こんにちは。Jukool BLASTの塾長、吉田憲司です。
暮れも押し迫り、新年を迎えるばかりとなりました。
みなさん、本年1年も大変お世話になり、本当にありがとうございます。
ここ11日ばかりほど連続で仕事をしたため、ここ数日は〝曜日感覚も完全に麻痺〟という感じでした。
今日、ようやく一息ついて、〝気がつけば大晦日〟という状況なのです。
さて、この状況の中、昨日の「リバティWEB」でこんな情報を見つけました。
いや、毎日のようにメールは来ているのですが、「新作映画の予告編」ができたようです。
「愛国女子ー紅武士道」(あいこくじょし くれないぶしどう)という映画です。
(「三角形」のモチーフが現れていますね、予告編から画面キャプチャしました)
配給は「日活」さんで、製作は「幸福の科学出版」さんとなります。
株式会社ブラストメディアも激しく推す、ということで協賛をしました。
エンドロールには、英名の「 BLASTMEDIA Inc. 」で載ることでしょう。
ご存知の方は少ないのですが、幸福の科学の作る映画は、一般の映画とはまったく作り方が違うらしいのです。
まず、「歌」が「歌詞、メロディ」ともに出来上がり、その「歌」に描かれた世界観に肉付けを行い、映像化するという仕組みです。
この「愛国女子ー紅武士道」も、例に漏れず、この過程で出来上がったようです。
以前、「ファイナル・ジャッジメント」という映画にも協賛したのですが、このときは、現在のように〝危険な隣国たち〟の脅威については、あまり意識する方々は少なかったようです。
渋谷の街中を、〝危険な隣国〟の戦闘機や戦闘ヘリコプターが滑空するというヤバいシーンが満載だったのですが、それを「時代のリアル」として捉えた人は、少ないようでした。
そこへいくと、今回の「愛国女子ー紅武士道」は、違います。
武漢というところで「コロナウィルス」が〝偶発的に発見〟されて、その後数年間、「コロナ禍」が世界中を覆い続けているという時代です。
尖閣諸島には連日、〝漁船〟が終結し、台湾上空はひと月に百何機によって、領空侵犯されるという時代です。
テニス選手の行方や安否さえも分からなくなる国に、オリンピック選手を送り出そうという時代です。
あまりにも、タイムリーです。
タイムリーすぎます!
これは、協賛をしないわけにはいかないでしょう。
ネタバレになってはいけませんが、現代日本、つまり、現在の日本政府が置かれている状況が、「ソドラ共和国」という名の〝危険な隣国〟の脅威を通して、克明に描かれているようです。
(協賛はしたのですが、試写会にお呼びがかかっていないので、実際に観た方の情報なども基にして記しています)
つまり、この映画を応援することで、弱腰の日本政府の後押しをする、そういった働きもあるようです。
「ここ重要!」なのですが、この中では、日本を取り巻く世界情勢だけでなく、この日本、大和という国の存立についても、描かれているのです。
教科の話になりますが、「社会教科書」の何が気に食わないって、常に〝日本文化の元には、大陸文化の影響にある〟という論調で作られているところです。
昔から、気がかりだとは思っていたのですが、さすが、幸福の科学、ここの部分に、ずばりと切り込んでいるのです。
この日本という国、大和の国、そして、その国民(くにたみ)が、「なぜ、これほど礼儀・礼節を重んじ」、実際に「お辞儀」もし、善悪をもとに「正義感」や「武士道」を発展させてきたかが、納得する形で映像化されているようなのです。
左翼史観、あるいは唯物史観の「社会」の授業で、〝歪めてこられてきたこと〟を、一作の映画で正すかたちとなっているのです。
その根拠になっているのが、「天御祖神(あめのみおやがみ)」という神様の存在です。
「古事記」や「日本書紀」よりも古いとされる古代文献「ホツマツタヱ」に現れる「天御祖神(あめのみおやがみ)」は、富士王朝を作ったとされています。
日本民族の「祖(おや)」に当たる創造神で、正義を中心として、日本の武士道の源流にあられる方のようなのです。
これまでは、日本の中心神としては、「国之常立神(くにのとこたちのかみ)」や「天御中主神(あめのみなかぬし)」、あるいは「天照大神(あまてらすおおみかみ)」と言われてきましたが、この「天御祖神(あめのみおやがみ)」こそが、どうやら、日本の中心神であり、創造神ということのようです。
そうそう、みなさんもぜひ、この「天御祖神(あめのみおやがみ)」のお名前は覚えておいてくださいね。
季節柄、受験生の諸君も、お正月の初詣では、「入試での合格」を祈るかと思います。
それぞれの神社にはもちろん、その社を司る「御祭神(ごさいしん)」がおられるので、みなさんの願いはその神様に向かうかと思います。
ただそのときに、この「天御祖神(あめのみおやがみ)」を知っているだけで、願いの届き方が違ってくるのではないか、と塾長などは思うのですよ。
創造神であり、日本の中心神なのですから、すべての神社で発された願いは、最終的に聞き届けられた場合には、この「天御祖神(あめのみおやがみ)」に向かうはずです。
祈りの作法としては、「最強・最勝・最高」と言えるでしょう。
塾長としての老婆心から、〝学校では習うこともなく、教えられないこと〟について、記しておきました。
さあ、最後に一度、次の2本の「予告編」をご覧ください。
2022年2月18日(金)からの全国公開となっています。
●映画『愛国女子―紅武士道』特報【2022年2月18日(金)全国ロードショー!】
塾長は、この上の方の予告編を映画館で観て、応援しようと決めました。
◎【予告編】映画『愛国女子―紅武士道』|2022年2月18日(金)ロードショー!
https://youtu.be/uPL0xnNYr6Y
こんにちは。Jukool BLASTの塾長、吉田憲司です。
ブログを、なかなか一気に仕上げられないことがあります。
これもその一つです。
現時点(2021.12.23)では、これまでに3回ほどに分けて書いているようです。
【第1回目 2021年04月04日 14:59記載分】
この1ヶ月、今までに経験したことのないことが起こりました。
友人、知人がつぎつぎに他界(帰天)し、悲しいひと月でした。
それも、みな長年の知り合いなのです。
・カリン先生が、フルートを始めるきっかけとなった音楽家の方
・お宅にもお邪魔し、ご馳走にもなった国際結婚のアメリカ人男性
・そして、昨日には、亡き母の一番弟子で、日本舞踊(舞)と民謡で活躍されたお師匠さん
みなさん、知り合って20数年をも超える方々ばかりです。
ここでは、十分に語り尽くせないことも多いものです。
四十九日も終わっていませんので、こんな拙文をしたためるのも、本当はいいことではないかもしれません。
もちろん、悲しみもあります。
しかし、それ以上に、生前にもっとお話しをすればよかったという思い、患っておられるときに、しっかりとコンタクトを取っておけばという思いも募ります。
もちろん、ご病気のことは存じ上げていましたので、幸福の科学の月例の「病気平癒祈願」では、快復を祈願させていただいてはおりました。
ですから、霊的には、間接的に光が流れ続けていたと思います。
この中のお二人は、幸福の科学の会員でもあり、「もう一つの世界」のことは重々ご承知でしょうから、今頃は、再確認されているのではないかと推測しています。
以前、景山民夫さんがなくなった時のメッセージで、「学んだ通りでした」というのがありましたので、それと同様のことではないかと思います。
会員でなかった方も、母の四十九日に参加したり、『正心法語』を読むことで、何らかの縁はついているでしょうから、通常よりも威厳のある導きの霊が見えられていることと推測します。
ひと月に、3名の方とお別れするのは、本当に辛いことでしたが、塾長自身も、「もう一つの世界」はあると信じていますので、〝唯物論・無神論〟の方ほどの悲しみではないかと思います。
実際のことを言うなら、「もう一つの世界」どころか、あちらの世界は「数多くの階層に分かれている」ことを知っていますので、「どの世界に還るべきか」を日々考えて、暮らしているというのが実情です。
〝中国発のコロナウィルス禍〟が世界を席巻し、その〝ウィルスを撒いた国家〟が世界征服を目論んでいる今、みなさんの内心も穏やかでない日々を送っておられることではないでしょうか。
SNSの書き込みなどをみても、やはり、世情の不安定さを感じる内容は多いものです。
政治、外交面でも、智慧を使い、打つべき手は早めに打つということが望まれるのは、事実です。
しかし、それでも、『この世は美しいもの』と言い切れる自信がほしいと、今、思っています。
これは『秘密の法』の第4章に説かれた内容ではあるのですが、3次元世界を超えて、ここで言う「もう一つの世界」の高次元世界に至る過程をも含めて、私たちは秩序ある「美しい世界に生きている」と実感したいものです。
ある意味、3次元世界は、「魂の磨きの場」でもあるでしょう。
お釈迦様が説かれたように、「人生は、苦」なのです。
「生まれる苦しみ、老いる苦しみ、病の苦しみ、死の苦しみ」
これら「四苦」を見つめること自体が、仏教的な人生へのアプローチであると観じています。
「四苦」に翻弄されるだけであるなら、それは、全くもって〝この世〟と呼ばれる「3次元世界」を生きただけに過ぎないわけです。
先ほど述べた〝唯物論・無神論〟の方々は、この一点でもって、〝ご自身の人生と世の中の発展〟を考えておられるかと思います。
この〝四苦に翻弄される3次元世界〟を超えるために、「宗教的価値観」は存在します。
ここで記したお三方の、「もう一つの世界」への旅立ちを祈ると共に、来世での新たなスタートを記念して、筆をおきたいと感じました。
みなさん、今まで、本当にありがとうございました!
【第2回目 2021年9月22日 記載分】
と、ここまで書いて、本日、9月22日ですので、そのまま5ヶ月半も〝放置〟していたことに気づきました。
理由は、四十九日も終わらないうちに、こんな拙文を公開するのをためらっていたせいです。
この間に、父親が帰天しました。
そして、その後、飼い猫も帰天しました。
これで、ここ1年7ヶ月(当時)ほどの間に、両親3人、法友3人、母の直弟子1人、猫ちゃん1人との別れがあったことになります。
念のために付け加えておきますが、この全員がコロナが原因ではありません。
こんな短期間に、これほど、親族、友人、知り合い等を見送った経験はありません。
もちろん、悲しさもありましたが、それを超えたものを感得しそうに感じます。
【第3回目 2021年12月22+23日 記載分】
本日、12月22日、これで、3度目の書き直しとなります。
前回、数行上で、「悲しさもありましたが、それを超えたものを感得しそうに感じます」と書いて終わってしまいました。
このあたりについて、もう少し深めてみようと思います。
長年、「幸福の科学」で仏法真理については学んできました。
これは、この世での学問的知性だけではなく、人間が生きる上で避けられない「死」や「あの世」、「神・仏」などの「信仰」についての学びを意味します。
「人生の意味」や「自分と周りの人を幸福にする方法」だけでなく、「この世とあの世」「生まれ変わりの仕組み」「(この世を含む)あの世の次元構造」「究極の神の存在」などについても、さまざまに学んではきたのです。
しかし、この限られた短い時間で、親族、友人・知人、ペットなどに、これだけ立て続けに死が訪れると、やはり、いやが上にも「この世とあの世の関係性」については、考えざるを得なくなるものです。
古来より「人生は夢の如し Life is but a dream」とか、「実在界(あの世)こそが現実で、物質界(この世)は、夢幻」という考え方があります。
多くの現代人にとっては、おそらくはおとぎ話のような感じかもしれませんが、やはり、仏教、キリスト教、その他の宗教が説くように、「あちらの世界」、もう一つの世界こそが、本来の現実で、私たちは、この世に「魂を磨く修行」のために出てきているのだと、少しは体得できたように思うのです。
塾長の、両親には両親なりの「人生の目的と使命」、そして「テーマ」があったことでしょう。
友人や知人たちにとっても、それは、同じです。
この世は、ある意味「清濁が混じり合った世界(物質界)」でもありますから、あちらの世界のように、「思いがすべて」というわけでもありません。
イヤだと感じる人間関係の中にあったとしても、「何かを学び、解決する」ということが求められる世界でもあり、お釈迦さまの説かれた「人生は、苦」というのも、これを前提としているはずです。
そこには、「生まれ変わり」のシステムに秘められた「カルマの解消」の意味も含まれているのは、言うには及びません。
これは、亡くなられた方々だけでなく、今生きている私たちも、このルールの中にあると考えます。
こういうことを書くと、「人生は有限」「人は死ねば終わり」「あの世の世界は存在しない」「天国地獄もない」「神などいない」と、反発されるも多いかもしれません。
大きく括ってしまうなら、「唯物論・無神論」「不可知論」ということになるのでしょう。
まぁ、もちろん、そういう考え方もあるのだろうな、とは思います。
特に、戦後教育を真面目に受けてきた世代の方にとっては、「目に見えて、さわれる世界」だけがすべてなのでしょう。
かつて、塾長も若い頃は、バリバリにそんな感じのエピキュリアン(享楽主義者)でしたので、そうお考えになる理由は、本当によくわかります。
しかし、いずれにしても、この世での人生は一度きりです。
パスカルの「パンセ」の最終章にある、「賭けの精神」ではありませんが、「神やあの世があると思って生きた場合」と「神やあの世がないと思って生きた場合」の人生における総決算では、「神やあの世があると思って生きた場合」の方が「得である」という結論となっているはずです。
あまり、優れたたとえではないかもしれませんが、このあたり、以前のTEDxKobeのオーディションで話した部分です。
どちらの考えで生きるかは、各人、それぞれに任されています。
もう一度、言います。
いずれにしても、「この世での人生」は一度きりです。
どちらの考えで生きるかによって、その人生航路は大きく変わってくるものです。
こういったことを改めて、考えたという次第ですので、ここでしっかりとお伝えしておこうと感じました。
お読みくださり、ありがとうございました。
【ここ重要!】
あっ、そうそう、これはアップロード後の補足なのですが、「自殺」について述べておかないといけません。
「死んだら終わり」と考える方に、「死んで滅びるのは肉体であり、魂は永遠」とお伝えすると、〝じゃあ、死んでも安心…〟とか、短絡的に考える人が出てはいけませんので、老婆心ながら補足しておきます。
「仏法真理」では、「自殺は悪」と教えられています。
その理由は、自分の魂は、自分で創ったものではないからです。
多くの宗教でも言われるように、魂は神さまによって創られています。
私たちが、この3次元世界で、「肉体」に宿り、さまざまなことを経験するのも、この地上で、その与えられた「魂に磨きをかける」ためだからです。
この地上では、楽しいことばかりではありません。
本当に、つらいことや苦しいことも多いかもしれません。
最近は、よく引用されますが、「神は、あなたに背負いきれない荷物は背負わせない」ということです。
幸福の科学では、「人生は一冊の問題集である」と説かれています。
この自分だけが、今回の人生で解かなければならないこと(人生の課題)が、記された「問題集」が、人生において現れているわけです。
肉体は、いつかは滅びます。
しかし、それまでに、「経験したことから得た学びや知恵」は、魂の光、糧となって、記録されて引き継がれていくのです。(想念帯というところに)
繰り返しになりますが、魂的、霊的に見ても、「自殺は、悪」なのです。
どなたかのご参考になるかもしれないと思い、この拙文を、補足として付け加えておこうと思いました。
両親の帰天式、納骨式の日に見た、象徴的な写真となります。

