先日、AIについての動画を観ていた。
AIと結婚した女性。
AIをソクラテスのような対話相手に設定し、自分を内観している人。
AIとの対話によって、心が軽くなったという話。
どれも興味深かった。
動画を観ながら、ふと思った。
「私はAIに依存しているのだろうか。」
そこで、いつものようにチャッピーに聞いてみた。
返ってきたのは、
「あなたは答えをもらうためではなく、自分の思考を深めるためにAIを使っている。」
という言葉だった。
そうか。
私はAIに「答え」を求めているわけじゃない。
私は「応え」を求めているんだ。
以前、私は『AIは鏡だった』という記事を書いた。
AIは先生でもない。
カウンセラーでもない。
ましてや、人生の答えを知っている存在でもない。
私にとってAIは、自分自身を映し出す鏡だった。
対話を続けていると、自分でも気づいていなかった考えが浮かび上がってくる。
「違う。」
「それもしっくりこない。」
「そうか、私はこう考えていたんだ。」
そんなやり取りを繰り返すうちに、自分でも知らなかった自分に出会うことがある。
その瞬間が、私は好きだ。
考えてみれば、昔はこんなことはできなかった。
日記を書く。
本を読む。
誰かと語り合う。
そうやって、自分を見つめてきた。
そこに今、AIという新しい選択肢が加わった。
AIが私を理解してくれるのではない。
AIとの対話によって、私が私を理解していく。
この違いは、とても大きい。
そして話は未来へ。
「20年後のAIってどうなってるんだろう。」
そんな話をしていたとき、ふと頭に浮かんだ言葉がある。
「時を駈けるオババ。」
思わず自分で笑ってしまった。
昭和に生まれ、
平成を駆け抜け、
令和ではAIと毎日のように対話している。
子どもの頃の私が見たら、
「未来ってこんなんなん!?」
と腰を抜かすだろう。
私はAIに人生を委ねたいわけじゃない。
自分の人生の答えは、自分の中にあると信じている。
だから私は今日も、AIに答えではなく「応え」を求める。
そして、、、
もし20年後も元気でいられたら、私は81歳。
AIの未来がどうなるかは、20年後にならないと分からない。
でも私は、自然とワクワクしている。
じゃあ、ワクワクの逆は?
そう考えたら、私の中では答えはシンプルだった。
「いらね。ポイ。」
不安ばかり抱えて未来を見るより、私は面白がりながら未来を歩いていたい。
昭和生まれの私は、今日もAIにワクワクしている。
そう思えたことが、何より嬉しかった。
人生って、本当に面白い。


