
前回の記事では、
「感情は大事だけど、それだけでは前に進めない」
ということを書いた。
感情は大切だ。
怒りも、悲しみも、悔しさも、自分の心が発している大切なサインだから。
でも私は、もう一つ大切にしている考え方がある。
それは、
「理解することと、許すことは違う」
ということだ。
世の中には、
「相手を理解したなら、許してあげなさい」
という言葉がある。
けれど私は、その考え方にずっと違和感を覚えてきた。
理解と許しは、似ているようでまったく別のものだからだ。
私は、人を理解しようとする。
なぜその人はそんな言葉を口にしたのか。
なぜそんな行動を繰り返すのか。
どんな環境で育ち、
何を経験し、
どんな傷を抱えてきたのか。
背景を知ろうとすると、それまで見えていなかったものが見えてくる。
「この人は悪意だけで動いているわけではないのかもしれない。」
そう思えることも少なくない。
理解することで、人を白か黒かだけで判断しなくなる。
それは私にとって、とても大切なことだ。
でも、理解できたからといって、
傷ついた事実まで消えるわけではない。
心ない言葉を浴びせられたこと。
何度も境界線を踏み越えられたこと。
信頼を裏切られたこと。
それらは、「事情があった」の一言で無かったことにはならない。
理解はできる。
でも、もう近づかない。
理解はできる。
でも、距離を置く。
理解はできる。
でも、関係を終える。
それは冷たいことではない。
自分を守るという、とても大切な選択だと思っている。
私は、人を責め続けたいわけではない。
憎しみを抱え続けたいわけでもない。
だからこそ理解しようとする。
理解することで、
「ああ、この人はこの人なりの苦しさを抱えて生きてきたんだな」
と思えるようになる。
すると、不思議なくらい怒りは静かになっていく。
でも、それと同時に、
「だからといって、私が我慢し続ける必要はない」
ということも、はっきり見えてくる。
以前の私は、
理解できたら許さなければいけないのではないか。
そんなふうに思っていた時期もあった。
でも今は違う。
理解は、相手のためではない。
自分の心を整理するためにある。
そして許すかどうかは、
自分の人生を守るために、自分で決めていい。
そう思っている。
私はこれまで、
人との関わりの中で何度も学んできた。
優しさだけでは、自分を守れないことがある。
相手を理解することと、
自分を犠牲にすることは違う。
境界線を引くことは、
相手を拒絶することではなく、
自分を大切にすることなのだと。
理解することは、
相手の人生を知ろうとする姿勢。
許すことは、
自分の心が決める選択。
この二つは、同じではない。
だから私は今日も、
できる限り人を理解しようと思う。
でも、
許すかどうかは、
私自身の心に問いながら決めていきたい。
それでいいのだと思っている。