ウィーン→ミュンヘン→羽田へ~オーストリア・ハンガリー⑬(最終回) | 福岡日記+(プラス)

福岡日記+(プラス)

転勤族から見た福岡や九州の風景、趣味の音楽の話などを綴ります。

オーストリア航空でミュンヘン空港に到着

 

 

 

ちょうど3年前、2020年3月の夫婦ウィーン旅行。いよいよ最終回です。

 

全ての旅行日程を終え、今日はANAの羽田直行便で東京へ帰るだけ。

 

…でも結局、運命のいたずらで、ミュンヘン経由で帰ることになってしまいました。

 

最終回は、巨大なミュンヘン空港、今は見ることのできない窓越しのシベリアの風景などを眺めながらウィーン旅行の最後を振り返ります。

 

***

 

ホテルで荷造りをして、最後の朝食を食べ、今回は便利な空港定額タクシーでウィーン空港に向かいます。

 

この日はウィーンに来て初めての雨。観光の日に雨が降らなくてよかった…。

 

 

 

 

空港に入ります。このカーブを描いた空港ビルも見慣れてきました。

 

 

 

 

出国手続をして、最後にお土産を少し買って、出発ゲートの近くまで行き、イスに座って、「これで全てが終わった。あとは羽田に連れて行ってもらうだけ」と思って安どのため息をつきました。

 

その時、スマホを見ると、以下のメールが目に飛び込んできました。

 

 

 

 

 

なんと、帰りの羽田便、欠航!…一瞬呆然としました。

 

しかし、ぼーっとしている訳にもいきません。搭乗口のところに行くと、多くの人が集まって係員に話を聞いていました。

 

どうやら、ミュンヘンかフランクフルト経由で帰る便を確保してくれるとのこと。

 

しかし、現地人職員にいくら聞いても「待て」というだけで埒があきません。日本人職員に直訴して、ようやくウィーン⇒ミュンヘン(オーストリア航空)、ミュンヘン⇒羽田(ANA)のチケットをもらいました。

 

ミュンヘン便は夕方発。たまたまANAカードのステイタスが高かったこともあり、同じスターアライアンスのオーストリア航空のラウンジを使わせてもらうことになりました。

 

ラウンジは国内線エリアにあり、オーストリア航空の職員にわざわざ案内してもらいました。待ち時間が長かったので、ラウンジを使わせてもらったのは本当にありがたかったです。

 

ラウンジから見たウィーン空港の眺めです。

 

 

 

 

夕方近くになり、ラウンジを出て搭乗口に向かいます。

 

欧州はシェンゲン協定で域内のビザなし滞在が認められているため、ウィーン⇒ミュンヘン便は国内便扱いになります。

 

このため、朝、ウィーン空港国際線で出国手続した後、国内便エリアのオーストリア航空ラウンジに移動する際に一旦入国手続をし、ミュンヘンに移動してから再度出国手続をすることになります。

 

今、パスポートを見返すと、その過程が記されています。

 

 

 

 

時間もあったので、最後で最後のお土産を見ました。

 

私が見たのは、最後まで気になっていたハンガリーワイン。ブダペストでは時間がなくて、ろくにお土産も買えなかったので、空港で見てみようと思いました。

 

しかし、オーストリアの空港なのでハンガリーワインはなく、オーストリアのハンガリー国境地域でハプスブルク帝国時代はハンガリーだったブルゲンラント州のワインにしました。

 

ハイドンの庇護者だった地元の貴族・エステルハージ家と同じ名前を冠したワインです。

 

 

 

 

買い物の後、ミュンヘン行きの飛行機に乗り込みました。

 

前年にオーストリア航空で行ったザルツブルクはプロペラ機で40~50分だったと思います。ミュンヘンはザルツブルクのさらに先で、ジェット機で約1時間です。

 

 

 

 

夕焼けがあたりをきれいに包み始めました。

 

 

 

 

17:30頃、ミュンヘンに向けて出発です。

 

前年にザルツブルクに向かって飛び立った時も思いましたが、空港を飛び立つとすぐに一面の田園風景です。

 

 

 

 

高度を上げて、さらに広がるウィーン郊外の風景。

 

 

 

 

雲の上を飛んでいるうちにいつの間にか国境を越えたのでしょう。夕闇迫る中、飛行機は高度を下げ、街の明かりが見えてきました。

 

 

 

 

光が集まっているのがミュンヘンの街でしょうか?

 

 

 

 

ミュンヘン空港に着陸です。時間は18:30くらい。

 

 

 

 

なんだかとても大きな空港のようです。

 

 

 

 

後で調べたら、フランクフルトに次ぐルフトハンザのハブ空港とのこと。道理で、ルフトハンザ機があふれていました。

 

オーストリア航空は、オーストリアのフラッグ・キャリアですが、ルフトハンザのグループ会社です。

 

 

 

 

到着しましたが、ここからが問題。無事搭乗口までたどり着けるか?

 

ANAはターミナル2のゲートHだそうです。

 

 

 

 

ゲートHに行くには、このシャトルに乗るらしい。

 

 

 

 

シャトルはコンクリートの穴の中を進んでいきます。ウィーン空港とは雰囲気が全然違いますね。

 

 

 

 

シャトルを降りて、巨大なエスカレーターに乗ります。

 

 

 

 

巨大空港の機能美。ウィーンの暖かさとは対極にある現代の機械文明。機能美を追求する「バウハウス」のようなもの?全然違う?

 

 

 

 

第2ターミナル。よく覚えていませんが、このあたりで最後の出国手続をしたと思います。

 

昔に比べると、パスポートが電子化されて入出国手続であれこれ聞かれることもなくなり、気が楽になりましたね。

 

小さくて見えないけど、ゲートHは左奥だ!

 

 

 

 

目的地のゲートHはひと気のない最果てのような場所にありました。

 

 

 

 

ANAだ!やったー!がんばれニッポン!…ここに辿り着いたらもうこっちのものです。

 

 

 

 

ここで座って、イモトのWi-Fiで日本に帰国予定時間を電話します。

 

Wi-Fiはオーストリアとハンガリーで使う契約だったので、ドイツで使ったら追加料金かなと思いましたが、後から請求されたりしませんでした。ハンガリーではなぜか使えませんでしたけどね。

 

飛行機に乗り込み、いよいよ出発です。時間は20時過ぎ。ミュンヘン到着から1時間半ちょっと後ですから、あまり時間がなかったんですね。

 

 

 

 

考えてみると、ミュンヘンに立ち寄れたのは、(一時真っ青になってめちゃくちゃ焦りまくったことを別にすれば)貴重な経験でした。

 

ミュンヘンといえば、后妃エリザベートの故郷ですし、ヒトラーのミュンヘン一揆の舞台ですし、私の大好きな指揮者クナッパーツブッシュが愛し、ミュンヘンフィルとともにブルックナー8番の歴史的名演を打ち立てた場所でもあります。

 

今回ウィーンに来る時のANA便B787のオーディオには「クナッパーツブッシュ/ミュンヘンフィルのブルックナー8番」があり、寝ながらずっと聴いていたのはミュンヘン行きの予兆だったのでしょうか?

 

ウィーンとは比較にならない圧倒的なミュンヘン空港を見て、こじんまりしたウィーンの良さを再認識した感じもします。

 

もちろん、ミュンヘンも外に出れば歴史的で古雅な場所はいくらでもあるんでしょうけどね。

 

 

 

 

飛び立った後の機内では、ディスプレイでフライトルートを見ていました。

 

ポーランドを通過した記憶はありますが、おそらくウクライナかベラルーシの上も飛んだでしょう。その後、サンクトペテルブルクを横に見てモスクワの近くを通ったと思います。

 

今では考えられませんね。

 

当時はウクライナ侵攻も何もありませんから、今度こそ安心して、食事をして寝ました。

 

暫くして起きてブラインドを開けると、明るくなった窓越しに見えたのは荒涼としたシベリアの大地でした。

 

これがツンドラというものかどうかよく分かりませんが、どちらかというと乾いた印象でした。

 

 

 

 

突然、砂嵐なのか雲なのか、波のようなものが大地を覆います。

 

 

 

 

結局、雲に隠れて何も見えなくなってしまいました…。広大な自然の営みを覗いたような感じでしたが、あれは何だったんでしょうか?

 

 

 

 

3年前と今を比べた大きな違いは、コロナとウクライナ侵攻です。

 

今や、西側の飛行機は3年前のようにロシア上空を飛べず、南回りや北回りなどヨーロッパ便は大変なことになっています。

 

コロナで大幅縮小した国際便は徐々に便を増やしてきましたが、3年前にはあったANAのウィーン直行便は少なくとも今年秋まで運休、オーストリア航空の直行便は5~10月(観光シーズンということでしょうか)運行予定だそうで、今はありません。

 

再開しても、ロシア上空が飛べないと成田からウィーンまで14時間以上かかるようです。

 

コロナによる国境封鎖もウクライナ侵攻による航路変更も、「平時には感じない国家の壁」を感じる機会になったように思います。

 

さて、飛行機はいつの間にか広大なシベリアの大地を抜け、日本海上空に出ました。

 

美しい日の光。

 

 

 

 

そして、いよいよ日本です。

 

 

 

 

この湖はどこか分かりませんが、なぜかすっかり地元に帰った気持ちになりますね。

 

 

 

 

いよいよ帰ってきました。東京湾アクアラインの海ほたる…無事羽田に着陸し、旅を終えました。

 

土曜日の早朝に到着予定でしたが結局夕方になり、半日ちょっとの遅れとなりました。でも、今だから思うけど、ミュンヘンに行けて面白かったな…。

 

 

 

 

空港でイモトのWi-Fiを返し、帰途に着きました。Wi-Fiあって便利でしたよ。ハンガリーでは使えなかったけど。

 

土曜日に帰ってきて、次の日曜日夕方から沖縄出張でした。仕事に間に合ってよかった!

 

職場の人たちへのお土産。マンナー、エリザベート、歌劇場のチョコレートです。

 

再び日常が始まりました。

 

 

 

 

***

 

これで旅行記は終わりです。

 

2020年3月2~7日、コロナ蔓延直前の最後のチャンスでした。

 

以前にも書いたとおり、この後コロナはウィーンを含む全世界に蔓延。3月12日にはウィーンの主要観光地が閉鎖されました。

 

私たちが訪問した時には「オーストリアには覆面禁止法があるのでマスクをしないように」と言われて、往きの機内でマスクを外し、ウィーンの街にマスクをする人はいませんでした。その後、日本に帰ってからテレビで見ると、ウィーン市民もみなマスクをしていました。

 

国際線も止まり、その後コロナが漸く収まってきたかと思った昨年2月にはロシアのウクライナ侵攻。ヨーロッパはますます遠くなってしまいました。

 

平時、平穏、平和…何気ない日常生活が何気なく過ごせることの大切さを感じたこの3年間でした。

 

 

【終わりに】

ミュージカル「エリザベート」博多座公演千秋楽・オンライン配信観劇記

 

つい最近の23年1月末、ミュージカル「エリザベート」の博多座公演千秋楽がオンライン配信されると聞いて、妻と観ました。

 

旅行記を終えるにあたり、このミュージカルを観て感じたことを少し書きたいと思います。

 

今回観て、この物語は、「死(トート)にいざなわれたエリザベートの物語」というだけでなく、「ハプスブルク帝国の崩壊という死(トート)」を描いているのかなと感じました。

 

そういった「死」や「崩壊」に対して「愛」や「美」を感じるかは感性次第で、必ずしも全世界共通ではないように思います。

 

実際、このミュージカルの公演は、ヨーロッパ各国と日本、韓国くらいで、イギリスやアメリカでは上演されていません。

 

博多座のカーテンコールで演出の小池修一郎さんが「アメリカの演出家は『この作品はアメリカでは無理だ』と言っていた」とおっしゃっていましたが、分かるような気がします。

 

その「陰の主人公」である「トート」を演じた井上芳雄さんと古川雄大さんはどちらも素敵で、経験豊富で味の濃い井上さん、冷ややかで秘めた狂気を感じさせる古川さん…オンラインなので両方観られてよかった!という感じです。

 

「トート」に導かれて滅びていったハプスブルク帝国ですが、現代の我々がそれを「敗者」と感じているかというとそうではなく、現代に多くのものを残してくれた存在と感じているのだと思います。

 

2回のウィーン旅行で、そうしたことをはっきりと感じました。

 

このミュージカルの舞台装置の基本となっている、フランツ・ヨーゼフ、エリザベート、ルドルフの3人のお棺です。ウィーンのカプチーナ教会にあります。

 

 

 

 

そしてこれがエリザベートのお棺。「エリーザベト・イン・バイエルン」と書いてあり、これを見て「ああ、この人は生涯バイエルンの人と認識されていたんだな」と感じました。今回ミュンヘンに行けてよかったです。

 

 

 

 

芸術を通じて街を知り、街を通じて芸術を知る、というのがウィーンらしいところですね。

 

シェーンブルン宮殿の前庭で演じられたミュージカル「エリザベート」のDVDも豪華でお勧めです!

 

 

 

【今日のBGM】

ミュージカル「スワンキング」

 2022年6/8-17 東京国際フォーラム

・ウィーン旅行最終回のこのコーナーは、最後に立ち寄ったミュンヘンに因んだ作品を書きたいと思います。

・「スワンキング」は、「狂王」とも呼ばれたバイエルン王国のルートヴィヒ2世を描いた新作ミュージカルです。

・ミュンヘンは、今はドイツ連邦の1州となったバイエルン王国の首都でした。

・彼はエリザベートのいとこですが、ワーグナーに心酔して莫大な援助を行い、有名なノイシュヴァンシュタイン城など城をいくつも建てて国会財政を危うくし、廃位されて謎の死を遂げます。

・これを日本独自のミュージカルに仕立てたのが「スワンキング」。ここでも「滅びの美学」「死と美」といったテーマが取り上げられ、私も惹きつけられて思わず妻に「行こうよ」と言ってしまいました。

・東京国際フォーラムに行ったのは久しぶりです。舞台では、ワーグナーを演じた別所哲也さんの存在感が圧倒的でした。

・実はこの物語、かなり偉大な先輩がいます。巨匠ルキノ・ヴィスコンティが撮った「ドイツ3部作」の最後、映画「ルートヴィヒ」(1972年)です。

・「スワンキング」を観て、大学時代に名画座で夜通しヴィスコンティの映画を観た心酔の日々を思い出し、「ドイツ3部作」のDVDを買ってしまいました。

・ヴィスコンティはまさに「死の影が漂う耽美の世界」の巨匠です。彼の愛した主人公のヘルムート・バーガーは「狂王」らしい怪しい魅力ですね。

・これをきっかけに、マーラーにも通じるヴィスコンティの耽美的な世界にもう一度浸ってみたいなと思います。いつかこのブログでご紹介できればいいなと思います。