娘の大学除籍が決まってから、

私はここにたくさんの気持ちを書き綴ってきました。

 

怒り、悲しみ、戸惑い、悔しさ…

その時その時の自分の気持ちを、

飾らずに残してきたつもりです。

 

元々、書くことが好きだということもありますが、

私は「書くこと」で自分の気持ちを整理し、

確認してきたのだと思います。

 

いわゆる、ジャーナリング(書く瞑想)ですね。

 

書くことで、

自分でも気づかなかった本音が見えることもありました。

『あぁ、私は本当はこう思っていたんだ』

そんな発見もありました。

 

ただ……

これをずっと続けていると、私の場合は、

「もう思い出したくもない嫌なこと」まで、

さらに思い出してしまう、掘り起こしてしまうんです。

 

もちろん、書くことで気持ちが整理されて、

モヤモヤを発散できスッキリする時もあります。

 

でも、逆に余計なことまで次々と思い出してしまい、

頭の中で「負の連鎖」が始まってしまうこともあるのです。

 

おそらく…

今が一番、心がデリケートで微妙な時期なのだと思います。

 

だから…

ブログを再び少しだけ休憩しようと思います。

 

7月になれば、

また新しい手続きや、

新たな感情が動く場面も増えるはず。

 

その時はまた、

ここで気持ちを整理させてください。

 

このブログは、

誰かの役に立つような情報を発信している場所ではありません。

ただただ私が、

自分の気持ちを整理して吐き出すだけの個人的な場所です。

 

それでも…もしも…

私と同じように、悩みの種類は違っても

お子さんのことで深く悩んでいる方が

これを読んでくださっているのなら、

過去にも何度か書きましたが、

これだけは伝えたいです。

 

「あなたは、ひとりじゃないですよ」

 

私自身も、

まだ答えを見つけられているわけではありません。

 

迷ったり、立ち止まったり…

気持ちが揺れたりしながら、

それでも前を向こうと思います。

 

そんな私の記録が、

どこかの誰かの心に少しでも寄り添えたら…

そう願いながら

一旦、ブログ…休憩に入ります。

 

いつも読んでくださり、

本当にありがとうございます。

 

また、お会いしましょう。

「人生とは?」

「生きるとは?」

 

娘の大学除籍をきっかけに、

自分のこれからの人生について考える時間が増えました。

 

私は過去に、二度の流産を経験しています。

三度目の正直で、やっと授かることができた、

本当に大切な娘でした。

つわりが酷くて入院したり、

切迫流産の危険で緊急入院したり……。

 

「とにかく無事に生まれてきてほしい」

そればかりを願っていた日々が、

今では懐かしく思い出されます。

 

こんなにも待ち望んだ、我が子。

たった一人の、大切な娘。

だからこそ、本当に大切に育ててきました。

 

実は、私自身も一人っ子です。

世間から「一人っ子はわがまま」「自己中」だと

思われがちなのを知っているからこそ、

娘はそうならないよう、

甘やかさずに育ててきたつもりでした。

 

私なりに、必死に、

子育てをしっかりやってきたつもりだったのですが……。

 

ダメでしたね。

結果として娘は、

わがまま放題で、

平気で人に暴言を吐く子になってしまっていました。

 

以前は、

「どこで間違えたんだろう?」

「私のせいだ。私の育て方が悪かったんだ」

と、自分を責め続ける毎日でした。

 

でも、途中から気持ちが変わったのです。

「これは、私のせいだけで終わる問題じゃない」と。

 

娘自身の

「人間性の問題」でもあると思えるようになってから、

私の気持ちはふっと楽になりました。

 

いま、娘に関わる問題が(解決とは言えなくても)

一つずつ、目の前を通り過ぎていっています。

 

それと同時に、

残りの自分の人生や生き方を、

真剣に考える時間が増えました。

 

「この家に、この先も夫婦2人で住み続けるのか?」

「ある程度の年齢になったら処分して、

施設(ホーム)に入るのか?」

 

私たちのことを介護してくれる子どもは、

もういません。

自分たちの老後は、

自分たちで切り開いていくしかないのです。

 

いま、

旦那さんの実家の片付けを手伝っているのですが、

どうしても自分たちの未来と

照らし合わせてしまいます。

 

義実家の荷物を見て、一番に感じたのは……

「とにかく、物が多すぎる!(笑)」ということです。

 

使っていないものを、大事に大事に残しすぎている。

物を大切にするのは良いことですが、

ここまで多いと、

あとに残された人の負担が大きすぎます。

身に沁みて分かりました。

 

だから、私は今から、

少しずつでも必要のない荷物は

処分していこうと決めました。

 

体が動くうちに、ある程度は荷物を減らして、

本当に必要なものだけを選別しておこう。

 

残された人に

迷惑をかけない生き方をしよう、と。

 

皮肉なものですが……。

そんな風に、

自分の老後を

真剣に片付けるキッカケをくれた娘には、

ある意味で「感謝」なのかもしれません。

娘の大学除籍が決定してから、3日目。

特に大きな変化はありません。

もちろん娘から連絡が来ることもないし、

身内のLINEも未読のままです。

日常は静かに過ぎていますが、私の中で、

「ものすごくモヤモヤする、嫌な出来事」が実はありました。

 

ちょっと前にもブログに書いた、義母のことです。

 

実は今年の頭、義母は私たちに内緒で娘にお金を貸していました。

最初はそれを隠していたのですが……まぁ、それはもういいんです。

 

問題は、娘と義母の間で

「4月から毎月1万円ずつ返済する」

という約束になっていたこと。

これが、全く行われていません。

娘は、1円も義母に返していないのです。

 

見かねた旦那さんが、

「自分たちは今、娘と連絡が取れないから、お母さんからLINEして」

と義母にお願いしました。

義母が返済についてやんわり書いて送ってくれたものの、

それすら現在も未読のまま。

 

まず、娘が義母にお金を返さないことに対して、

親としてとても申し訳ない気持ちがありました。

かと言って、私が代わりに義母へ返済するのも違う。

義母も私たちからは受け取らないでしょう。

 

そこで私は、思いました。

「LINEがダメなら、手紙なら読むかもしれない」と。

 

旦那さんに相談したところ、

「確かに、親父が亡くなる前に最後に送った手紙は読んでいたから、その手はアリかもしれない」

とのこと。

 

そこで旦那さんは、仕事帰りに実家へ行き、

義母に手紙の提案をしてくれたのですが……。

 

そこで返ってきたのは、私の予想を遥かに超える言葉でした。

 

「LINEも見ない子に、手紙を書いたって読まないでしょ」

「初盆も来る気なんてないだろうから、お知らせのLINEも見ていないんだし……」

「そんな子に、私は手紙なんて書きたくない」

 

そして、極めつけの一言。

「お金は、もう戻してもらわなくていいわ」

 

……えっ!?

 

冷たいの?怒っているの?それとも、ただ面倒なだけ?

 

私には、さっぱり分かりません。

 

なぜなら、私の知る義母は、『もの凄くお金にシビアな人』だからです。

 

元々、孫(娘)をそこまで可愛がっていませんでした。

 

生まれてからのお祝いもなければ、

誕生日、入園・卒園、入学・卒業、すべてにおいてお祝いは一回もナシ。

 

「ランドセルなんて親が買うのが当たり前。なんで祖父母がお金を使うの?」というスタンスです。

 

もっと凄かったのは、お年玉です。

0歳は0円、1歳は100円、2歳は200円……と増えていき、

中学生になって、やっと1000円。

高校生で2000円でした。

 

高校や大学の入学祝いも、もちろんゼロ。

 

ついでに言えば、私たちが家を購入した時も、

新築祝いも含めて1円も出していません。

(まぁ、これは余談ですが・笑)

 

そんなお金にシビアな義母が、

貸したお金を「戻さなくていい」と言うなんて…

 

本当に、なんなのでしょうか…

 

見限ったからなのか、関わりたくないからなのか…

 

これが今、私の中で1番の謎です。

「はい、除籍になりました」

「はい、これですべて終了です」

「さぁ、気持ちを新たにスッキリ再スタート!」

……なんて。

正直、そんな簡単に切り替えられるわけがありません。

 

これからは、

「再スタートを切るための努力」

を、私自身もしていかないといけない。

今はそんな風に感じています。

 

私の気持ちだって、正直に言えばまだまだ揺れます。

何度もこのブログに書いてきた言葉ですが

本当にジェットコースターに乗っているみたい。

できれば、もう降りたいです。

こんなジェットコースター、もう乗りたくない(笑)

 

ただ、一つだけ。

私の中で、もうブレないものがあります。

 

それは、

「私は、娘を許すことができない」

という気持ちです。

 

ここからは、私の本音です。

 

あれだけ人を傷つけて…

簡単に嘘をついて…

たくさんの人に迷惑をかけて、心配をかけて…

それなのに、今も楽しそうにライブへ行っている。

また新しい推しまで増えているようです。

(私と旦那さんはXをしていないから友人に娘のXを確認してもらいました)

 

ある意味、すごいなと思います。

本当に、ものすごい神経だなと思ってしまいます。

 

「今、自分が置かれている状況を分かっているの?」

「自分がしてきたことを考えたことはあるの?」

 

言えるものなら、本人に直接言いたいです。

でも、伝える手段もないですし

言うつもりもありません(笑)

 

きっと娘は、

「今が楽しい」

「今が良ければいい」

そういう考えなのだと思います。

 

何事も深く考えたり、悩んだりすることが少ないのだろうなと思います。

正直、冷めた目で見てしまう自分もいます。

「何をしているんだろう、この人は」

って。

 

そう考えるとやっぱり…

私は、もう二度と娘に会いたいとは思わない。

この先、もし関係性が変わるようなことがあったとしても…

 

中学生の頃から今まで、

娘がしてきたこと。

私に向けてきた態度、

浴びせられた言葉、

それらを考えると、今の私には受け入れることができません。

 

もし会うことがあったとしても。

 

大人として、普通の対応はできます。

でも、心の中では

「赤の他人」

そう感じています。

 

親子という名前がついているだけの、赤の他人。

 

今、感情的になって意地になっているわけではありません。

 

自分の中で、何度も考えて。

苦しんで。

悩んだ先で出てきた答えです。

 

本当なら、同じように罵声や暴言を返したいと思うこともあります。

でも、そこは私には理性があります。

親という立場もあります。

何が良くて、何が悪いことなのか。

それを判断する気持ちは、持っています。

 

だから本人には言わない。

 

ここに書いて、吐き出すだけ。

 

これは、私自身の気持ちを整理するためのお話です。

 

学費を納めなかった日から、

1日が経過しました。

 

今日からは少し気分を新たに、

ブログのテイストも

「自分らしく、ありのまま」に

書いていこうと思います。

 

実は、

最終学費引き落とし日の前日である22日に、

旦那さんが大学へ電話をしました。

 

大学側からは基本的に、

親側へ連絡が来ることはありません。

だからこそ、こちらから確認を入れました。

 

電話で確認したのは、

今後の証明書についてです。

 

大学側によると、来月15日付けで

「大学除籍」が確定するとのこと。

その後、

我が家に除籍証明書が届くそうです。

 

ここで、旦那さんが質問しました。

「このことは、娘には伝わるのですか?」

 

大学側の回答は、「わかりません」でした。

……それだと、こちらとしても困ります。

 

いま、私たちから娘に連絡は取れない状態。

だからこそ、大学側から

除籍のお知らせをしてほしいと伝えたのですが、

「そのようなひな形(書類)がない」

との回答でした。

 

それなら、

親に送る証明書をコピーして娘に送ってほしい。

そう旦那さんが食い下がると、

前回、

大学側がこちらとの約束を破ってしまった手前…

気まずさもあるのでしょう。

「コピーを郵送する」ということは、

しぶしぶ承知してくれました。

 

親が送れば一番いいのかもしれません。

でも、親からの封書は

見もせず捨てる可能性がある。

大学側からの封書なら、

さすがに捨てはしないだろうという苦肉の策です。

 

ひとまず、一つずつ、終わっていく。

そんな感覚です。

 

ここからは、私の本当の本音です。

 

「大学に行く意味ってなんだろう?」

 

本当に大学へ行きたいと本人が思うのなら、

行けばいいと思います。

 

でも、我が家のように

「やりたいこともないのに、

何となく高校の流れで行く」

…のだとしたら、

全く意味がないと、今は思います。

 

特に我が家の場合、

「いま何も決められないなら、

大学に行ってから

やりたいことを見つければいい」

と、旦那さんがよく言っていました。

 

でも、我が家にとっては、

これこそが

無駄だったのだと痛感しています。

 

もちろん、みんながみんな、

大学で何も見つけられないわけではないことは分かっています。

 

新しい環境で目標を見つけて、

輝く子がたくさんいるのも知っています。

 

ただ、我が家のように意思が弱く、

人に流されやすく、

我慢が苦手なタイプの子には、

都会の大学は向かなかったのだと思います。

 

そして何より、

そもそも勉強に興味がないのに、

「大学へ行かせるべきではなかった」と、

今ものすごく後悔しています。

 

大金を無駄にしたかもしれない。

 

世間一般の「普通」からは外れたかもしれない。

 

でも、私はへこたれていません。

これが我が家の現実。

 

仕方のない、通るべき道だっただけ。

ここから、また進んでいきます。