2023新春!石神井城と練馬城~練馬わが町⑧ | 福岡日記+(プラス)

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転勤族から見た福岡や九州の風景、趣味の音楽の話などを綴ります。

あけましておめでとうございます!

 

石神井公園の三宝寺池と東屋

 

 

 

あっという間に1年が過ぎてしまいましたね。

 

2回目のウィーン旅行記ものんびり書いているうちに、足かけ3年目に突入してしまいました。

 

でも、ウィーンの街は3年くらいではその魅力が変わったりしないでしょうから、焦らずいきたいと思います。

 

今回は、大詰めのウィーン旅行記を1回お休みし、地元練馬の初詣の話題を。

 

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今年の初詣は、いつも行く氏神様の春日神社のほかに、その近くにある練馬城址(旧豊島園遊園地)、西武線で少し足を延ばした石神井公園の石神井城址を巡り、そこにある神社にお参りしてきました。

 

はじめは石神井公園から。

 

最寄りの地下鉄有楽町線平和台から二つ池袋寄りの小竹向原に向かい、西武有楽町線(この線名はあまり知られていませんが)に乗り換え、西武池袋線へ。

 

 

 

 

地下鉄有楽町線は池袋~小竹向原間で副都心線と並行運転(複々線)しており、東武東上線と西武池袋線へとつながります。

 

おかげで、わが平和台からは有楽町、豊洲、渋谷、横浜、朝霞・森林公園、小竹向原乗り換えで石神井・所沢方面が直通感覚で行けるので大変便利です。

 

でも、相互乗り入れが複雑すぎて、慣れない人は難しいでしょうし、一つの線の事故や遅れが広範囲に伝搬するのが玉にキズですね。

 

因みに、東武東上線は当初、都営三田線と直通運転する予定だったそうです。そうするとこんな複雑な接続にはならなかったでしょうが、わが平和台の駅は作られなかったかもしれません。

 

石神井公園に着きました。小竹向原から準急で2駅です。

 

 

 

 

以前勤めていた会社のグラウンドが石神井にあり、運動会などで若い頃は時々来ましたが、ずいぶん前にそのグラウンドもなくなり、ここに来るのは本当に久しぶりです。

 

 

 

 

駅前商店街を歩いてしばらくすると、突然の自然。石神井公園に到着です。ここは石神井池。

 

 

 

 

目的地の石神井城址のある三宝寺池方面を目指し、西に向かって歩きます。日が傾いてきました。

 

 

 

 

石神井公園の中に入ります。三宝寺池の周辺は湿地なので木道が敷かれています。

 

 

 

 

三宝寺池の南側に丘が。これ、なんかお城っぽいですね。

 

 

 

 

丘のふもとを見ると、やはりありました。「石神井城址」の文字。

 

 

 

 

石神井城は地元の豪族・豊島氏の本拠地でした。

 

豊島氏は、桓武平氏に連なる平安時代の武蔵の豪族・秩父氏の子孫で、同じ血族の「秩父党」にはNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に出てきた畠山氏もいます。

 

豊島氏発祥の地は今の北区豊島と言われ、豊島氏の治めた場所は「豊島郡」(今の千代田区、中央区、港区、文京区、台東区、墨田区南部、荒川区、北区、新宿区、渋谷区、板橋区、練馬区の12区)となり、都心の大半を含みます。その名前は、豊島区、北区豊島、豊島園等に残っています。

 

丘を登ると、このあたりが石神井城の主郭跡だそうです。

 

 

 

 

豊島氏は源頼朝の挙兵に呼応して鎌倉殿の御家人となり、承久の乱にも参戦します。鎌倉の権力闘争からは距離を置いたのか、その血脈は室町時代に引き継がれます。

 

豊島氏が本拠地・石神井城とその支城の練馬城(豊島園遊園地)を築城したのは、室町時代中期の14世紀末と言われています。

 

室町時代の関東地方は鎌倉公方とその補佐役の関東管領により治められていましたが、1455年、両者が激突する「享徳の乱」が起きました。これが関東地方における戦国時代の始まりと言われています。

 

1457年、関東管領上杉家の家臣・太田道灌は江戸城と河越城(今の川越)を築き、2城を結ぶ軍事道路(後の川越街道)を整備しました。

 

1476年、関東管領上杉氏の重臣・長尾氏が古川公方(鎌倉公方の後継)と組んで主君に反旗を翻す「長尾景春の乱」が勃発。豊島氏の当主・泰経はこれに呼応して挙兵し、川越街道を分断したため、太田道灌との戦いになりますが、「江古田原沼袋の戦い」で敗れ、練馬城、石神井城も陥落します。

 

これが戦国時代初期の出来事です。その後、太田道灌は乱を鎮めますが、その名声を恐れた主君の上杉氏に粛清され、戦国の世は泥沼化します。関東版の戦国アナザー・ストーリーですね。

 

石神井公園に隣接する氷川神社。参拝に多くの人が並んでいたので、遠くから拝ませていただきました。

 

 

 

 

石神井公園を散策すると、三宝寺池に張り出すように厳島神社がありました。こちらは落ち着いてお参りができました。

 

 

 

 

厳島神社の裏手の東屋。冬のひとときですね。

 

 

 

 

厳島神社から少し離れて、やはり池に突き出した水神社です。小さな祠にお参りしました。

 

 

 

 

そろそろ駅に戻りましょう。

 

三宝寺池は湿地帯で、沼沢植物群落があるそうです。都会の貴重な自然ですね。

 

 

 

 

石神井公園は、昔からの地域の歴史を思い起こさせ、都会に豊かな自然を与えてくれる憩いの場所でした。

 

夕日も傾き、暗くならないうちに、次の目的地である練馬城址、豊島園に向かいましょう。

 

 

 

 

石神井公園から西武池袋線で練馬まで戻り、豊島線に乗り換えます。写真上部には丸い月が。

 

 

 

 

豊島園駅に着きました。ホームの中央が膨らんでいるのは、豊島園が多くの団体客を迎え入れてきた名残りでしょう。

 

 

 

 

私が乗ってきた電車と入れ替わりに、黄色い電車が練馬駅~池袋駅に向かって発車しました。建物の間を縫うような単線の線路に吸い込まれていきます。

 

 

 

 

豊島園駅のホーム。遊園地が閉園した今は閑散としています。

 

 

 

 

駅の正面に行くと、今は工事中のようです。

 

 

 

 

駅前にすぐ、豊島園の入口がありましたが、今は工事中のフェンスに覆われています。

 

 

 

 

↓フェンスの中の風景はこれです!

 

初詣の数日後、昼間にここを通ったので、フェンスの隙間から写真を撮りました。ここが練馬城址です。

 

 

 

 

練馬城は石神井城の支城であり、戦国時代初期には豊島家当主・泰経(石神井城主)の弟の泰明が城主でした。

 

泰明は江古田原沼袋の戦いで討死。豊島氏も滅び、練馬城は長く歴史から消えてしまいます。

 

その後、雑木林を開発して1926年に「練馬城址 豊島園」が開業。日本で最も古い遊園地の一つです。経営者は転々としますが、1941年に武蔵野鉄道(今の西武鉄道)の経営となりました。

 

太平洋戦争中は閉園し軍事施設になっていましたが、戦後は地元密着の「水と緑の遊園地」として親しまれました。

 

東日本大震災後、防災に本腰を入れた東京都の閉園要請を受け、この土地は「練馬城址公園」として整備されることとなり、2020年8月31日、豊島園は94年の歴史を閉じることになりました。

 

閉園直後の2020年12月にここを訪れた時の写真です。やはり夕方でした。

 

 

 

 

もう使われることのないアトラクションと「としまえんでうまれた笑顔が、未来を輝かせますように。」というメッセージには胸にぐっときますね。

 

 

 

 

当時は、豊島園駅も普通に営業していました。これから駅名はどうなるのでしょうか?

 

 

 

 

豊島園跡は、防災公園になるだけではありません。ハリー・ポッターのスタジオツアー施設ができるそうです。しかも開園は2023年!今年です。区民として期待したいと思います。

 

 

 

 

鎌倉~戦国初期の練馬城、近現代日本の成長に潤いを与えた豊島園遊園地、そして新たな防災公園…この場所が時代時代で担ってきた、そして担っていく役割を感じました。

 

さて、初詣の続きです。夕闇が濃くなってきました。

 

豊島園は閉鎖されましたが、入湯施設「豊島園 庭の湯」は営業しています。そしてその横は、石神井城址から流れてきた石神井川です。

 

 

 

 

豊島園から歩いて10分ほどのところに、毎年お参りする春日神社があります。

 

 

 

 

夕闇迫る風景はいつもとちょっと風情が違いますね。

 

 

 

 

今年も新年の祈りをささげ、お札を買って…と思いましたが、時間が遅くて売り場は既に閉店。数日後に改めて買いに行きました(先ほどの豊島園の昼間の写真はその時のものです)。

 

 

 

 

春日神社から自宅への帰り道。ぶらぶら歩いて、いつもお参りする環八通り沿いのお地蔵さんへ。鈴を鳴らす縄が擦り切れてきているので、今年はお賽銭を少し奮発しました。

 

 

 

 

ここで完全に暗くなってしまったので、そのほかの定番お詣り処は別の日の昼間に行きました。

 

平和台駅前の馬頭観音。

 

 

 

 

道端に立つ庚申塔。

 

 

 

 

通りを背にして立つ庚申塔。

 

 

 

 

今年は、いつもの初詣のほか、石神井城と練馬城の跡を訪ね、戦国初期に遡る地域の歴史に思いをはせることができました。

 

また折に触れて地域探訪を続けていきたいと思います。

 

 

 

【今日のBGM】

クレメンス・クラウス デッカ全録音(16CD)

・お正月なので、ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートを創設した指揮者クレメンス・クラウスをとりあげましょう。

・この指揮者は、ウィーン生まれで名前もオーストリア風。昔からニューイヤー・コンサートのCD3枚組は持っていましたが、「フランツ・ヨーゼフ1世のご落胤」とも噂されるこの指揮者のことをもう少し知りたいなと思っていました。

・ある日、このユニバーサル・オーストラリア(オーストリアではありません)のボックスをみつけ、我慢できずに買ってしまいました。

・巨匠バックハウスとのベートーヴェンのピアノ協奏曲もいいですが、リヒャルト・シュトラウスのサロメツァラトゥストラの艶のある演奏や、コウモリやジプシー男爵などヨハン・シュトラウスの軽やかな魅惑…聴きごたえがありました。

・ただ、この人は1953年のバイロイト音楽祭の「ニーベルンクの指輪」が名演と讃えられるなど、さらに奥が深いようです。

・CD集の最後は、1939年末にクラウスが創設したニューイヤー(イヴ)コンサートに因んだワルツやポルカ。新春のひとときを楽しく過ごすことができました!

・因みに、最近のニューイヤーコンサートでは、2021年の無観客公演を振ったムーティ、2022年の観客復活公演を振ったバレンボイムの二人の大御所が「コロナの中での音楽の力」を力強く説くメッセージが圧巻でした。今年は打って変わって、陰影の深いヨーゼフ・シュトラウスの初発掘曲多数や初登場のウィーン少女合唱団など、オーストリア出身のウェルザー=メストならではの拘りが炸裂し、音楽のフレッシュで幅広い楽しみを満喫できました。

・古いCDも面白いな!、でもライブはやっぱりいいな!、ウィーンまた行きたいな!、ですね!!!