ウィーン紀行はまだまだ続きますが、今回は一回お休みをいただき、ちょっと話題を変えます。
コロナにはずいぶん慣れてきましたが、状況は改善せず、まだまだ本格的に外に出る気にはなれません。
そこで、どうしても家で楽しむ娯楽に目が行きますね。
私はもともと、CDをぼーっと聴くのが好きで、DVDはあまり親しんでいませんでしたが、コロナのせいもあって最近はDVDにお世話になっています。
今回は、最近観たDVDの中から、ミュージカル「ジーザス・クライスト・スーパースター」を中心に少し書いてみたいと思います。
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この作品は劇団四季公演等が前から気になっていましたが、実演は観たことがありません。
今回DVDを買おうと思った最初のきっかけは、作曲家アンドリュー・ロイド=ウェッバーがコロナの深刻化を受けて「The Shows Must Go On」というYouTubeチャンネルを立ち上げ、自作を無料配信したことです。
妻から教えてもらい二人で観ました、
昨年4月、第2回で「ジーザス・クライスト・スーパースター」が配信され、ジーンズをはいたイエスやユダがロックに乗って踊り歌う様子が強く印象に残りました(妻にはロックはイマイチだったようですが)。
それから時は流れ、今年7月、「ジーザス・クライスト・スーパースター in コンサート」が東京で開催されました。ラミン・カリムルーなど有名どころが出演とのこと。「これだ!行きたい!」と思いましたが、オリンピック直前で感染リスクが高そうなので悩んだ末に泣く泣く断念…。
しかしその時、DVDを買って家で観たらいいことに気づき、注文しました。1973年の映画版、1,480円。お手頃価格ですね。
この作品が初めて世に出た直後の映画版で、「若者たちがロケバスで中東に行き芝居する」といった設定になっています。撮影場所は中東の砂漠や洞窟ですが、服装は無国籍風で、戦車や戦闘機も登場する現代仕様です。
新約聖書の福音書は読んだことがありますが、この作品では、十字架にかかるイエスや裏切り者ユダが聖書の世界から飛び出して人間らしく悩み心情を吐露する姿が魅力的でした。
非常に面白かったので、DVDをもう一つ買ってしまいました。2000年に出たリメイク映画版です。これも1,480円。
こちらは舞台が中東の砂漠でなく現代の都会です。聖書の世界からさらに一歩外に出て、この作品のメッセージが現代社会にも通じる普遍的なものであることを強く印象付けています。
このDVDの特典映像には、本作品を「神への冒涜だ」とする反対派による劇場爆破事件など数々の波紋を呼んだことが記されていました。
そうだろうなあと思います。
イエスの弱さや人間らしさを描き、裏切り者ユダをイエスと並列の関係に置いたこの作品は、敬虔な、常識的な、保守的な信者から見たら、すごく過激に映る面があるのだと思います。
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このミュージカルの大きな特色は、イエスを裏切るユダを主役とし、その観点で描かれている点です。
7月の「ジーザス・クライスト・スーパースター in コンサート」も、レミゼのジャン・バルジャンなどを演じた超大物ラミン・カリムルーはイエス役でなくユダ役でした。
私の勝手な解釈ですが、「救世主としてまつり上げられるイエスに危機感を抱いたユダが、手遅れにならないうちにローマ側と妥協するためイエスを売ったが、民衆が手のひらを返して極刑を求め、イエスは磔にされた。そこまで予想していなかったユダは自殺し、民衆はイエスの復活を見て彼が本当の救世主であることに気が付いた」といった感じでしょうか。
私が心に残ったのは、イエスが神に「私はなぜ死ななければならないのか」と問う場面と、ユダが神に「なぜ私にこんな役(裏切り者)をさせたのか」と問う場面です。
ユダの裏切り、民衆の翻意と処刑要求、イエスの磔そして復活…全ては神のプログラムどおりに進んだもの、ということを示しているように思います。
こうした考え方はこのミュージカルが独自に創り出したものというより、原作である聖書の「マタイによる福音書」にも含意されているように思います。
最後の晩餐の後、逮捕される直前、イエスは神に「できればこの杯を私から過ぎ去らせてください」と訴えますが、最後には「私が飲まない限りこの杯が過ぎ去らないなら御心のままに」と飲み干します(26章39-42節)。
イエスが神のプログラムである「自分の死」を受け容れた瞬間でしょうか。
イエスの死が神のプログラムだとすると、ユダの裏切りもそのために必要なプログラムの一部だと考えても不思議はない気がします。そこを掘り下げたのが「ジーザス・クライスト」ではないかな?
もちろん、信者でも専門家でもない私の勝手な受け止めですが。
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ちょっと脱線します。
こういう「「裏切り者から見た物語」を最近味わったな、と思いました。
話としてはずいぶん違いますが、明智光秀を主人公とした昨年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」です。
光秀は主君である織田信長を討った「裏切り者」「悪役」という評価が一般的ですが、「麒麟がくる」はそこに一石を投じていました。
これも私の勝手な解釈ですが、「明智光秀は暴走し始めた信長を抑え、織田→豊臣→徳川に至る天下統一の歴史の流れを作ったピースの一つなのだ」というメッセージと受け取りました。
信長の暗殺も、全て歴史のプログラムどおりに進んだもの、ということだと思います。
英雄は裏切られることによって死後により大きく羽ばたく、という側面もあるのかもしれませんね。
一方で、ユダは自殺し、光秀は落ち武者狩りで無残な最期を遂げます。神や歴史のプログラムを達成するための捨て石、汚れ役となった、とも言えるかもしれません。
なお、シェークスピアの悲劇「ジュリアス・シーザー」の主人公は、独裁色を強める英雄シーザーを裏切って暗殺した腹心のブルータスです。シェークスピアはブルータスのことを「共和国のために善意で行動を起こした最も高貴なローマ人」として描いています。
裏切り者にも理あり、というのは決して新しい見方ではないのですね。
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「ジーザス・クライスト」を観ているうちに、もう一つ思い出した作品があります。
イエスの最後の7日間を描いたクラシック作品、バロック期のバッハの名曲「マタイ受難曲」です。
多分30年ほど前に買った、メンゲルベルク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管のCDを引っ張り出してきました。
1939年録音の歴史的録音だけに、今まではその時代の雰囲気を味わおうとなんとなく聴いていましたが、今回はじめて歌詞を見ながらしっかり聴きました。
すると、驚くことに(当たり前ですが)、「ジーザス・クライスト」と筋が本当にそっくりです。
しっとりしたバロック音楽からギンギンのロックまで、この物語が欧米社会の根底に通じていることが分かります。
一方で、当然のことながら相違もあります。
伝統的な立場に立つ「マタイ受難曲」では、ユダは裏切り者の罪深き人であり、しかも端役です。
この曲は3時間以上かかる大曲で、昔はかなりカットして演奏されていました。メンゲルベルク盤にも多くのカットがありますが(それでもCD3枚)、ユダの自殺の場面はカットされていて、彼がどうなったかは聴いていても分かりません(もちろん、聖書を読んだ人には分かりますが)。
そのかわり、「ジーザス・クライスト」ではさらっと描かれていた「ペトロの否認」が強調されています。
イエスは最後の晩餐の後、ペトロに「あなたは鶏が鳴く前に3度私を知らないと言うだろう」と予言。イエスが逮捕された後、ペトロはイエスの仲間かと尋ねられて知らないと3度否認し、鶏が鳴きます。それを聴いたペトロはイエスの予言を思い出して激しく泣きます。
この場面の後、マタイ受難曲の中でも屈指の名曲「憐れみたまえ、わが神よ」が響きます。後悔と懺悔の念を込めた心に染み入るアルトの歌声と、それを彩る美しいヴァイオリン・ソロ…何度聴いても感動します。
1939年、ナチス侵攻直前のアムステルダムにおけるメンゲルベルク演奏のこのアリアは、演奏中に聴衆のすすり泣きの声が聞こえるとも言われています。
カトリックでは初代教皇と位置付けられるペトロも一度はイエスを裏切り後悔して泣いた…このことの方が、根っからの裏切り者として扱われるユダの死より重要な位置付けなのは分かる気がします。
そこをひっくり返してユダに焦点を当てたのが「ジーザス・クライスト」ということなのかもしれませんね。
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ジーザス・クライストから始まってマタイ受難曲にたどり着き、このマタイ受難曲という大曲をもっと味わいたくなりました。
交響曲のような形式のある音楽ではなく、オペラに近い劇的な音楽で、映像的、ミュージカル的と言ってもいいと思います。
フルトヴェングラー、リヒター、レオンハルトなど、聴いてみたい盤がたくさんあります。礒山雅氏の「マタイ受難曲」という大著もあるようです。このあたりを少し漁ってみたいな。
ジーザス・クライストの方も、「『The Shows Must Go On』で配信され感動した「アリーナ・ツアー」版は2000年版よりさらに現代的に進化しているように見えました。
このあたりを合わせて、またいつかこのブログに書きたいと思います。
また、今回のブログでは、ジーザス・クライストだけでなく、最近観たクラシックDVD…青ひげ公の城(バルトーク)、ヴォツェック(ベルク)、ジークフリート牧歌(ワーグナー)…などについても書こうと思っていたのですが、話がマタイ受難曲の方にそれてしまったので、それらもまた次の機会にしたいと思います。
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皆さんも、コロナの日々はDVDの力を借りて少しでも心穏やかにお過ごしください!
それにしても、最近の豪雨はものすごいですね。DVDどころでない方も数多くいらっしゃると思います。
被害にあわれた方々に心からお見舞い申し上げます。
【今日のBGM】
・松原みき
真夜中のドア/Stay With Me
・ミュージカルともバロック音楽とも関係なくてすみませんが、最近、ネットを見ていてびっくりした記事がありました。
松原みき、リリースから40年経ち「真夜中のドア/stay with me」が世界47ヵ国でTOP10入り!
・1979年発売のこの曲、昨年10月にインドネシアのユーチューバ―がカバーしてヒットし、いまやアジアのクラブで定着しているとのこと。
・この記事を見て、大学生だった40年ほど前の記憶が眼前に広がってきました。といっても、鬱々としながらベッドに寝転がって松原みきのアルバムを大音響で聴いていた、というだけの記憶ですが…。
・その頃、彼女はアルバムを3枚出していて、入れ替わり聴いていました。一番いいのはファーストのポケット・パーク、中でもデビュー曲の「真夜中のドア」は別格でした。今回久しぶりに聴きなおしました。
・イントロの浮遊感と期待感。リズムが入ってからはびしっと締まって、後藤次利のスゴ技ベースと林立夫のソリッドなドラムのコラボ。切なくもどこか乾いたメロディと、松原みき絶頂期の透明で伸びのある歌声。間奏部への絶妙な入りとサックスの艶やかな音色。エンディングにはギターソロがリズミカルに加わりボーカルと絡む…当時のポップスの粋を集めたような曲だと思います。
・ただ、「Stay with me 真夜中のドアを叩き、帰らないでと泣いた」というサビの一番大事な部分の歌詞ですが、ドアは外から叩いたのか中から叩いたのか?彼はどこに帰ろうとしていたのか?…考えると分からなくなります。
・いずれにせよ大好きなこの曲(アルバム)、最初はLPで、その後はCDを2度買って聴き続けています。
・私より2歳年上の松原みきさんは2004年に若くして亡くなりましたが、この曲は今でも生き続け、私をはじめ人々に喜びとエネルギーを与えてくれています。合掌。