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「BLAST塾長日誌」

BLAST塾長が、日々、気づいたこと、やったこと、勉強に役立つノウハウなどを、さまざまに残していきます。

こんにちは。Jukool BLASTの塾長、吉田憲司です。

 

今回は、「BLASTのミステリー」ということで、先月のテスト調べの時間に起こったことを(フィクションを交えず)できる限り正確に書き留めたいと思います。

 

塾生の中では、〝もう終わったこと、そういうこともあったな…〟ということかもしれませんが、教育を扱い、塾生たちをまっすぐに正直に育てようと考える塾長にとっては、これはもう、タイヘンなことなのです。

 

学年や個人を特定できないように、そこは、極めて抽象的に一般化して記載することを、お断りしておきます。

 

つまり、日や曜日や性別もここでは確定しません。

 

 

BLASTでは、定期テスト前などに、中学部全学年に対して「テスト調べ」という時間を設けています。

 

場合によっては、時間割と時間軸を変えたり、勉強する場所もふだんの教室と違うところを使うこともあります。

 

 

BLASTには1階に、授業用の教室とライブラリー、お手洗いなどがあります。

 

そして、2階には、職員室などのスタッフルームの他に、「プレミアム」を取った中3塾生のための自習室があります。

 

 

その事件は、2学期期末テストのための「テスト調べ」のときに起こりました。

 

この日の「テスト調べ」は、特別に設定した「①4:30〜6:30」と 、通常授業内利用の「②7:00〜9:50」で行われました。

 

登場するのは、次の5名となります。

 

 

A ①4:30〜6:30に、翌日テストがあるにもかかわらず、歴史教科書を最初に貸した塾生

B ①4:30〜6:30に、Aより、歴史教科書を借りた塾生、途中予定を変更して、②7:00〜9:50の前には帰宅

C ②7:00〜9:50に、Aに自分の歴史教科書を貸した塾生(Cの教科書は戻ってきている)

D ②7:00〜9:50に、Cに歴史教科書を貸した塾生(Dの教科書も戻ってきている)

E ②7:00〜9:50に、①4:30〜6:30にBが座っていた席に、座った塾生
 

登場人物ACDは、後半のテスト調べ「②7:00〜9:50」のときには、教室を移っています。(Bはその前には帰宅)

 
 
 
次のような状況となります。
 
できるだけ、公正を期すように記載しました。
 
 

希望者の「テスト調べ」の時間「①4:30~6:30」のこと。

 

Aは、(翌日に社会のテストがあるにも関わらず) Bに「歴史の教科書」を貸した。

 

 

このテスト調べが終わる頃、Bは体調が悪くなり、予定していた後半「②7:00〜9:50」のテスト調べを受けずに帰ることとなり、お迎えの電話をかける。

 

 

Bは夕食を買う必要があり、コンビニに行くことになったBに、AとCはお使いを頼む。

 

Bはコンビニに行き、AとCは、商品(肉まん)を受け取る。

 

 

これと前後して、

 

・コンビニに行く前に、Bは、カバンをライブラリー内に置いた状態で、Aに「歴史の教科書」を返す。

 「ありがとう」と言って返すと、Aは「どういたしまして」と言って受け取った、と言う。(Bの本人談)

 

・この返却の事実を、Aは、「全く記憶にない」と言う。(Aの本人談)

 

 

Bはコンビニから帰り、商品(肉まん)を渡し、そのままお迎えの車で帰る。

(AとCは、この時点で、自分の持ってきた夕食を食べている)

 

AとCは、ライブラリーのテーブルで、夕食を食べ続ける。

 

 

後半②7:00〜9:50の「テスト調べ」が始まったので、AとCの2人は、前半①4:30〜6:30とは違う方の教室に移動する。

(後半は、通常授業内でもあり、この学年全員を移動。もといた教室は他学年Eが利用することに)

 

 

Aは、翌日にある社会のテスト調べをしようとして、カバンを見るが、「歴史の教科書」が見当たらない。そこで、Aは、左隣にいたCの歴史教科書を借りることになる。

 

そのCも社会を調べるため、Aの右隣にいたDに歴史の教科書を借りることになる。

 

このあたり、実にややこしい。

 

 

後半のテスト調べが終わり、帰ろうとした頃になり、Aが「Bから歴史教科書を返してもらっていない。(明日テストなのに)」という報告を受ける。

 

Aには、翌日のテストのためにBLASTの歴史の教科書を貸して、その場しのぎの対処となる。

 

 

 

それを聞いて、塾長は一斉メールを送ることになる。

(このメールは十分には読まれていなかったため、その後、翌日以降、再度、再々度送ることになる)

 

前半と後半の途中で、教室を変更したため、念のために、その後の他学年の塾生Eについても、連絡を送る必要があり、メールを送ることとなる。

 

 

翌日以降、メール連絡がつかなかったところには、直接に電話をかけて、確認を取るようにする。

 

誰一人として、歴史の教科書は自分のものであり、他人のは混じっていないという。


 

テスト終了後には、Aは保護者とともに、BLASTを訪れられる。

「机の近辺などに入っていないか」と危惧されたためだ。

 

座っていた机周りなどもいっしょに確認するが、どこかに紛れているということはなかった。

 

その時の話し合いで、Aと保護者の方には、今後の学校での授業にも差し支えるため、自腹で新たに購入をしてもらうことになる。

 

 

その後、認知を進めるため、BLAST玄関前にこういった張り紙もしてはいます。

 

 

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チェック日:2021年  月  日

【チェックポイントは4つ】

 □ 自分の塾のカバンの中をチェック

 □ 本棚をチェック(特に、背表紙が逆に置いてあるものも…)

 □ 学校のカバンの中をチェック

 □ 学校の〝置き勉〟をチェック

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風化させたくないという思いもありますし、原因を突き止めたい思いもあるのです。

 

しかし、進展はありません。

 

 

長年、塾をやってきて、やれ〝靴を履き間違えた〟だの、〝間違って塾の教科書を持って帰ってしまった〟だの、いろいろと経験してきたつもりですが、今回ほど、それぞれの意見も食い違い、まるで〝神隠し〟にあったようにモノがなくなるケースは初めてなのです。

 

 

返した本人(B)は、「しっかりと返した」と言っているにもかかわらず、返された方(A)は、「全く記憶にない」という状況です。

 

他学年でこの話をすると、「一体、Bは『誰に』本を返したのか?」「パラレルワールドにでも行ったのか?」「怖っー」…という反応が…。

 

〝神隠し〟ではなく、〝パラレルワールドの別人〟にでもなく、〝塾内ブラックホール〟でもないとするなら、この「3次元世界」で、何とか解決したいと思い、このようなブログをアップしている次第なのです。

 

そうは思いたくはありませんが、もし、万一、だれかの勘違いや嘘であるなら、そこは、教育者として、しっかりとした然るべき指導をしなければいけません。

 

 

なにより、これは今、「BLASTのミステリー」となりつつあることは、事実なのです。

 

BLASTの教育にとっては、一大事ではあるのですが、なにせ、〝しょぼいネタ〟ではあるので「探偵ナイトスクープ 」に応募するほどかどうかは、悩み中ということで…

 

 

いずれにしても、一刻も早く、この「失われた歴史教科書」が出てくることを願うばかりです。

 

長文にわたり、お読みくださったみなさん、ありがとうございました!

 

 

こんにちは。Jukool BLASTの塾長、吉田憲司です。

 

ついに、「冬のブラスト」概要が決まりましたので、お知らせしておきます。

 

 

 

「冬のブラスト」第1弾といえばやはり、「冬宿2」(冬休みの宿題を終わらせる2日間)でしょう。

 

 

12/23(木)24(金)の2日間に集中して、冬休みの宿題を終わらせることで、余裕を持ってクリスマス、お正月を過ごしてもらいます。

 

もちろん、「毎日が勉強」ですので、たとえ、宿題が早めに終了したとしても、「毎日、読書をする」「興味のあるところを深掘りする」「社会動勢を知っておく」といった「お勉強」の部分は続けなければなりません。

 

そうしないと、おそらくは…〝スマホの奴隷〟〝スマホ廃人〟になるのは目に見えています。

 

こんなことでは、休み明けテストに結果も出せず、「冬宿2」が裏目に出てしまいますので、要注意です。

 

わざわざ、こんなことを書かなければならないほど、この「冬宿2」は効果が上がるのです。

 

外部生の参加も受け付けています。

 

1コマ「¥1100(税込)」で受け付けていますので、これを機会に「BLAST塾生体験」したい人などには、オススメします。

 

詳しい日程をお伝えしておきましょう。

 

 

12/23(木)

①4:00~6:00 
②6:30~8:00
③8:10~9:40
 
12/24(金)
①4:00~6:00 
②6:30~8:00
③8:10~9:40
 

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次には、「冬のブラスト」ですが、残念ながら、この時期の中3は募集をしておりませんので、あしからず。

 

中1と中2に向けては、「冬鍛錬」という名の「冬のブラスト」があります。

 

主に、2学期までに習ったことを復習し、さらに応用問題にチャレンジしようというのが「冬鍛錬」です。

 

時間も通常の55分から、「70分」へと増加します。

 

日程としては、

 

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【中1】

12/27(月)7:00〜9:20

1/6(木)7:00〜9:20

 

【中2】

12/28(火)7:00〜9:20

1/4(火)7:00〜9:20

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となります。

 

英数2教科で「¥5000」となります。(別途、教材費が必要となります)

 

これに参加された方には、年明けの「テスト調べ」にも無料で参加いただけます。

 

まだ、若干、受け付けていますので、お電話などでご連絡くださいませ。(0790-23-1625)

 

 

●くわしくは、このページなどをご覧くださいませ。

 

 

●また、BLASTが一挙にわかる、こんなページも作りました!

 

 

こんにちは。Jukool BLASTの塾長、吉田憲司です。

 

今回は、「ダッフルコート」を取り上げてみようと思います。

 

 

実は、このダッフルコートはかなりの年代物です。

 

ブランドは「VAN」、ヴァンズじゃないですよ、正式には「VAN JACKET」でしょうか。

 

そう、かの石津謙介氏が創設された「VAN」です。

 

 

塾長も、中学時代には塾に通っていました。

 

現在も存在する同業なので、あえてここでは名を出しませんが、家からは少し距離があったのです。

 

当時は、子どもの送迎などというものもあまりなく、自分たちで何とかして通うというケースが多かったようです。

 

15分ほど自転車に乗って、通っていたかと思います。

 

親友に、ケンカの強い男っぷりのいい子がいました。

 

いつも、その子と通っていたものです。

 

塾長と同じで、子どもにしては、なかなかトレンドなどにくわしい男子でした。(このあたり 「京都サンボアの思い出」でも表現しました)

 

中2の頃には、同じようなスタジアムジャンパーを着て通っていましたが、彼は確か「Kent」という「VAN」の兄弟ブランドでしたので、袖はすでに皮仕様だったかと思います。

 

中3になると受験も間近ということで、このスタジアムジャンパーが、コートになるのです。

 

どちらが先に買ったかは記憶にありませんでしたが、彼は確か「Kent」製のネイビーのダッフコートで、塾長がこの「VAN」製でした。

 

「Kent」製は、トグルが水牛骨で、それを革紐が留めていたかと思います。

 

この「VAN」製は見ての通り、木製のトグルをロープ風に留める仕様となっています。

 

今見ると、当時に考えられる形でデザインされたのだろうなという気がしますが、それでも材質は「ウール100%」のメルトン地でできています。

 

伝統的な1枚仕立てで、チンガード(チンストラップ)などもあり、〝このまま北の海で、漁師にでもなれそう〟という気を起こさせてくれます。

 

ダッフルコートの蘊蓄は、中学校3年生の頃から知ってはいました。

 

やれ、前立てがボタンではなく、トグルなのは、海上で風向が変わった時に合わせを変えられるからと、手袋をした手でも脱ぎ着ができるからだとか…、そういったことです。

 

この厚みを持ったウール地を「メルトン」と呼ぶというのも、当時から知っていたことです。

 

子ども時代のルールとして、自分の買いたい服は自分で買う」というのが、吉田家の(兄の)ルールでしたので、この服もお小遣いを貯めて、今はない「山陽百貨店」内の「VANショップ」(あるいは「TOP401」)で購入したと思います。

 

当時のお値段は「¥16800」ぐらいだったのではないでしょうか。

 

物価を考えても、そして、中3の子供にとってもこの値段は「清水の舞台から飛び降りる」、一世一代の買い物だったように思います。

 

70年代半ばの頃の話です。

 

この後は、もちろん大切には使いましたが、塾の行き帰りの防寒具としての役割がメインでしたので、大切に使い倒したという方が正確でしょうか。

 

フードにはそれを締め上げる紐もあり、チンガード(チンストラップ)もありますので、すべてのトグルとボタンを閉じて、自転車で往復していたのは、今となってはいい思い出です。

 

この努力の甲斐もあってか、高校にも無事に合格することができたので、縁起のいいコートということになるでしょうか。

 

高校合格後に、大好きだった女子と近所の公園でデートをしたときにも、まだこのコートを着ていったように思います。

 

「実は、好きでした…」と言うと、「私、好きな人がいるんです…」と返ってきて撃沈したのも、今となっては甘酸っぱい青春の1ページ、ということにしておきましょう。

 

 

 

こんにちは。Jukool BLASTの塾長、吉田憲司です。

 

今日は、BLASTとは全く関係のない内容になるかと思いますが、どなたかに何らかの参考になればと思います。(ここのところずっと「過去からの回想 BLAST from the Past」というシリーズで書いています)

 

タイトルを、そうですね、「京都サンボアの思い出」とでもしておきましょうか。

 

 

今となっては、懐かしい京都にある老舗のバー、京都サンボアの思い出です。

 

塾長が、大学に入学したのは80年代の初頭です。

 

ストレートに進級し、卒業するまでの4年間、京都で過ごしていました。

 

勉強も真面目にこなし、放課後も図書館に入り浸りで、アメリカ文学の研究と翻訳作業に明け暮れました。

 

携帯電話もなく、パソコンなどもなく、ネットもない時代のことです。(オリヴェッティのタイプライターはありましたが…)

 

トレンドと言える情報は、平凡出版(後のマガジンハウス社)から出される「POPEYE」や「BRUTUS」などから得るという、今思うと極めて〝牧歌的な時代〟でした。

 

高校に入学した頃より、いや、それ以前の小学生高学年の頃から、「今、何が流行っているか」ということへの興味が開き始めた塾長でした。

 

姫路という地方都市にあっては、多少、流行には敏感だったのかもしれません。

 

そういうことを話し合う友達もいましたし、またおそらくは、「POPEYE」や「BRUTUS」といった情報誌から知ったのだと思います。

 

主に、ファッションや遊びのトレンド、そういったものが当初の関心でした。

 

その後、大学に入ってからは、徐々にお酒など、「大人の世界」に関することに興味を持ち始めます。

 

世の中には、「バー」と呼ばれるお酒を飲む場所があり、これぞ「大人の世界、大人の男の世界」ということで、憧れを持つ年頃でもありました。

 

京都には老舗の「京都サンボア」という素敵なバーがある、ということを知ります。

 

どういったタイミングで、最初に「京都サンボア」の門をくぐったのかは、今となっては思い出せません。

 

塾長にとって、おそらくは、〝生涯で唯一続いたことのある部活〟=「翻訳研究会」のコンパが河原町などで行われて、先輩たちと解散をした後に、こっそりと、そのドアを開けたのだと思います。

 

初めての体験でもあり、敷居も高かったので、恐る恐る入店したように覚えています。

 

「翻訳研究会」の同級生男子といっしょに行ったのではないでしょうか。

 

「京都サンボア」というのは、1918年創立の由緒正しいバーで、ご近所の京の町衆などの社交場的な場所でもあったのではないかと推測します。

 

この当時は、初老の男性と十分に若い方が、カウンター内におられたのではないかと思います。(現在は、この若い方がマスターとなられているようです)

 

もちろん、完全にオーセンティックなバーですので、カウンターには本当に、バーが設えてあります。

 

ストールに腰をかけると、皮付きのピーナツが突き出されます。

 

飲み物を注文した後には、この皮付きのピーナツをあてにしてお酒を楽しむというスタイルです。

 

ピーナツの皮は、カウンターとその手前のバーの間から、床に落とすというのが流儀でしたので、床にはピーナツの皮が散乱していました。

 

こういうところも、今まで体験したことのない世界でした。

 

最近でこそ、塾長は「ノームコア」さながらに、デニムパンツと白シャツか黒のタートルネックで1年を過ごしていますが、大学生時代はそうではありませんでした。

 

寺町通にあったオーセンティックなブティックなどで、当時のトレンドのプレッピースタイルを、年齢それなりにベーシックに着こなしていたかと思います。

 

学生らしさを表して、チノパンが多かったと思いますが、しっかりとしたボタンダウンシャツに、紺ブレザー やツイード のジャケットを羽織り、冬場などはマウンテンパーカなどを愛用していたのではないでしょうか。

 

当時、珍しかったセルフレームの伊達メガネをかけていたようにも思います。

 

当然、そういったちょっと背伸びをしたスタイルで、「京都サンボア」の門をくぐっていたと思います。

 

正直いって、バーテンダーの方からすると、「背伸びした場違いな大学生」に過ぎなかったとは思いますが、客として、それなりに扱って頂いたのは、ありがたかったと思います。

 

とはいうものの、酒場やバーの右も左も分からない若者です。

 

目に余る時などは、しっかりとたしなめられた記憶もいくつかあります。

 

そういう意味でも、バーというのは、ただ単にお酒を飲んで楽しんで、酔っぱらうという場所ではないわけです。

 

そこは、年上のものに対する礼儀やバーそのものへのリスペクト、そして、同伴者へのエチケットを学ぶ、「学校」であったとも言えるでしょう。

 

ある時、こういうことがありました。

 

「翻訳研究会」の同じグループの女子に、好感を持っていた時期がありました。

 

例のコンパか何かの時などに誘い出して、このバーを訪れたことがあります。

 

カクテルなどを飲み慣れていず、当然、カクテルの名前さえも知らない女性でしたので、若さと可愛らしさを武器にして、「赤くて、ちょっと甘くて、飲みやすいものを、お願いします」などとオーダーを出します。

 

塾長の方は、きっとカッコつけて、「ドライマティーニをお願いします」という感じだったかと思います。

 

事実、塾長は学生時代、ここでの1杯目は「ドライマティーニ」と決めていました。

 

先代、その初老のバーテンダーの作られる、非常にドライなマティーニが目の前で出来上がっていく様子を眺めるのが、好きだったのです。

 

それは、もう鮮やかな手つきでした。ジンやベルモットのボトルを開ける時からして、手つきが違っていました。

 

マティーニは、ジンとベルモットの割合で、さまざまにその味と香りに変化を作ります。

 

ジンに対して、ベルモットは、ほんの数滴落とすだけだったのではないでしょうか。

 

それを氷でしめて、ステアし、最後にレモンピールを微かに散らします。

 

ショートカクテルでもあり、アルコール度数は、それなりに高いカクテルではあります。

 

「どれだけ時間をかけてもいいが、ふつうは、冷たいうちには飲み終わるもの」と教えていただいていたように思います。

 

室温でぬるくなった「ドライマティーニ」は、確かに考えものです。

 

そして、塾長も2杯目に、色のきれいなカクテルを注文したときのことです。

 

コースターの上に出されたカクテルを一口飲んで、〝美味しい…〟と思い、隣に座っているその女子が、その様子を眺めているので、「飲んでみる…」と言った時です。

 

バーテンダーさんが、静かに歩み寄ってきました。

 

「いいですか、女性に飲み物を勧めるときには、まず自分が口をつける前じゃないですか、ね」といった口調で、窘められました。

 

嗚呼、今書いていても、顔から火が出そうです。

 

基本的には、レディファーストを守ってきてはいたのですが、失敬なことをしたと感じました。

 

今となっては、青春時代の甘酸っぱい思い出の一つということができるでしょう。

 

こういったことを含めて、バーでお酒を嗜むときの所作、話題、ふるまいなどを、自然に学ぶことができたのが、ここ「京都サンボア」なのです。

 

塾長にとっては、実に「学外の大学」のような場所であったと言えるかもしれません。

 

 

 

こんにちは。Jukool BLAST塾長、吉田憲司です。

 

こちらも、塾長の過去の思い出を掘り起こす、「BLAST from the Past」となります。

 

今回は、「ヴァンズ VANS」の思い出です。

 

(写真は、2006年から数年履き潰したOld Skool。スケートで使うとどうしても、こうなります)

 

 

「ヴァンズ VANS」との思い出は、やはり高校時代に遡ります。

 

初めて目にしたのは、アメリカの「スケートボーダーマガジン」の広告だったのではないでしょうか。

 

実際の現物を目にするのは、岡山県邑久郡にあった「フリーウェイ・スケートボード パーク」のショップでということになります。

 

このショップには、それまで雑誌でしか見たことのなかった、レクターのパッドや数々のボード、トラック、ウィールなどが、ウッディな壁を背景に並んでいました。

 

塾長の場合、高校2年で初めて、スケートパークデビューを果たしたこと、それに、元来の倹約家ということもあり、「今、ヴァンズ買っても、来年は受験でそれほど滑れないだろうし…」となり、ナイキのテニスシューズなどをスケートボードシューズとして、利用していました。

 

(当時、高校のバスケ部がオニツカタイガーのスウェードのバッシュを使っていましたが、それを見るたびに、「このクツ、使えそうだな…」と思ってはいましたが、ついに買うことはありませんでした)

 

その後、何十年も経って、ナイキが「NIKE SB」ブランドを作ったのを見れば分かるように、当時は、その他のスポーツの靴をスケート用に流用するのは、当たり前のことでした。

 

 

 

しかし、弟は違いました。

 

気前がいいということもあり、赤と青の「ERA エラ」を買って、履いていました。

 

「お兄ちゃん、やっぱりこの靴は、デッキへの吸いつきが違うわ…」とよく言っていたように思います。

 

当時、弟は小6でしたので足のサイズも大きく違い、塾長は履くことはできませんでしたが、ある日、裏の「アメゴム」のソールをじっくり見たことがありました。

 

現在では、「ヴァルカナイズドソール」と言うとは分かっていますが、当時は「アメゴムの底」と言っていました。

 

左右二つのソールを貼り合わせて、手を離すと、互いのゴムの粘着力で張りついたのを覚えています。

 

また、アメリカの某スケーター(名前は失念)が、ヴァンズを壁に思い切り投げつけたら、ソールが壁に張り付いたという伝説もあるようです。

 

それほど、当時のヴァンズのヴァルカナイズドソールは、ねちゃねちゃしていたと記憶しています。

 

とにかく、小6の弟は、父親に連れられて、よくこのパークに通いました。

 

 

最近、街中でも、多くの若者たちが、ヴァンズの「オールドスクール」を履いているのを見かけますが、たいていの場合は、「ちょっとストリート感覚で、値段も手頃なスニーカー」ということでの選択かと思います。

 

オリンピックで、少しずつ、「市民権」を得そうなスケートボードということもあるでしょうが、「オールドスクール」をこれほど目にすると、時代は大きく変わったのだなとも感じます。

 

そんな、ヴァンズ履きの若者たちに言いたいのですが、「あと、もう少し!」です。

 

「公教育にスケートボードを!」「各市町村にスケートパークを!」と唱えるBLAST塾長としては、ヴァンズ履きの一人でも多くの方が、次には、スケートボードを手に入れて、「スケートボードの楽しさ」を体験してくださればと、願うばかりなのです。

 

「ヴァンズ=スケート」という固定観念から出ている意見なのは、重々承知の上なのですが、ヴァンズのヴァルカナイズドソールほど、スケートデッキの上で効力を発揮するものはないので、どうしても、ひとこと伝えたかったというオチとなりました。

 

そういう塾長、塾舎内の上履きも、ヴァンズなのです。

 

1年履いて、すっかりといい感じにヨレてきましたね。