謹賀新年2022~練馬わが町⑦~今年は板橋も | 福岡日記+(プラス)

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転勤族から見た福岡や九州の風景、趣味の音楽の話などを綴ります。

あけましておめでとうございます!

 

12月は忙しくてついに一本もブログが書けずに終わってしまいました。

 

次はウィーン旅行のブダペスト遠征編なのですが、その前に新年のご挨拶と初詣の模様を。

 

大みそかの「ゆく年くる年」を見ていましたが、どこもすごい人出でした。今年の3ヶ日は昨年の反動で初詣が多いんだろうなと思い、成人の日の3連休に行くことにしました。

 

今年の目玉は、板橋区赤塚にある「東京大仏」です。


東京大仏

 

 

 

割に天気のいい日の午後、練馬区春日町の家を出て、氏神様の春日神社に向かいます。

 

環八に向かう途中で、小さな祠を見つけました。↓

 

小さいながらも境内があり、以前から横目で見てはいたのですが、今日は初詣なのでお詣りしました。

 

数日前の雪がまだ残っていました。

 

 

 

 

環八沿いにあるふじ大山道のお地蔵さん。いつもおなじみでお詣りしました。

 

 

 

 

真ん中の小さなお地蔵さんはかわいい冬支度をしてもらって、温かそうです。生花も飾られていました。

 

 

 

 

環八を渡って春日神社へ。

 

昨年は自粛期間中でしたが3が日は結構人がいました。今年は1週間ずらしたら静かなものです。密でなくてよかったと思います。

 

 

 

 

毎年来ているこの春日神社。源頼朝の奥州征伐の際に配下の工藤氏が奈良の春日大社の祭神を勧請して戦勝祈願したのが起源だそうです。

 

結構由緒あるんですね。

 

 

 

 

さて、ここから東京大仏まで行くのに、当初はバスで成増まで行ってそこから歩こうとしたのですが、スマホで時刻表を確認したら次のバスは40分後…。

 

他にいいルートはないし、近くにタクシー乗り場もないし、今年は諦めるか…と思って引き返しかけたところ、近くの道でたまたま客を下した空車のタクシーに出会いました。

 

「これこそ神仏のお導き!」とばかりにすかさず乗車。こいつは春から縁起がいいかも。

 

着きました。

 

ここは板橋区赤塚。武蔵野台地の端だそうで、境内までは階段で上がっていきます。

 

 

 

 

ここは乗蓮寺というお寺ですが、起源は14~15世紀にさかのぼり、1973年に首都高速建設等の影響で中山道の仲宿(板橋区役所の近く)からここ赤塚に移ってきたそうです。さすが高度成長期。私が小学生の時ですね。

 

 

 

 

江戸時代は家康から寄進を受けたり吉宗の鷹狩りの休息所になったそうで、葵の御紋がそうした歴史を物語っています。

 

 

 

 

門をくぐると「赤塚城二の丸跡」の碑が。↓

 

本丸跡は東京大仏の北側の赤塚公園にあります。赤塚城には源頼朝が立ち寄ったという伝説もあるそうですが、起源は不明。15世紀に千葉の市川から移ってきた千葉氏の居城となり、後北条氏の有力な拠点でしたが、秀吉の小田原平定に伴い廃城となりました。

 

「赤塚城二の丸跡に乗蓮寺が引っ越してきた」という言い方の方が正しいのでしょうね。

 

 

 

 

門をくぐると右手に大仏の姿が。第一印象は、「ずいぶんきれいな大仏だな」。

 

それもそのはず。できたのは乗蓮寺の赤塚移転後の1977年ということです。

 

 

 

 

青銅の鋳造坐像大仏では奈良、鎌倉に次いで3番目に大きいとのことですが、2018年の東京都日の出町・鹿野(ろくや)大仏(第2位)の完成で第4位になったという話も聞きます。

 

 

 

 

ここで少し、私がここ数年に見た他の大仏を見てみましょう。

 

奈良の大仏様。やはり貫禄ですね。指先の表現にまで意味がありそうです。東京大仏に比べて顎がちょっとシュッとしているかな。

 

 

 

 

最近まで知らなかったのですが、富山県高岡市に行った時、高岡大仏を見ました。地元では、日本三大仏の一つと言われているようです。

 

銅製の大仏が作られたのは1933年ですが、もともとは1221年に源氏が作った木造大仏が起源とのことで、これはこれで由緒があります。

 

与謝野晶子が「鎌倉大仏より美男」と評したとか…。確かに優しい感じがしますね。

 

 

 

 

東京大仏に戻りましょう。乗蓮寺の本堂にもお詣りしてきました。

 

 

 

 

案外身近にあった大仏との出会いでした。

 

帰りは家まで歩いて40分程度。のんびり歩いて途中で面白そうなところがあれば寄ろう、と思いながら東京大仏通りを歩いていると、大きなお寺の横を通りました。

 

松月院です。

 

 

 

 

赤塚城主となった千葉氏が菩提寺としたお寺で、長い参道や門も立派です。

 

 

 

 

江戸時代には家康から寄進を受け、歴代将軍からも保護を受けたそうです。

 

 

 

 

この寺が有名なのは、幕末に砲術家の高島秋帆が西洋式の砲術訓練を行って諸大名の度肝を抜いた際の本陣がここだったことです。

 

砲術訓練が行われた場所は今の高島平。高島秋帆に因んで命名されたそうです。知らなかった…。

 

高島秋帆といえば、昨年の大河ドラマ「青天を衝け」で玉木宏さんが演じ、岡部藩の牢獄にいる際に幼き渋沢栄一と会話したシーンが印象に残っています。

 

秋帆が捕らえられたのは、ここでの砲術訓練の翌年だったそうですが、その後の復権も大河ドラマに描かれていましたね。

 

 

 

 

境内には、高島秋帆を顕彰する碑(火技中興洋兵開祖碑)がありました。

 

 

 

 

東京大仏通りは松月院のあたりから赤塚中央通りになります。

 

ここは、昔の埼玉道。雑司が谷から江古田、氷川台、平和台(丸久保)を通り、赤塚城の先にある荒川早瀬の渡しから埼玉の戸田に続く道です。

 

古い道らしく、途中にはお地蔵さんもありました。このお地蔵さんも温かそうです。

 

 

 

 

赤塚中央通りが東武東上線と交わるところが下赤塚駅です。

 

最近はありませんが、帰りが遅くなって有楽町線がなくなった時に東上線経由で下赤塚から歩いて帰ったこともありました。

 

 

 

 

東上線と並行して走る川越街道を渡ります。このあたりから練馬区に戻ってきます。

 

 

 

 

練馬区に入ると道も狭くなり、おなじみの生活道を歩いて帰る感じです。

 

途中で二股に分かれる道。左は平和台に続く埼玉道。右は豊島園…練馬城跡に続く道です。わが家は右方向。

 

 

 

 

途中には畑の風景が。練馬だなあ。

 

 

 

 

そのまま歩くと、いつもおなじみの庚申塔のある十字路に着きました。まっすぐ行くと豊島園(練馬城跡)。わが春日町は右に曲がって田柄通りへ。

 

 

 

 

そして、家の近くの道路わきの庚申塔。お正月は造花もきれいになっていました。

 

 

 

 

ここで一旦家に帰って初詣はおしまい。

 

その後、夕方に平和台のライフに買い物に行くとき、平和台交差点にあるいつもおなじみの丸久保馬頭観世音をお詣りしました。

 

ここは、先ほどの埼玉道がふじ大山道(環八)と交わる場所です。

 

提灯が壊れて、ちょっとかわいそうです。以前は正月飾りもあったのですが…。

 

 

 

 

この馬頭観音、平和台交差点の「味の民芸」の角にあったのですが、民芸が撤退して薬局のウェルシアが入りました。ドラッグストアの出店攻勢でしょうか。

 

ウェルシアさん、観音様を是非よろしくお願いします!

 

 

 

 

民芸だけでなく、平和台交差点近くの飲食店はコロナ期に入ってかなり変わりました。ジョナサンはバーミアンに変わり、駅横の喫茶店も全国チェーンの星乃珈琲店に変わりました。

 

駅入口右隣にある牛丼の松屋は、改修してセルフサービス店になりました。

 

 

 

 

ライフからの帰り道、十字路の庚申塔の近く。以前カラオケ店だったところに「味の民芸」のデリバリー店ができました。駅前交差点の飲食店から奥まったカラオケ店跡地のデリバリー店へ。まさにコロナ時代の象徴ですね。

 

 

 

 

今年は板橋区まで足を延ばして東京大仏に初めて行きましたが、地域の古道にも思いを馳せることとなりました。

 

地元の道には歴史の跡がしみ込んでおり、そこでは今まさに現代社会の営み…コロナとの戦いが繰り広げられています。過去から現在への流れをしっかり見ながら未来を考えたいですね。

 

今年もがんばりましょう!

 

 

 

【今日のBGM】

・スタン・ゲッツ

 ピープル・タイム、ゲッツ/ジルベルト

・最近、ジャズのテナーサックス奏者、スタン・ゲッツに魅せられています。

・今まで、音楽の中でジャズは苦手で、ブルース、ゴスペルに近いもの以外は何度聴いてもよく分かりませんでしたが、はじめて「いい」と思えるものに出会いました。

・出会いは偶然。私はいつも日曜の午後2時頃から東京FMの山下達郎サンデーソングブックを聴きながら家の近くをドライブ(バッテリー充電)するのですが、正月は曜日がずれて3日月曜の昼過ぎに出かけました。その時の番組でたまたまかかっていたのがスタン・ゲッツの亡くなる3か月前のライブでした。

・ピアノとのデュオで、いわば「テナーサックス・ソナタ」ですね。その繊細で艶やかな響き、コード進行を解きほぐしていくような細かい音の動きが花びらの舞うように感情のうねりのように響くさまは、クラシックでもポップスでも味わえない心に染みるものです。

・スタン・ゲッツの名は知っていましたが、バンドなのか個人なのかも全く知りませんでした。素晴らしい偶然の出会いでした。

・スタン・ゲッツには、ジャズとボサノバを結び付けた「イパネマの娘」を含む名盤「ゲッツ/ジルベルト」があり、これも聴いてみました。こちらは1964年と先ほどのラストライブの30年近く前のものです。

・ボサノバの緩いリズムと呟くような歌声にテナーサックスの音が絶妙に絡んできますが、ちょっと他流試合的で、ボサノバのコードにサックスが合わせているような印象はありました。

・でも、そうした緊張の他流試合から新しいものが生まれていくのでしょうね。