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ドーベルマンボルドー裏ブログ

読書、動物との暮らし、日々の気づき。
人生の途中で見つけたことを、静かに書き残しています。



今日の空が綺麗だった。


少し強めに加工したら、記憶の中の空みたいになった。


私は空を見上げるのが好きだ。
風や空気のように、形はないけれど確かにあるものに惹かれる。



りゅうさま~~❣️龍雲



そして筋トレも続けている。


こちらは逆に、目には見えなくてもコツコツ積み重ねる世界。


空を見上げて、ダンベルを握る。


どちらも私の日常だ。







 

愛着スタイルセルフチェック

「また同じようなことで悩んでいる気がする」

そう感じたことはありませんか?

 

人との距離が近くなると苦しくなる。

 

相手の反応が気になってしまう。

 

一人は寂しいのに、近づかれると逃げたくなる。

 

実はこうしたパターンには、愛着スタイルと呼ばれる心の傾向が関係していることがあります。

愛着スタイルとは、簡単に言えば「人との関わり方のクセ」です。

 

それは幼少期の体験だけで決まるものではなく、その後の人生経験や人間関係の積み重ねによっても形づくられていきます。

 

 

まずは簡単なセルフチェックをしてみましょう。

 

 


 

愛着スタイルセルフチェック

以下の質問に答えてください。

0点 まったく当てはまらない

1点 あまり当てはまらない

2点 どちらともいえない

3点 やや当てはまる

4点 とても当てはまる

 


不安傾向

  1. 大切な人からの連絡が遅いと不安になる

  2. 相手に嫌われたのではないかと考えることがある

  3. 人との関係が終わることを必要以上に恐れてしまう

  4. 相手の気持ちや機嫌の変化に敏感である

  5. 相手が自分をどう思っているか気になることが多い
     


回避傾向

  1. 人に頼るより自分で解決したい

  2. 誰かと親しくなりすぎると距離を取りたくなる

  3. 本音や弱さを見せることに抵抗がある

  4. 人を心から信頼するまでに時間がかかる

  5. 一人の時間がないと強いストレスを感じる


安定傾向

  1. 困ったときは自然に助けを求められる

  2. 親しい人には弱音を吐くことができる

  3. 人は基本的に信頼できると思う

  4. 人との適度な距離感を保つことができる

  5. 信頼した相手とは長く安定した関係を築ける
     


採点方法

採点方法

不安傾向の質問1〜5の合計を計算してください。

0〜7点

不安傾向は低め

8〜14点

不安傾向は平均的

15〜20点

不安傾向が強い可能性があります


回避傾向の質問1〜5の合計を計算してください。

0〜7点

回避傾向は低め

8〜14点

回避傾向は平均的

15〜20点

回避傾向が強い可能性があります


安定傾向の質問1〜5の合計を計算してください。

0〜7点

安定傾向は低め

8〜14点

安定傾向は平均的

15〜20点

安定傾向が高め



簡易判定

不安傾向点数が最も高かった人

→ 不安型の傾向

回避傾向点数が最も高かった人

→ 回避型の傾向

不安傾向と回避傾向点数がどちらも高かった人

→ 恐れ回避型の傾向

安定傾向点数が高く、不安・回避傾向点数が低かった人

→ 安定型の傾向


結果の見方

安定型

人との距離感が比較的安定しているタイプ。

親密さと自立のバランスが取れている。

 


不安型

見捨てられることへの不安が強いタイプ。

相手の反応に敏感になりやすい。

 


回避型

自立心が強いタイプ。

人に頼ることや弱さを見せることが苦手な傾向がある。

 


恐れ回避型

人とつながりたい気持ちと傷つくことへの恐れが共存しているタイプ。

近づきたいのに近づけない葛藤を抱えやすい。

 


 

 

あなたの結果はいかがでしたか?

 

実は愛着理論で本当に重要なのは、

「私は何型か」

ではありません。

 

なぜそのパターンを身につけたのか。

そして、どうすればより安心できる人間関係を築けるのかです。

 

noteでは

✔ 上級診断30問

✔ 自己モデル・他者モデル分析

✔ 愛着スタイル別の深層心理

✔ 愛着スタイル別の取扱説明書

✔ 愛着を安定化させる具体的方法

✔ ナラティブワーク

 

を詳しく解説しています。

noteはこちら

 

 

私自身もこの記事を書きながら、自分の愛着スタイルについて改めて考えました。

 

愛着理論は人を分類するためのものではなく、自分を理解するための地図なのかもしれません。

 





「なんで人が変わっても、同じような嫌なことをされるんだろう?」



そんなことを考えていた時期があった。



職場でも。
友人関係でも。
家族との関係でも。



相手は違うのに、なぜか似たような理不尽な扱いを受ける。



最初は、


「嫌な人ばかりに当たる」


と思っていた。



でも、そう考えても何も変わらない。



また別の人が現れて、また似たようなことが起きる。



そんな日々が続いていた。


ある日、私は職場で理不尽なことを言われた。



腹が立った。


納得できなかった。


憤慨しながらゴミ袋の口を縛っていた。



その時だった。


突然、頭の中に雷が落ちたような感覚があった。






(゚Д゚)ハッ!!


「私か!」


「私がそうさせているのか!?」



もちろん、相手の言動が正しかったという意味ではない。



理不尽なものは理不尽だ。



けれど、その瞬間、今までの出来事が一本の線でつながった。



私はずっと、


「相手が悪い」


「嫌な人ばかりが周りにいる」


と思っていた。



でも違った。



もしかしたら私は、このパターンに慣れ親しみ過ぎていたのではないか。



本当は嫌だ。


すごく嫌だ。


腹も立つ。


傷つく。



それなのに、どこかで


「はいはい、いつも通りね」


「これが私の役回りだよね」


と受け入れていた。



もっと言えば、


「これが私の安心できる居場所」


にすらなっていたのではないか。

そう思った。



不思議な話だけれど、人は苦しいことにも慣れる。



そして慣れたものを無意識に繰り返そうとする。



だから私は、


嫌な扱いを受けるような空気を自分で作り、相手にもそれを許し、


結果として同じ現象を何度も繰り返していたのかもしれない。



その時、初めて思った。


「変わるべきは相手じゃない」


「私だ」


と。



もし私が何も変わらなければ、


10年経っても。


20年経っても。


相手が変わっても。


職場が変わっても。


同じ物語を繰り返すだけだ。



その気づきが、私にとっての転換点だった。



他人軸から自分軸へ。



相手を変えようとする人生から、


自分を見つめる人生へ。



私の内省は、あの日ゴミ袋の口を縛りながら始まったのである。


 

 

 

 

 

 

 

〜私がコージーウェブに辿り着くまで〜

かつて私は、あるブログランキングの大きなカテゴリで、多くの読者に支えられながら発信を続けていた。

 

画面の向こうから押し寄せるアクセス数や、毎日のように増えていく数字。その数字が自分の価値の証明であるかのように感じ、胸を躍らせた時期も確かにあった。

 

しかし、時代がブログからSNSへと移り変わるにつれ、インターネットの空気は少しずつ変わっていった。

 

タイムラインに流れてくるのは、お互いに「いいね」を押し合う関係性や、読んでもいないのに残される反応。距離感を超えた同調圧力や、他者との比較に疲れていく人たちの姿だった。

 

その流れの中に身を置きながら、私は次第に違和感を覚えるようになった。

 

「何か、ズレている」

 

そう感じた私は、いつしか数字への執着を手放し、SNSから少しずつ距離を取るようになった。

 

 

そして辿り着いたのが、

「数は気にしない。ただ自分が書き残したいことを書く」

という今のスタイルだった。

 

かつての私を知る人が見れば、

「いいねの数、めっちゃ減ったね」

と笑うかもしれない。

 

けれど今の私は、この静けさが嫌いではない。

むしろ心地よいとさえ感じている。

「関心経済」という名の競争から降りる

 

現代のインターネットは、しばしば「アテンション・エコノミー(関心経済)」と呼ばれる。

 

人の注意や関心そのものが価値となり、数字が可視化される世界だ。

もちろん、それ自体が悪いわけではない。

 

けれど気づけば、多くの人が数字を追い、アルゴリズムに好かれるために言葉を選び、「読まれるもの」を作ることに疲れてしまっているようにも見える。

 

私自身も、かつてはその競争の中にいた。

だからこそ今は、自分のために書くことを大切にしたいと思っている。

 

今の記事についている数少ない「いいね」は、昔より少ないかもしれない。

 

それでも、その一つひとつが誰かの心の動きの結果なのだと思うと、不思議と重みを感じる。

 

数の多さではなく、言葉が届いた実感。

私が求めていたものは、案外こちらだったのかもしれない。

 

時代は「コージー・ウェブ」へ

最近、「コージー・ウェブ(Cozy Web)」という言葉を目にするようになった。

居心地の良い、小さなインターネット。

 

 

 

大勢の注目を集めることよりも、自分の好きなことを、自分のペースで発信する場所を大切にする考え方だ。

 

SNSが悪いわけではない。

けれど、常に誰かと比較され、数字にさらされ続ける環境に疲れた人たちが、静かな場所へ戻り始めているのも事実だろう。

 

AIによる大量の情報があふれる時代だからこそ、

「誰が書いたのか」

「どんな人生を歩いてきた人なのか」

そんな背景に価値を感じる人も増えていくような気がしている。

 

誰かのための灯台として

「自分だけの日記なら、非公開で書けばいい」

そう思ったこともあった。

 

実際、いいね機能のない場所を探したこともある。

 

それでも私は20年以上、言葉を公開し続けている。

なぜなら、これまでに何人もの人から、

「救われました」

「考えるきっかけになりました」

という言葉をもらったからだ。

 

発信の目的は、もう承認ではない。

けれど、自分の経験や考えが誰かの役に立つことがあるなら、それは嬉しい。

 

今の私にとってブログやnoteは、市場ではなく記録庫だ。

思考や記憶を静かに積み重ねる場所。

 

けれど、その扉は閉じない。

ほんの少しだけ開けておく。

 

今日書いた言葉が、数年後、人生に迷った誰かの検索の先に偶然現れるかもしれないからだ。

 

主役がブログからSNSへ、そしてAIへと移り変わったとしても、

人間の本当の言葉に誰かが救われる。

 

そのことだけは、これからも変わらない気がしている。

 

今日も私は、数字を背後に置きながら、自分が書き残したいことを静かに書いていく。

 

 

 

野良猫が足跡を残していくような軽やかさで。