Life is war , for the happy ~僕が僕であるために~ -2ページ目

ココロの距離。カラダの距離。

昔ユイが、恋人と一緒に寝ている時に、ふと目が覚めて一人煙草を吹かしていた時の事。

隣にいない事に気づいて起きた恋人は、ユイを見るなり「知らない人がいる!!」と大騒ぎしました。


付き合って間もない頃の話。

天然が入っていた彼女だからこその大騒ぎだったんだろうけど、確かにそれまで見せた事のない顔だったと思います。

おちゃらけて、気さくで優しいキャラだったユイは、彼女の前で笑顔を絶やしませんでした。

でも普段は、特に一人の時は、クールで尖った表情と雰囲気で、物事を色々考え込むタイプでした。(今もあんまり変わらないけれど・・・)

だから、初めて見たユイの顔・雰囲気に、まったくの他人を感じた様でした。

(その後は、時間を積み重ねた事もあり、全ての顔を知りあえる仲になりましたが・・・。)


とても好きな人と一緒にいる時、とても近くにいるのに、ものすごく遠くに感じる時があります。

例えば、片思いの時。

付き合っていても、ある瞬間、相手の気持ちが自分の方を真っすぐに向いていない時。

『自分の知らない時代や自分の存在しない世界の話』=『昔話やローカルな話』で友達と盛り上がっている時。


カラダは近いのに、何故か遠い・・・。

それこそ、セックスをして体はつながっていても、愛のない、ココロの通わない無機質な行為を感じる事があります。


その一方、どんなにカラダが近くてもココロがもっと近づきたがって、どんなに強く抱きしめても足りず、キスをしてももっとくっつきたくて、一つになりたくてつながる、そんなココロが重なり合うセックスもあります。


とても遠くにいるのに、離れているのに、強く自分の中に存在し、背中を押してくれたり、安心や信頼や自信を与えてくれたりする事もあります。

もちろん、距離が遠い事にプラスして、ココロまで遠くへ感じてしまうことだってあります。


「体は魂の器」って話があります。

そして、体は物理的に存在し、目で見る事が出来ます。

目は、その情報を読み取り、脳で情報を立体化・映像化して、その物体を認識します。

だから、カラダの距離は、目で感じられます。

触れ合えば、より一層感じられます。


でも、ココロは目で見てとれません。

でもやっぱり、様々な情報から何かを感じる事で、距離を感じたり触れ合いを感じたりするんだと思います。


好きな言葉があります。

「自分が見たものしか信じないというのはやめなさい。そして自分が見たものが必ずしも真実とは限らない。」


これは、視覚というものが絶対に正しいとは限らない事と、理解というものが概念により曲げられる事を戒めている言葉です。

目で見えるものでさえ、見る者の捉え方で変わってしまうという事です。手品とかがいい例ですね。


そしてこれはココロにも同じ事が言えます。

むしろ、ココロという不確かなものだからこそ、その見え方にはより一層そういった節があります。


自分が「強く愛しい、もっと近づきたい」と思えば距離に不足を感じるし、ちょっとした誤解や疑心暗鬼や自信のなさから遠い存在に感じたりします。


お互いが向きあえている様に感じれていれば、いつもそばに存在を感じる事が出来ます。


正確なココロの距離は測れません。

けれど、感じあう事はきっと出来るんだと思います。

素直に、真っ直ぐに、真剣に向き合う事で、距離を確かめ合う事は出来るんだと思います。


ココロの距離を知ってしまう事は、ともすればとても怖い事。

でも、自分で一方的に距離を感じて、本当は近いのに遠く感じてしまう事はとても悲しい事です。


本当に幸せな恋愛は、ココロもカラダも寄り添える事だと思います。

それにはまず、ココロとココロが向き合う事から・・・。


遠いと思っていた距離が、実はすごく近かったりします。

遠かった距離を近づけていく事が出来ます。


ユイ自身、まずは自分のココロに素直になろうと思う、今日この頃・・・。

新テーマ『1問1答』について

新しく『1問1答』というテーマを立ち上げました!


当初は、自分でなんか適当(好きな食べ物は?とか)な問題をたくさん出してその回答を書いていくつもりだったんですが、せっかくお題を頂けたので、お題に対する回答コーナーにしたいと思います!


今回お題をくれた鳴海さん。

ありがとうございます。


いろいろお題を頂けたら・・・、嬉しいなぁ(#⌒∇⌒#)ゞ

最近気になるニュースは?

この記事は、鳴海さんから頂いた質問『最近気になるニュースは?』をもとに書いています。


問題を出してくれた鳴海さん!

ありがとうございます!

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最近気になるニュース・・・。

もう2週間も前の話になってしまうのだけれど、安倍総理大臣が5/24に世界主要各国に向けて提唱した『美しい星50』が気になります。


簡単にこの『美しい星50』を説明しておくと・・・。

1つ目の柱として、「2050年までに世界全体の二酸化炭素排出量を半減」を目標として、技術革新を経て低炭素社会を実現する事。

2つ目の柱として、2013年以降に温暖化対策の国際的な枠組みを構築する為の3原則『主要排出国が全て参加し、世界全体での排出削減につなげる』『各国の事情を配慮した(取り組みやすい)、柔軟かつ多様性のある枠組みを構築する』『省エネなどの技術を活かし、環境保全と経済発展とを両立する』の提唱。

3つ目の柱として、日本がまず、京都議定書(CO2排出量の数値目標や条件などを定めたもの)の目標を達成する為に国民運動を展開するという事。


このニュースで最も関心を抱いたのは、地球温暖化をどうにかしようというそれ自体よりも、世界各国が共に苦労しながら、利益優先にならず、協力して歩みだそうとしたという過程です。


地球温暖化は今や非常に深刻な問題になっています。

海抜がみるみる上がり、海に沈みかけている島も多くあります。

温暖化の影響で、動植物の生態系も変わりつつあり、絶滅したあるいは瀕している生物も多くあります。

日本でも、酸性雨や暖冬、干ばつの問題が出ています。


将来の地球の事を考えたら、なんとかせねばならない話。

でも、話が大きすぎて、個人個人ではいかんともし難い話。

だから、結局誰もが取り組みにくく、取り組んだ人だけ損しそうな気分になる話。


こういった歩みを、世界が共にしようとしている。

その事がすごい事だと思っています。


話はちょっと変わりますが、経済においてはもっと損得勘定が絡むための深刻な問題が溢れています。

そして、やはり世界がつながっています。


例えば、最近の石油価格高騰。

主に中国を中心とした、世界的人口増加と消費量増加によって、需要に対し供給が追い付かない結果です。

そして、高い高いといいながらも、先進各国は、優秀なエネルギー資源や原料である石油使用量を減らす事ができません。

中国では使用量が年々増えています。


例えば、日本のバブル崩壊。

バブル崩壊の原因は無数ありますが、大きな原因として経済流通のバランス崩壊にあります。

どういう事かというと、高度成長に伴う給与の高騰と価格競争=利益率低下により、限りある市場の中で動くべきお金の絶対数が減少してしまったという事です。

これは、各企業が成長にあぐらをかいて用いた年功序列制度と、他社を出し抜く為に社会への利益を忘れた過剰競争によるものです。

談合は徹底的に潰され、価格競争の為に高くて良いものを作れなくなった大手ゼネコンは、社員への高額だった給与を払えなくなり、世間にお金が回らなくなりました。

談合は経済における『必要悪』ではないだろうかとユイは考えています。


例えば少子化と高齢化の問題。

子供が減る一方で、医療技術の向上も伴って寿命が上がり、高齢化社会を招いています。

経済流通がいまだ活発ではない中、国を存続させる為に税金は上がり、高齢者の生活の為の年金も不足し、減少した労働力にしわ寄せがきています。

そんな状況にありながら、ディンクス家庭(夫婦が共働きしてお互いの時間を謳歌する家庭で、子供をつくらない特徴がある)は増え、一方で幼児虐待・殺害や遺棄と、未来の経済源が増える兆しはありません。

少数精鋭となるべく現代の小学生や中学生は、心ない青中年世代の影響を受け教育の崩壊に至っています。

日本全体を変えていく必要がある問題に直面しながらも、政治は国民の心から離れ、一人一人の力はおろか、誰の力も得られず一人歩きして崩れていきそうな日本という国があります。


実際、ユイにしたって何一つとしてその為に動いてはいません。

先日の都知事選への投票は、理由をつけていきませんでした。

慈善活動は、募金をする程度しかしてません。

子供は欲しいけど、やりたい事が多いからディンクス家庭もいいなぁと思います。


昔、故ジョン・レノンは、世界中に『Love & Peace』を訴えました。

世界が少し動きました。

昔、ボブ・ゲルドフは音楽でアフリカの飢餓を救おうとしました。そのチャリティーバンド『バンド・エイド』に触発され、『U.S.A. for Africa』が生まれ『We are the world』はアメリカ国内だけでシングル・アルバム合わせて700万枚を売り上げ、世界では1000万枚をゆうに超え、多くの命が救われました。

世界が少し動きました。

ちょっと昔、EUは国や文化の壁を壊し、利益の前にあるサービスと、各国の共通貨幣=コミュニケーションを持ちました。

世界が少し動きました。


世界の人々が、みんな一歩ずつ歩み出せば、手を差し出し合えれば、きっとたくさんのものが変わるんだと思う。

でもそれがなかなか出来ないのも人間だ。

それが出来ないからこそ、人類は文明の発展を遂げてきたのだとも思う。


ユイはちっぽけな人間である。

大したことは何もできない。


取り敢えず、ゴミの分別廃棄の徹底と、選挙への参加から・・・。

地球環境について関心を持つことから・・・。

少しずつ大きな事への小さな一歩に取り組んでみようと思う。


もともとのテーマから大分脱線してしまった気がするけれど・・・

『最近気になるニュース』でした。。。

最近のユイ

さて、久しぶりの更新になってしまいました。


最近、このブログを知っている『連れ』に、このブログから『人間』を感じないって言われました。

「本人を知ってればそのまんまだけど・・・」って・・・。


という訳で、最近のユイをちょっと書いてみようかと思います。


最近の主な出来事・・・(順不同)

 ①フットサルチームを立ち上げた!

 ②埼玉県に引っ越しを計画中!

 ③転職を検討中。場合によっては起業するかも・・・。

 ④『絆』を一つ失った・・・。(これは前に書きました。)

 ⑤病気が寛解を迎えた。


うんん・・・。

何書いていいかわからなくなってきた・・・。


近々、どっかから1問1答集みたいなの拾ってきて、やってみます!


もしそういうのどなたかお持ちでしたら、ネタ提供してください m(_ _)m

ヤマアラシのジレンマ

ヤマアラシ(あのハリネズミに似たヤツ)は、体中にトゲをもっている。

あのトゲは、いざという時に体を丸くして、外敵から身を護るためのものだ。

けれど・・・、その身を守る為に強力なトゲは、自由に出し入れしたりする事は出来ない。


だから、自分の好きな相手に寄り添いたくても、寄り添ったら相手を傷つけてしまう。

相手を傷つけてしまうから、あるいは傷つけたら相手から嫌われてしまうから、、

寄り添う事が出来ない。

どんなに愛しいと思っても、いや、思えば思うほど、寄りそう事が出来ない。


これが、ヤマアラシのジレンマの話。

一般的な人文学や心理学の解釈では、だから人と人の繋がりには適切な距離感が必要だとされている。

妥協したり、我慢したり、相手に合わせたり、嫌なところに目を瞑ったり、、、

自分をさらけ出し過ぎず、要求し過ぎず、一線を隔して触れ合っていく。。。

それが、『うまくやっていく』秘訣。。。


ユイは、その解釈が嫌いである。

だって、もし傷つけあったとしても、相手と心も体も寄り添う事は、本当に幸せな事なんだと思うから・・・。

それは、もし手に入るのであれば、全てを懸けてでも手にしたい『絆』だから・・・。


でもやっぱり、相手を傷つけたり、嫌われたりするのは怖い・・・。


だから、、、

ユイはトゲを放棄する。

そんなトゲは切り取ってしまえばいい。

お互いに切り取ってしまえば、傷つかなくていい。


そりゃあ、外敵からは弱くなる。身を守る手段の強力な一つがなくなる。

でも、一人じゃない。

一人では守れなかったものが守れる様になる。

一人では出来なかったことが、出来るようになる。


だからユイは、自らのトゲを放棄した。

トゲのない体で生きる世界はとても過酷なものだ。

挫けそうになる。負けそうになる。泣きたい時なんか山のようにある。トゲをとった素肌はとてもボロボロになった。

でも、おかげで別の強さを身につける事も出来たと思う。

素肌は頑丈になっていた。

トゲのない自分に、トゲがなくてもやっていける自分に、以前より確かな自信を持てる。


とはいっても、自分がトゲを放棄したところで、相手が簡単にトゲを放棄してくれるわけではない。

トゲを持たない自分が、一方的に傷つくのだ。

酷く痛い。


でも、相手を傷つけるよりはよっぽどいい。

相手を傷つける事に怯えるよりは、よっぽど楽なんだと思う。

偽善者だから・・・。


相手が自分に寄り添いたいと思ってくれた時、トゲのない自分の為に、きっとトゲを捨ててくれると思う。

トゲを捨てたいと思ってくれるのだと思う。


ただ、どんなにきれいにトゲを切り取ったつもりでも、小さなトゲはやっぱり多数残る。

だから、本当に寄り添った時に、多少なりともお互いを傷つける事になる。


それは、お互いがお互いを傷つける事を恐れない事で乗り越えていくしかない。

些細な傷でしかないのだから。

愛する人に傷つけられる事は、そうでない人に傷つけられるよりよっぽどいい。

愛し合うもの同士は、お互いがお互いを傷つけてもいい『絆』で結ばれるのだと思う。


ただ、ちゃんと大きなトゲは切り取ること。

そうしないとお互いがお互いを壊してしまうから。

そして寄り添って、甘えて、時に厳しく接して歩いて行く。


それが2人で生きていく事なんだと思う。

人生における『勝ち』と『負け』

よく、『勝ち組』とか『負け組』とかいう表現を耳にします。


一般的にはその人のステータスに対して使われる、他人から見た『価値』による表現。

【勝ち組】

仕事で成功していたり、地位や名誉や金を持っていたり、充実したプライベートや結婚生活を送っている人だったり・・・。

【負け組】

特別に地位とか名誉とか財力を持ってない人だったり、婚期を逃している人だったり、いわゆる平凡な生活を送る人だったり・・・。


『勝ち負け』ってなんでしょうね?

何に対して『勝つ』んでしょうか?『負ける』んでしょうか?


他人の物差しで測られたステータスに対する『勝ち』や、その概念的物差しに縛られた体面的で一方的な自己評価による『勝ち』は、果たして本当に『勝ち』なんでしょうか?その『勝ち』にどれだけの意味があるんでしょうか?


ユイはとても『負けず嫌い』です・・・。

『勝ち』にこだわるということではなく、『負ける』という事を非常に嫌います。畏れています。

でもそれは、地位とか名誉だったりとかいった体面的な事柄に対してではありません。


自分が自分に対して『負ける』事、それを心底畏れています。

弱い心に支配される事を畏れています。

自分が自分を嫌いになってしまう事が、『負ける』事なんだと思います。


だけど・・・。

人間だから・・・、とても弱くて面倒くさい生き物だから・・・。

時として、ズルい考えに走ったり、力に屈してしまったり、自分のルールを犯したり、魔が差したり・・・。

甘えたり、妥協したり、逃げたり、挫折したり、自己嫌悪を抱いたりする事もあります。


それは、きっと仕方のない事・・・。

全能ではないのですから。


だから、せめて『負け方』には拘ります。

『負け』を認める事、弱かったりダメだったりする『自分』を受け入れ、それも『自分』だと勇気をもって飲み込むこと・・・。

『負け』ている中にも自分なりのケジメや決着をつけ、傷や自戒や自信といった『経験』に変え、前を向くために僅かでも『勝ち』を見出す事。

どんな時も、自分を好きになる努力を諦めない事、嫌いな自分から逃げない事。(ちょっと時間はかかっても・・・)

それがユイの『負け方』です。


そりゃあ、体面的な『勝ち』をもっている人は、持っていない人よりいいだろうと思います。

他人から認められないよりは認められるに越したことはないでしょう。


でも、そんな『体面的な勝ち負け』に囚われ、自分自身を見失ってしまったら『負け』なんだと思います。

自分を、自分や他人の物差しに当て嵌め、『勝ち組』だ『負け組』だと腰を据えてしまっては『負け』なんだと思います。


ユイは、他人に勝とうとする前に、まず自分に負けないように頑張っていこうと思います。


故ZARD:坂井泉水さんの『負けないで』を、追悼の意を込めて深く心に刻む今日この頃。

『ソウルメイト』及び『手紙』について

エルフさんに頂いたリクエストを元に書いた『ソウルメイト』ですが、自分自身考える事や思う事が多くて・・・。

『ソウルメイト』『魂友=ソウルメイト』『魂の伴侶=ソウルメイト』の3部構成になってしまいました。

(→o←)ゞ


非常に長いですが、お付き合いいただける方は読んでみて下さい。


なんか、『遺書』みたいなつくりになってしまいましたが、全くそんな気はありません。

ただ、『想い』を素っ裸で書いたら、こんなんになっちゃいました。。。


また、ここで書いた『ソウルメイト』にまつわるエピソードは数知れずあるのですが、、

それはまた、気が向いた時に『昔話』で書いていく事とします。


で、、、

これを書いてて思ったんですが、『手紙』は休載しようかなぁと思ってます。


っていうのも、実は『手紙』は『君へ』と『友へ』の2バージョンあって、それぞれ恋愛と友情の『絆』に対するメッセージを込めたものだったんですが、このペースでいくと全て真っ直ぐに表現してしまいそうなので・・・。

わざわざ、遠まわしに、陳腐で稚拙な文章で語る必要もないかなぁ・・・、と思いまして。。。


これからも身勝手に『裸の想い』を書いていくんで、宜しくお願いします!

魂の伴侶=ソウルメイト

この記事は、前回書いた『魂友=ソウルメイト』と同様に、『ソウルメイト』で書ききれなかった想いを、恋愛の観点で書いています。

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『魂の伴侶=ソウルメイト』。


いわゆる本来の語源の『魂の伴侶』とは違うのだろうけれど、ユイの生き方に大きな影響を与えた、強く愛した女性たちをそう呼びたい。



ユイには、10年前強く愛した人がいた。

先の記事で語った『妹』だ。


常に自分の気持ちに真っ直ぐで、そのくせ素直じゃなくて、いつも泣きたい時にユイを頼ってきた。

わがままで、脆く儚い、汚れ壊れてしまいやすいその無垢な存在に、ユイは常に『兄』として側で守っていく事を選んだ。

付き合いたいとは思わなかった・・・。

自分の手で、汚し、壊してしまう事が怖かったから・・・。


彼女は、ユイに『慈愛』の精神を与えてくれた。

彼女を守ろうとする中で、強くなる意思を与えてくれた。

自分が傷つく事を恐れては何も成しえない事を教えてくれた。

自分にとって大事なものを、何としてでも守る強さを与えてくれた。


昔彼女とした一つの約束。

「ユイは、ずーっとユイのままでいてくれる?」

その質問に「あぁ。」と答えたユイは、今まで自分を失わず、自分らしさを追求してこれた。



ユイには、3年と少し前、強く愛した人がいた。

先の記事で語った『元婚約者』だ。


ユイの人生で最もユイを愛してくれていたであろう女性。

とても難しいユイを、触れれば傷になる荊の様だったユイを、理解する努力を続け、誰よりも深く理解し、信じ、包み込んだ女性。

誰からも好かれ、太陽のように輝く笑顔で、真っ直ぐにユイだけを見てくれた女性。

彼女の幸せ、将来を背負いきれる自信を持てず、別れてしまった女性。


彼女は、ユイに『愛し、愛し合う』という事を教えてくれた。

彼女と過ごす中で、ユイは感情を表現する事に戸惑いが無くなっていった。

彼女はユイに『本当の優しさ』を教えてくれた。

弱さを認め、時に人を頼ったり甘えたり、求めたりする事を良しとする事が出来るようになった。


彼女と別れたのち、生きる事に意義を見出すようになった。

成せる事を成そうとする様になった。

ここから、ユイはビジネスにも本気で取り組み、ビジネスマンとして躍進的にキャリアアップする事になった。



ユイには、ちょっと昔、強く愛した人がいる。あるいは今も愛している。

先の記事で語った『想いを告げた』女性だ。


とても女性として輝いていながら、自分を飾らず、ずるく生きようとすればいくらでも出来るのに決してそれをしない女性。

半端じゃなくモテるのに、いくらでも華やかな道も歩けるのに、普通の女の子として真剣に生きている女性。

特別なのに、全然特別じゃない女性。


彼女は、ユイに『自分らしく生きる』事を教えてくれた。

地に足をつけて、肩の力を抜いて、どっしりと構え、出来ない事は出来ないと認める勇気を与えてくれた。

ユイの意識に常に存在し、逃げそうな時、負けそうな時に、前に進む力を与えてくれた。

いまよりもっと前に進んでいく意思を与えてくれた。

その人に好きになってもらう事じゃなく、まず自分が自分をより好きになる事が重要だと思える様になった。


『絆』を感じて生きるようになった。

『運命』とか『流れ』を受け入れながら、今を生きていく様になった。



彼女たちは、自分が人生を歩んでいくエネルギーを与えてくれた。

ユイの人生に、道に光を照らしてくれた彼女たちを、惜しみない敬意と愛を込めて、『魂の伴侶』と呼びたい。


『魂の伴侶』達に・・・。

彼女たちの幸せを心から祈りつつ、「ありがとう」の想いを捧ぐ。

魂友=ソウルメイト

この記事は、前回掲載した『ソウルメイト』 において、テーマがテーマだけに書き足りなかった思いがあった事で書いています。

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『魂友=ソウルメイト』。


いわゆる一般的に言われるソウルメイトとは違うのだと思うのだが、わが『友』たちをそう呼びたい。


ユイはとても弱い人間だ。

いや、そもそも強い人間など存在しないんだと思う。

だから、人は逃げたり、欲に支配されたり、罪を犯したりする。

だから、人は群れをなし、社会を構成し、寄り合い歩いていく。


でも、力強く生きていく事は出来るのだと思う。

自分の弱さを受け入れて、それでも一生懸命に生きていく。


昔のユイは、20歳で死にたいと、ぼんやりと思っていた。

自分が一番、肉体的にも、思考的にも、充実している最盛期に死にたいと思っていた。

衰えていく自分を受け入れたくなかった・・・。


今は、、、

半身不随でも、どんなに貧しくても、どんなに傷ついても、生がある限り生を全うし、その時なせる事を一生懸命になしていきたいと思うようになっている事に気づく・・・。(五体満足な人間がこんなことを言うのも良くないかもしれないが・・・。)


理想の人間像を追い求めるユイは、常に自分を偽ることなく、はばかることなく、存在を他者に誇示してきた。

関わる人たちに無理に合わせることなく、「これが俺という人間だ。受け入れられるかられないかは相手次第。それでいい・・・。」と思って歩いてきた。


自分が一番怖いものは自分。自分が自分を信じれなくなった時、認められなくなった時が、自分が負けた時だと思い、傲慢に歩いてきた。


寝食をともにした『友』に、よく言われたことがある。

「お前は、人の事を本気で助けようとするくせに、自分が弱っている時はそれを出してくれない。」

それは、『俺』という存在が、そうであることで『絆』の中に存在していられたと思っていたから・・・。

自分の自分らしさが、そうだと思っていたから。


でも本当のところは、いつも助けられていた。

いつも『絆』を感じていられた。『友』たちの中に存在する自分を感じて、自分の存在を認識する事が出来た。

自分を追求する事が出来た。


『魂友=ソウルメイト』よ。

『連れ』であり『戦友』である『友』たちよ。


傲慢に生きてきたユイを受け入れてくれた、愛してくれた『友』たちよ。

心の叫び、魂の叫びを受けとめ合える『友』たちよ。


あなた方がいてくれたから、今ここに自分はあるのだと確信できる。

くじけそうな時にその『存在』自体に助けられ、教えられたり考えさせられたりしながら、ここまで歩いてこれた。


ユイのユイらしさを、ユイ自身よりもよく知っている『魂友』たちよ。

この先の人生はまだ永かろうとは思うけれど、願わくば共に歩んでいきたい。

願わくば、人生の先に人生があるならば、また出会い共鳴したい。


自分の最大限の感謝を込めて・・・

「ありがとう、これからもよろしく。」


そして、ユイが関ってきた全ての方々。学校や、仕事や、このブログ上で『魂』の宝となる『経験』を与えてくれる方々。

敢えて一般的な『ソウルメイト』の言葉を借りて・・・。

全ての『ソウルメイト』に・・・。


多謝、感謝。

ソウルメイト

今回の記事は、エルフさんから頂いた『ユイの考えるソウルメイト』をテーマにして書きます。

ネタ振りありがとうございます!

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『ソウルメイト』。もともとの訳は『魂の伴侶』。

輪廻転生の概念をもとに、前世からの絆により結ばれ、時代や距離を超えて人生を分かち合う運命の人。


最近では様々な捉えられ方をしていて、『ソウルメイト』の中にも『ツインソウル』だとか『ソウルエネミー』だとか色々な呼び方があって、少しでも関わったあるいは関わる人々を総称して『ソウルメイト』と呼ぶこともある。


参考までにここら辺の呼び方をユイの解釈で書いておくと・・・。


【ツインソウル=対の魂】

もともと一つだった魂が、必要な試練のもとに、「使命=真実の愛」の発見をもって2つの魂にわかれた男女。

互いに強烈な感情で惹かれあい、大波にもまれ、社会への影響を与えながら、使命をもって結ばれる2人。

必ずしも生涯結ばれるものではなく、使命を終えて離れていく事もある。


【ツインフレイム=対の灯火】

お互いを照らし合う灯火の様に、ライフワークおいて助け合う強力なパートナー。

他人とは思えない安心感と信頼感で、必要な時に現れ、絶妙なタイミングで助けてくれる。


その他にも、親、兄弟、友達をソウルファミリーと呼んだり、人生において敵対する関係にある人物をソウルエネミーと呼んだりする事もあるらしい。


『ソウルメイト』はわざと身近に生まれ変わったり、偶然に手繰り寄せられたかのように出会ったりして、お互いを助け合い、切磋琢磨するそうだ。。。


実に宗教的な話・・・。そもそも輪廻転生の概念下における考え・・・。

でも、確かにそんな存在いたりするような気がする。

先の『妹』は『ツインフレイム』であったかもしれないとも思う。


さて、随分と前説が多かった気がしますが・・・、『ユイの考えるソウルメイト』。

前述した『ソウルメイト』の在り方は、基本的なところでは今までに語ってきた『絆』とか『運命』に近い気がします。

ただ、ユイの考える『絆』や『運命』は、前世=過去からではなく、生きていく=未来を創っていく事で存在しているものだと思ってるので、根本的なところで違う気がします。


だから、前述のような『ソウルメイト』のありかたについては・・・、よくわかりません m(_ _)m


ただひとつ、、、

先日ユイの『連れ』が、mixiの紹介文に僕の事を『魂友=ソウルメイト』と書いてくれました。

それが前述の『ソウルメイト』と同様の意味なのかはわかりません。

言える事は、多分、理屈じゃなく人生をともに歩んでいける『連れ』だって事だと思っています。


自分の『魂=ソウル』をさらけだして付き合える、ユイにとっての『連れ』や『戦友』

前世の事はよくわからないけれど、もし人生を終えた後もまた人生を歩むとすれば、ユイはまた彼らとともにありたいと思います。


『絆』は現世を越え・・・。

素敵だなと思います。


残念ながら、ユイにはそこまでしかわかりません。

でも、それがきっと、ユイにとって『魂友=ソウルメイト』の答えなんだと思います。



最後に、とても長いけれど、、おそらくは『ソウルメイト』の語源となったブライアン・ワイス博士の『魂の伴侶』の一節を転記しておきます。

とても素敵な文章だったので・・・。

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誰にとっても、誰か特別な人がいる。時には二人、あるいは三人、あるいは四人のことさえある。その人は別の時代からやってくる。時間の海を越えて、天の次元の深みから、あなたと再び一緒になるためにやってくるのだ。その人はあちらの側の世界、天国からやってくる。そして、違った姿をしている。しかし、あなたは心で見分けることができる。あなたの心は、月に照らされたエジプトの砂漠や、モンゴルの平原でその人をあなたの腕に抱きしめたように、その人を再び抱きしめる。あなたたちは一緒に、今まで誰からも忘れ去られた将軍のひきいる軍隊の仲間として、草原を馬でかけめぐったことがあった。そして、太古の昔、どこかの岩の洞窟の中で、一緒に暮らしていた。あなたたちは時を越えて結ばれている。そして、あなたが、一人ぼっちになることは、これからもないだろう。
「私はあなたを知らない」と、あなたの頭は抵抗するかもしれない。でもあなたの心は憶えている。その人があなたの手を初めてとった時、彼の手の感触は時空を越えて、あなたの存在のすべての原子をゆさぶる。その人があなたの目の中をのぞく。すると、あなたは相手の目の中に、何世紀も向うの魂の友を発見する。あなたの心は高鳴り、腕にとりはだがたつ。この瞬間、まわりのものすべてが消え去ってしまう。
やっと再会したとしても、あなたが彼に気づいたとしても、彼のほうはあなたに気がつかないかもしれない。あなたは二人が縁で結ばれていたことに気がつく。二人のこれからの可能性も見えている。しかし、彼は気がつかない。恐れと、理性と、問題が、彼の心の目にベールをかけているのだ。あなたがそのベールをどけようとしても、彼はそうさせてはくれない。あなたは嘆き悲しみ、彼はそのまま行ってしまう。運命とは、それほど微妙なものなのだ。
二人が互いに気づいた時、二人の情熱はどんな火山よりも激しく噴出する。計り知れないほどのエネルギーが放出される。
魂同志の認識が、瞬間的に起こることもある。突然、親しみの感情が湧き上がってくる。意識のレベルの計り知れない深い場所で、今、出会ったばかりの人を知っているという気がする。最も親密な家族に対するものと同じ深さか、さもなければ、それよりも、ずっと深いところで感じる感覚だ。そして直感的に、何を言えばよいか、相手がどう反応するかも知っている。一日、いや一週間、または一ヶ月で獲得できるより、ずっと深い信頼と安心が一瞬のうちに生まれる。
魂の認識は、かすかに、そして、とてもゆっくりと起こることもある。まるでベールがゆっくりともちあげられるように、少しずつ、気づくこともあるのだ。誰もがすぐに気がつくわけではない。タイミングというものがあり、最初に気づいた人にとっては忍耐が必要な場合もある。
あなたの魂の友が現れていることに、顔の表情や夢、記憶、感覚で気がつくこともある。手が触れ合った時、くちびるにキスした瞬間に、あなたは目覚め、魂が躍動しはじめるかもしれない。
子供の体に触れた時、お父さんやお母さん、兄弟姉妹に触れた時、親友に触れた時に思い出すこともあるだろう。または恋人がキスをした時、それは何百年前の前世の恋人のキスであり、二人は時が終わるまで、ずっと一緒だということを、あなたが思い出すこともあるのだ。