エリザベートが愛したハンガリー~オーストリア・ハンガリー⑦ | 福岡日記+(プラス)

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転勤族から見た福岡や九州の風景、趣味の音楽の話などを綴ります。

ブダペスト東駅のレイルジェット

 

 

2020年3月のウィーン旅行記の続きを書きます。

 

1日目はウィーン市街地リンクの左半分を巡り、2日目はアウガルテン磁器工房とウィーンの森(ハイリゲンクロイツ修道院とマイヤーリンク)に行って、今回は3日目。ハンガリー、ブダペストへの遠出・第1弾です。

 

前年のウィーン旅行では3日目にザルツブルクに遠出しましたが、今回はブダペスト。

 

なぜプダペストかというと、ウィーンから比較的近く、「オーストリア=ハンガリー帝国」の一部で、后妃エリザベートが愛した場所でもあるからです。

 

ハプスブルク帝国を維持しハンガリーの独立を阻止しようと必死の父・フランツヨーゼフ皇帝。自由を愛しハンガリーで絶大な人気を誇った母・エリザベート后妃。母の気質を受け継ぎハンガリー独立派に近づいた息子・ルドルフ皇太子。…マイヤーリンクの悲劇の背景となる場所でもあります。

 

元共産圏ということもあり、治安に不安はありましたが、調べてみると、ブダペストの観光地を巡るだけならそんなに心配なさそうなので、ツアー等には参加せず個人で行くことにしました。


前年のザルツブルクのように飛行機で行くことも考えましたが、オーストリア国鉄のレイルジェットにも乗ってみたいな、という気持ちもあり、鉄道の旅にしました。

 

事前にネットでレイルヨーロッパに申し込むと、切符が送られてきました。

 

下が、ブダペスト行きの切符や入場券などです。右下がレイルヨーロッパから送られてきたレイルジェットの切符。その左がブダペスト市内1日乗り放題切符。後ろがブダペスト市内交通図。左下がブダ城のケーブルカーの切符です。

 

 

 

 

余談ですが、この旅行の前後にレイルヨーロッパ・ジャパンのサイトが閉鎖されたようで、ツイッターも2020年3月1日に閉鎖されたことを最近知りました。日本語表示で使いやすかったのですが、これからは英語サイトか別のサイトを使うしかなさそうです。海外旅行は当分予定ありませんが…。

 

ウィーンの日本人向けお土産物店・ワルツが閉店したのが2020年4月。それまでのいろいろな問題にコロナが最後の追い討ちをかける形で日本向けビジネスを見直す動きがいろいろ出ていたのですね。今頃気づいたのか?と言われそうですが。

 

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ブダペストへの出発前、コロナ蔓延で国境封鎖にでもなるとウィーンに戻ってこれないな、と一瞬思いましたが、幸いオーストリアの感染者数名、ハンガリーはゼロといった状況なので、行くことにしました。

 

当日朝、地下鉄でウィーン中央駅に向かいます。駅の発車案内に「9:42 Budapest Keleti」とあります。

 

 

 

 

ウィーン中央駅構内。朝なのに人はそんなにいませんでした。

 

 

 

 

大きな発車案内。9番線に向かいます。

 

 

 

 

9番線の横に有料トイレが。列車の中のトイレがどんなものか分からなかったので、ここで行ってきました。

 

 

 

 

ホームは現代的なデザイン。この駅は、旧ウィーン南駅を解体して2014年に開業した、ウィーンの新しい陸の玄関口です。

 

 

 

 

車両編成の案内。ブダペスト行きは上から2番目。機関車に引かれた客車7両編成で、ビジネスクラス0.5両、1等2両、2等4両、食堂車0.5両です。

 

 

 

 

レイルジェットはオーストリア国鉄の高速鉄道で、ウィーンを中心に、東はブダペスト、西はザルツブルク、ミュンヘン、チューリッヒへ。北はプラハ、南はヴェネツィアを結んでいます。

 

ホームに停車するレイルジェット。

 

 

 

 

レイルヨーロッパのチケットには座席「74・76」とだけ書いてあり、何号車か分からなくて迷いましたが、ここだそうです。

 

 

 

 

時間ぎりぎりになりましたが、席につき、安心して出発です。

 

 

 

 

列車はブダペストのある東南東方向へ。

 

出発してすぐに景色は畑か草原のようになっていきます。家らしい家もなく、日本とは感じが違う風景ですね。敢えて言えば北海道かな。

 

 

 

 

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ここで、ハンガリーについて。

 

ハンガリーはオーストリアの東に位置する隣国です。

 

民族はロシアのウラル山脈方面に起源をもつマジャル人で、ハンガリー語では人名が「姓→名」の順になります。日本語と同じですね。

 

例えば、「フランツ・リスト」「ベラ・バルトーク」は欧風の呼び名で、地元では「リスト・フェレンツ」「バルトーク・ベラ」になります。

 

歴史的には、1000年にイシュトヴァーン1世がハンガリー王国を作り東欧の大国となりますが、16世紀にはオスマン帝国の攻撃を受け領地の半分がトルコ領となり、残り半分の王領はハプスブルク家の支配となりました。

 

17世紀末にはトルコの退潮とともにハンガリー全体がハプスブルク家の支配地となり、ハプスブルク帝国の一部となります。

 

19世紀後半には独立の機運が高まり、1867年には「オーストリア=ハンガリー帝国」として帝国内での自治権拡大を認めさせました。その後、第一次大戦の敗戦により二重帝国は1918年に消滅。思わぬ形でオーストリアと分離しました。

 

第一次大戦後、共産主義革命が失敗して「国王のいない王国」となったハンガリーは、失った領土を奪還すべくナチスと協力して第二次大戦に突入しますが、1945年に敗戦。ソ連の影響下で共産主義国となります。

 

1956年の自由化運動はソ連に鎮圧されますが(ハンガリー動乱)、1980年代にソ連のペレストロイカの下で政権が自由主義化し、1989年にオーストリア国境の『鉄のカーテン』を撤廃。これが、ベルリンの壁崩壊、ドイツ再統一、ソ連崩壊を導くことになりました。

 

「汎ヨーロッパ・ピクニック」に端を発した鉄のカーテンの撤廃は、ハンガリーが、あるいはハンガリー・オーストリア国境が世界史の中で果たした重要な役割です。この話はまた帰り道にしたいと思います。

 

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レイルジェットはいつの間にか国境を越えてハンガリーに入りました。途中一度チケットのチェックはありましたが、国境を越えてもパスポート検査もありません。さすがEUですね。

 

ハンガリー北西部の主要都市ジェールに停車。ウィーンとブダペストのほぼ中間。すぐ北はスロヴァキア国境です。

 

 

 

 

ブダペストが近づいてきて、気になることがありました。

 

出発前にレイルヨーロッパでブダペスト行き切符を申込んだら、「Budapest-Kelenfold」行きの切符が送られてきました。

 

しかし、この列車の行き先は「Budapest-Keleti」。駅名の違いは気にもとめませんでしたが、車内で地図を見ると、Keletiの1駅前にKelenfoldがあります。別の駅なんだ…。

 

あわてて調べると、降りるべきはKeletiの方。でも、Keletiまでは切符がない…ドキドキしながら通りかかった車掌さんに聞いたら、全然問題ないとの答えで、ほっと胸をなでおろしました。

 

でも、ブダペスト滞在時間が計画より短くなりました。まあしょうがない。個人旅行ならではのスリルです。

 

そうこうしているうちに、Kelenfold駅に着きました。

 

 

 

 

Kelenfold駅はブダペスト市街の南西にあり、そこから市街地の南側をぐるっと回ってBudapest-Keleti(ブダペスト東)駅に向かいます。

 

窓の外には工場を多く見かけました。共産主義時代の重工業化政策の名残でしょうか。

 

冴えない天候もあって色彩イメージは灰色。ウィーンとはちょっと違った感じです。

 

 

 

 

ウィーンから約2時間半。着きました、ブダペスト東駅。ありがとう、レイルジェット!

 

 

 

 

車止めのある終着駅型の駅ですね。日本で言うと、長崎とか宇和島とか。

 

 

 

 

外に出て駅舎を眺めます。

 

これは立派!駅の中は線路に屋根を架けただけの簡素な感じですが、この正面のつくりは、さすが「ブダペストの陸の玄関」という感じです。

 

 

 

 

建物上部の文字は、「東駅」を意味しているようです。

 

 

 

 

駅前から周りを見渡してみましょう。ちょっと古い街並みって感じですね。

 

 

 

 

工事中のところもあり、街の色合いとしては、やはりくすんだ灰色系のイメージです。

 

天気が良かったら印象も違うのでしょうが…。あと、すごく寒くて、好印象を感じにくい日ではありました。

 

 

 

 

おお、米国資本のバーガーキングがこの古い街並みに…。でも、中欧主要国の首都ですから、マックやバーガーキングがあっても何の不思議もないですね。

 

 

 

 

駅に戻って案内所に行き、帰りの切符もKelenfold発だが大丈夫かを確かめ(大丈夫でした)、冒頭の写真にあった1日乗り放題切符を買って、地下鉄2号線に乗ります。

 

因みに、ブダペストの地下鉄1号線は、ロンドン、イスタンブールに次いで世界で3番目にできた地下鉄で、世界遺産になっています。開通は1896年、ハプスブルク帝国時代です。

 

最初の目的地はエルジェーベト公園。ハンガリー語で「エリザベート」のことです。町の中心にある公園に名前が残るとは、やはり人気があるのでしょう。

 

ここで一つ問題が発生。今回旅行の秘密兵器として持ってきた「イモトのWi-Fi」がハンガリーに入ってから使えません。「使えなかったら国際電話でコールセンターに連絡を」と言われてはいたものの、ただでさえ滞在時間が短くなっていたので、この際Wi-Fiは諦め、るるぶ・まっぷるの地図と勘で作戦遂行あるのみ!です。

 

地下鉄を降りて、多分ここがエルジェーベト公園かな?というところに来ました。しかし、どこにも公園の名がみつかりません。

 

 

 

 

大きな観覧車と「Budapest」の文字。ここがエルジェーベト公園なら、まさにプダペストの真ん真ん中にエリザベートがいてすごいなと思いましたが、帰って調べるとやはりここのようです。

 

ハンガリーでエリザベート人気を支えていたものって何だったんでしょうね?

 

 

 

 

次の目的地はドナウ川にかかる鎖橋と橋の向こう側にあるブダ城。

 

道が分からず少し頼りない足取りで歩いていきます。道は比較的広く、小さな広場がそこここにあります。

 

 

 

 

地図を片手にきょろきょろしながら歩いていると、右手の道の奥に寺院の尖塔が。この時はどこの寺院か全く分からないまま写真だけ撮って先を急ぎました。

 

 

 

 

東京に帰ってから写真を拡大してよく見てみると、聖イシュトヴァーン大聖堂のようです。

 

このあと、ブダ城の上から眺め、その後近くまで行って見上げたハンガリーの精神的支柱たる大寺院が道の奥に小さく見えていたのです。

 

大聖堂の表参道とも言えるズリーニ通りがずっとまっすぐドナウ川の近くまで伸びているのです。

 

聖イシュトヴァーン大聖堂の話はまた改めてしましょう。

 

 

 

 

ドナウ川のほとりにたどり着きました。

 

川のほとりにあるハンガリー科学アカデミーです。重厚感あふれる建物ですね。

 

 

 

 

そしていよいよ着きました、鎖橋。正式にはセーチェーニ鎖橋です。歴史あるブダペストの観光名所ですね。

 

車が渋滞していたのはちょっと予想外でしたが、ドナウ川両岸を結ぶ貴重な橋のひとつですから、観光だけに使う訳にもいかないのでしょう。

 

 

 

 

そして、鎖橋を一歩渡り始めると、見えてきました。ドナウ川です。

 

ウィーンでは、ドナウ川は市街地から少し離れたところを流れているので、旅行中見たことはありません。これが生まれて初めて見る生のドナウ川です。

 

曇っていたので「美しく青きドナウ」とはいきませんでしたが、また一つ新しいものと出会えました。

 

ドナウ川の向こう岸には王宮のあるブダ城が見えます。

 

 

 

 

ドナウ川は、南ドイツのシュヴァルツヴァルトを源流とし、オーストリア、ハンガリー、その他東欧諸国を巡って東に流れ、ルーマニア・ウクライナ国境で黒海に注ぐ大河です。

 

延長2,860キロ。「ロシアの母なる川」ヴォルガ川に続くヨーロッパ第2の長さです。

 

スイスアルプスから北上して北海に注ぐライン川(スイス、オーストリア、ドイツ、フランス、オランダ)と並んで、文学や音楽の素材にこと欠かないドナウ川。ドイツがライン川ならオーストリア・ハンガリーはドナウ川、という感じでしょうか。

 

***

 

鎖橋、王宮、ブダ城などの話は、次回にゆっくりしましょう。聖イシュトヴァーン大聖堂、マーラーがいた国立歌劇場、温かいグヤーシュ、ウィーンの薔薇ヘレンドの話もあります。

 

誇り高き東欧の大国。東方ウラル系の独自の民族性。トルコやオーストリアによる支配。ハプスブルクからは独立したいがエリザベートは好き。エリザベートも多分ルドルフもハンガリーが好き。東西陣営に分かれながら最後に鉄のカーテンを引き裂いたオーストリア・ハンガリー国境…ハンガリーという国をもう少し理解したくなりました。

 

ウィーンに近いところもありながら、ちょっと違ったブダペストの雰囲気も味わい深いものがあります。

 

次々回くらいまで、ブダペストの話題をお伝えする予定です。

 

 

【今日のBGM】

・バルトーク オペラ「青ひげ公の城」

 ショルティ指揮ロンドン・フィル シャシュ DVD

 ケルテス指揮ロンドン交響楽団 ルートヴィヒ CD

 サロネン指揮パリオペラ座 グバノヴァ DVD

・ハンガリー人バルトークが作曲した「世界のオペラハウスで上演される唯一のハンガリー語オペラ」で、歌手2人、1時間強と、オペラとしては小規模です。前から一度聴きたいと思いながら機会がありませんでした。

・あまりいい現役盤がなさそうなので中古を探すと、早逝したハンガリーの指揮者ケルテス(名前はイシュトヴァーンです)の1965年CDがありました。ルートヴィッヒ、ベリーといったデッカおなじみの名歌手とロンドン響の手堅い演奏。大オーケストラによる不協和音の巨大な響きがこの城の不条理な世界を存分に味わわせてくれます。

・オペラだから映像がほしいなと調べると、サティの「人間の声」と同時上演された2015年パリオペラ座のDVDがありました。しかし、「青ひげ」はストーリーに起伏がないので、舞台には向かないなという率直な印象でした。「人間の声」はプレートル盤が好きで舞台を観たいと思っていましたが、これも女性が電話に向かってしゃべるだけでストーリーがなく、一人芝居で聴衆を魅せるのは並大抵のことではないなと感じました。

・そこで見つけたのが1981年のショルティ盤DVDです。ショルティも2人の歌手もハンガリー出身。舞台映像ではなくオペラ映画でCG的な映像効果もあり、これだ!と思いました。

・青ひげ公の新妻が城の7つの部屋の扉を次々に開けていき、最後に禁断の扉を開けて城に取り込まれてしまうこの幻想的な不条理劇は、CGを多用した映像か長編アニメで作ったら見ごたえありそうです。そこに現代のジェンダー的メッセージも入ればさらにいいかなと。

・「人間の声」も、ワーグナーの大げさな音楽劇のアンチテーゼとして作ったサティの意図もあるし、もっと詩的で洒落ていて軽くはかなく寂しいテイストのCGかアニメがいいんじゃないかな。

・最後は勝手な妄想となってしまいました…。