Life is war , for the happy ~僕が僕であるために~ -4ページ目
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偽善者

ユイは偽善者です。


自分は善人ではありません。
心の底から人の為に、何かは出来ないからです。

でも、人のために何かをして自分が犠牲になったり損したりすることを、よくよくしたりします。


それは、自分がそうしなければ気持悪いから、自分の望む人間像がそうだから・・・
自分の為に・・・他人事に全力を注ぐ。汚い事はしない。善を、自分の正義を貫き通す。


そうすることで、簡単には手に入らない『充実感』や『自信』や『納得感』や、自分をより高める基になる『痛み』や『困難』や『哀しみ』を得ることが出来ます。


全ては自分の為・・・。

でも、他人の為にもなっている。自分の幸せが他人の幸せにもなっている。2倍オイシイ。

結果論として自分の為に何かをしてくれる人が出てきたりもする。これで2.5倍くらいか!?


偽善って素晴らしい。

友達いますか?

ユイにはいわゆる『友達』って存在がそれ程いません(と自分では思っています)。

馴れ合いが苦手だからです。


友達の定義ってなんでしょうね?

前述した『友達』は、=一緒に遊びに行ったりして、自分にとって都合のいい(多分相手にとっても都合がいい)存在としてとらえています。

この場合の『友達』は、利害が一致している事で成り立っていると思います。


逆に、いわゆる『親友』的な存在は結構多くいると思ってます。

ただ、ユイの場合はあまり『親友』と表現しないのですが・・・。


自分の中で、交友関係は大きく以下に分類されています。

 ・連れ

 ・仲間

 ・知人

 ・戦友


それぞれを説明していくと・・・

 連れ>

  ありていに言えば親友的な存在。共に人生を歩み、

  影響を与えあえる存在。

  良いとこも悪いところも含め、理解(認識)できる。

  一人の人間として、認めあえる。

  好きか嫌いかではなく、損か得かでもなく・・・。

  ただ自分の中に大きく存在し、許容している人間。

  字の如く、RPG(ドラクエとかFFとか)でいうところの

  パーティー的に、人生に大きく影響する。


 仲間>

  なんかの集団における共通項を持った、大義的に並び立つ存在。

  会社の同僚やチームメイトがこれにあたる。

  相手の為にではなく、自分の為あるいは何かの為のつながりで

  あり、その一人一人は特別オンリーワンではない。


 知人>

  知り合い。いわゆる『深くない友達』ってところだろうか。

  都合が合えば遊びに行ったり、たまたま会えば軽く話をしたり

  するけれど、自分が本気で話をする対象でもなく、相手も線引きを

  するような存在。

  利害関係が一致しない限り、一緒にいる理由がない。


 戦友>

  人生っていう戦いにおいて、共に戦っている感覚の存在。

  尊敬しあえる存在であり、その付き合いに甘えはない。

  お互いがより戦っていける為の存在であり、えてして必要以上に

  深入りしない。

  対等な存在。相手に合わせない。

  負けたくない存在でありながらその人にも負けて欲しくないと思う。

  ライバル的な要素が深く、劉備と曹操や武田信玄と上杉謙信、

  桑田と清原みたいな関係。


ざっくばらんとこんな感じでしょうか。

まれに『連れ』であり『戦友』でもある人間もいたりします。


さて、この『連れ』というのが一番重要で、とても微妙な存在です。

たとえば、

戦場なら背中を預けられる存在です。全てを無防備に出来る存在です。

が、必ず守ってくれるわけでも頼りになるわけでもなく、裏切られたり邪魔をされたりする可能性も十分に持っています。

バトル・ロワイアルって小説(かマンガか映画か・・・)なら、まっ先に俺を討つ奴や、俺の背中にさんざん隠れておいて最後の2人になったら後ろから俺を殺す奴や、逆に俺をかばって死んでくれる奴や・・・


実にわかりづらい・・・。

ただ、ひとつハッキリとわかる事は、この裏切られたり殺されたりした時に、「お前はそういう奴だよ。それも分かってて背中を預けてたんだよ。」と言える存在であり、その『連れ』も「お前ならわかるだろ。」と言える存在だってことです。

お互いに、利も害も与えて良い、許容された人間ってところです。


『連れ』である条件は、『本気で向き合っている事』です。

好きなところも嫌いなところも、そいつとして受け止め、認めることです。

その存在はそれぞれオンリーワンであり、愛する人たちというより、愛すべき人たちってところです。



絆って?運命って何だろう?

運命って何だろう・・・。


ユイの持論の一つに『すべての偶然はすべての必然から産まれている』があります。

運命というものの結果が、現在の、あるいは過去・未来の自分とその取り巻く社会だとして、それは全て、自分や、関係者や、一見関係ない人々の行動一つ一つによって作られた世界であるということです。

そして、運命の基となったその一つ一つの行動は、それぞれの場面で、その人のそれまでの運命によって選択された『必然』の行動であり、それが集まるとあたかも偶然に見えるものだということです。


なんか、「卵が先か?鶏が先か?」みたいになってきましたが・・・。


言いたいのは

 運命 = 偶然 = 必然の集合体

ってことです。


そしてこの運命が創り出したものこそ『絆』ではないでしょうか?

友達・恋人・大事な人たちとの出会いや別れ。義理や恩。貸し借り。好意や嫌悪。はたまた自分の出生まで・・・。


『絆』は自分に色々な力・経験・感情を与えてくれます。良くも悪くも・・・

あの時あいつと出会ってなかったら・・・、あいつがああ言わなかったら・・・、あいつのおかげで・・・。

『絆』に影響されて色々自分は進んできたのでしょう。前か上か横か後ろかはたまた別次元なのかはわかりませんが、確実に時間軸を進んできているのです。


かくいうユイは、友達や愛した人たちや、敵や味方やの影響を受けて現在に存在しています。

様々なエピソードが、今の私を形成しています。

理想の人間像ありますか?

理想の人間像。


皆さんは自分の中に理想とする人間像を持っていますか?

ユイは15歳の時に人格としての理想像を創り(あるいは作られたものかもしれません)、今日まで歩んできました。


その頃から、性格は『理想の人格』に帰属し、様々な判断はその『理想の人格』が行ってきました。

『理想の人格』だったらどうするこうすると・・・。


だから・・・ 時折自分自身・自分らしさがわからなくなります。回りが言う「ユイらしい」は、私ではなく"アイツ"らしいのではないか?


最近はようやく、経験からなる自己の人格が『理想の人格』を越え、まさに自分らしさを確立出来ているように思えます。


さて、そんなユイの人格は?っていうと・・・


それは、これから読んで感じてください。

人によってまるで感じ方は違うでしょう。でもどれもきっと私に違いありません。

多分後々語りますが、絶対に正しいものはどこにもなく、全ての価値観・とらえ方は、一概に、大なり小なり一部正しいのだと思います。

あえていう自分の価値観での自分は『偽善者』、『足掻く者』といったところです。


今後このテーマでは、いろいろな物事=生きるということについての思いを綴っていきます。

ブログ開設

ついにブログ開設です。

思えばここ数年・・・、やろうやろうとは思っていたものの、なかなかタイミングが無く・・・。


昔から『自伝を書いてくれ』と友達連中から要望をもらっていたユイが、独り言をつらつらと綴ります。


目的はただの『自己満足』です・・・。


もし読んで共感してくれる人がいたら・・・

嬉しいなぁ(#⌒∇⌒#)ゞ

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