね。)

何かしてあげるにしても、相手に求められているかどうかが重要です。

お互いに相手を想い、お互いに求め、お互いに与えあう事、ここで初めて本当の『恋愛』が成り立つのだと思います。


実際に、この相手を求める事と想う事のバランスがつかなくて、別れていってしまう事も多いでしょう。

私の周りにも、お互いに相手を想う事ばかりが先行して、危なっかしいカップルがいます。


かくいうユイは、まだ本当の『恋愛』が出来ていない気がします。

『恋』はしましたし、『愛』した人もいます。が、やっぱり『片想い』です。

逆に『片想い』をされていたことも多くあります。


多分、前のテーマで語った『相性』はこの『恋愛』のバランスにも関係してくるんだと思います。


一緒にいる上で重要な相性

一緒にいる上で重要になってくる相性って、どんな相性でしょうか。


よく、『性格の相性』と『体の相性』を耳にします。


『性格の相性』は、趣味・嗜好的な要素で、好きな遊びだったり、食べ物の好みだったり、要は『一緒にいて楽しいか?心地よいか?』の部分だと思ってます。


『体の相性』は、セックスの嗜好性(内容や回数、性欲の強さなども含む)と、文字通り体と体が合う・合わないだったり「イク」タイミングだったりだと思います。


しかし、、、

重要なのはこれだけではない事に、最近気づくようになりました。


『性格の相性』と『体の相性』は、付き合っていく上でとても重要です。

逆にいえば、それさえあれば付き合っていく十分な理由になるのではないでしょうか?

(その他に、当然『愛』だとかなんだとかありますが、それは別の機会に『愛』とは何かを考えることとします。)


付き合うという行為自体は、『現在』をどう生きるかの問題だと思います。

相手の事が好きじゃなくなったら、一緒にいる事にメリットがなくなったら・・・、別れてしまえばいい。

その時の『現在』にとって不要な存在だからです。(ちょっとドライ過ぎる表現を敢えてしますが。。。)


でも、、、

『現在』だけじゃなく、『未来』はたまた『過去』まで含め、『人生をどう生きるか』をベースに考えると、やっぱり前述の相性だけでは足りない気がします。


『人生観・価値観の相性』が今のユイには一番重要なものに思えます。

『人生観・価値観の相性』は未来につながるもので、特に結婚するうえでは必須だと思います。

「どんな風にこれからの時間を共有して、どんな風にお互いが成長していくか?」、「生きていくという事、二人が二人でいるという事をどう考えるか?」のベースになる部分です。

人生観・価値観は、「何を大事と捉え、どのように生きようと考え、どのような姿勢で物事に取り組むか?」、まさにこのブログでユイが書き綴ろうとしている部分だと思います。

この相性が良ければ、年月を重ねてもお互いにとって特別な存在であり得るし、もし別れても自分の人生にとって重要な経験や影響を与えてくれるでしょう。


さて、ここで重要なのは、

『相性』というものは『一致性・相似性』とは違うという事です。

合う・合わないの話、『合致性』の部分なのです。同じであることではないという事です。

これは、前述のすべての『相性』についてあてはまります。


もちろん『一致性・相似性』が『合致性』にあたる事もあります。

例えば、同じ食べ物が好きだったり同じ趣味を持っていたりすれば、一緒に同じものを食べにいったり、同じ趣味を楽しんだりできるでしょう。十分に『合致性』があると思います。

でも、相手の嫌いな食べ物が好きだったら、相手が残したものを食べてあげる事が出来ます。自分のいらないものを残すと相手が喜びます。

相手の趣味が自分の趣味と違っても、相手の趣味に自分がハマったりその逆があったり、お互いが知らない事を教えあいプラスにする事が出来ます。

『人生観・価値観』についても同じでしょう。似通っているなら2人で力を合わせて歩んでいけるし、異なっていても、いい影響を与えあったり弱点を補えあえたりするでしょう。


大事なのは、『合う・合わない』なのです。

これは、見方・捉え方で変わってきます。何が合っていて何が合っていないのかは簡単にはわかりません。

さっきの逆を言えば、『一致性・相似性』があっても逆にそれがお互いにとって不都合である事もあります。

趣味・嗜好が異なり過ぎて、別々の時間を重要にしてしまい離れていく事もあるでしょう。


結局のところ、『お互いを認めあえるか』『お互いを理解できるか』になってくるのだと思います。

答えは・・・、自分で見つけるしかないんでしょうね。


ユイは、まだ見つけていません。

正確には、見つけているかどうかがまだわかりません。


でも、そういう観点で人を見るようになってから、『そうなり得ない人』と『そうなり得そうな人』はわかるようになってきました。


本当に合っているかわかるには・・・、

『そうなり得そうな人』と実際に多くの時間を過ごしてみるしかないんだろうなぁ・・・・・・。


本気で愛する人はいますか?

恋愛ってなんだろう?

「愛してる」って何だろう・・・。


ユイには3年と少し前まで、婚約者がいました。

本気で愛していたんだなぁ・・・と今でも思います。


元婚約者との話はちょっと長くなりそうなので、後日改めるとして・・・

今思う事は、『あいつと結婚しなかった俺は、誰を、何を求めているの?』です。


それなりにモテましたので、軽い恋愛も多くしてきました。たくさんの女性も見てきました。

きっと、たくさんの人(男も女も)を傷つけてきました。

その痛みは、僕の心の呵責となって、自分をより成長させる源になっています。

(俺はもっと頑張らなければいけない。もっと苦しみに立ち向わなければいけない)


このテーマでは、恋愛について思う事を書いていきます。