参政党 武田邦彦の証言(5)2023.12.01 | 広島から 中国総領事館 誘致に待ったをかける

広島から 中国総領事館 誘致に待ったをかける

広島に県、市、県議会、市議会、経済団体を挙げ、中国総領事館を誘致する計画があります。
経済にばかり走り、国家安全保障を考えない誘致計画に警鐘を鳴らします。

 

 

ヒバリクラブ 僕の面前で起きた恐怖の出来事(4)令和5年12月1日(24分)

起こし

 

0:55〜

まず最初に2人の方を紹介しましたね。酷い目にあった2人の方。もう少しもっと酷い目にあった人がいるので、まあ、機会を見て、酷い目にあった人はやっぱり、ね、少しは、気分がね、治るようにしてもらいたいと思います。もう一つは、党全体がどんなことになってるのかってことですね。今日からそれですね。3番目はね、日本の国の政治として、この参政党の不祥事がどのような影響を及ぼすかいう、国政レベルのこと、この3段階で計画しております。

 

1:33〜

私も人間ですからね、その所々で、私はこんなことじゃなかったけどっていう自分のこと入ると思いますけどね、私はそれで皆さん、気をつけていただきたいのは、一つは、私が自分の、名誉とかそういうことを考えてんじゃないということと、私は参政党のことを言ってんじゃないんですよ。みんな武田は参政党だとか参政党の内輪揉め、とか全くありません。私と支部の間は大変に良好な関係で、愛知県の支部は私が、衆議院に立ってくれという署名活動をしましてね、今本部に握り潰されていますけどね、そういう関係ですし、それから各支部の方は私の身体の調子が悪い時にね、必ずもう大変に苦労をして重たいベッドをね、控え室に運んでもらいました。そういう支えで私が演説ができたことは十分に知っておりましてね、ただ本部の中の、特に、悪さをしてるのがですね、事務方なんですよ。それで、もちろん今、代表と言っておられる神谷さんは、色々言い方あると思いますけど、いずれにしても、もうしっかり党ができてるのに、自分が事務局長でありながら、代表を、もう自分で変えてしまうと。松田さんだったんですけど、この人降りてくれと降ろさせて、自分が代表になる。ま、こうやってたらね、ちょっと独裁政権にはないわけじゃないんですけど、およそ、まあ、時代が、何百年か違うんじゃないかと、言うことなんですね。

 

3:10〜

今日は極めて重要な、全くこの党の中心中の中心なんで、慎重にお話しをしたいと思いますが、ことは6月23日、今年ですね、そこに起こりました。なぜそこの時に起こったかと言いますとね、去年8月くらいまではですね、ま、とにかく、やっと我々参議院選挙が終わって、まあ、それから地方選挙の準備っていうのももう大車輪でやっておりました。これは候補者を選ぶような、?最上ですね、?最上も大変でしたけど、私たち出先でね、汁?も大変でしたよ。候補者を選ぶ準備をする、ポスターを作る、ビラを配るってもう、大車輪。私なんかもう全国ね、ほとんど休む間もなく、一所懸命行ってですね、まあ、参政党の候補者、地方の候補者は知名度が低かったですからね、なんとか、ま、当選者出そうって頑張りましたね。ま、今では党の本部が威張ってますけども、当時はもう参議院議員選挙終わって、まだ議員が一人。これじゃどうにもならないということで本当に全員一致でやってたんですね。ですから少し本部の運営とか党の運営とか少し手が抜かれましてね、その間だけど、着々となんか全然私なんか見たこともない人が次々と本部に入ってきたんですよ。主には神谷さんの昔に一緒にやった人で我々には全くなんの相談もありませんでした。

 

4:42〜

で、もう一つの問題はですね、一応参政党も独裁じゃありませんから、それまでは5人でやってたんですね。えー、吉野先生、赤尾さん、松田さん、神谷さん、私という5人で5レンジャーと言っとりました。5レンジャーっていうのは、参政党の地方用語なんですけど、5レンジャーとこれからも言うかもしれませんけどね。ほれで運営してきました。しかし、まあ私なんかもう、東京にいる暇もないっていうくらいでしたし、吉野先生も大阪府知事選挙なんかも出ましてね、それぞれ参政党の拡大にものすごく尽力してましたので、まあ、なかなかそういう暇もなかったんですね。ところが、勝手に神谷さんが、なんか本部とかいうものを作ってですね、ほいで運営し始めて、変なことがいっぱい起こってきたんですよ。ほいで私たちも地方選挙で忙しくて支部の応援が疲弊したからね、僕なんか。ですからもう目が回らなかったんです。ところがだいたい4月ぐらいからおかしいおかしいって話が党内で出ましてね、それで、しょうがないから、えー、色々そう?に連絡して、打ち合わせなんかもして、ダメだな、こんなことじゃダメだなって、スケジュール調整をしてですね、5人がやっぱり揃って、同じようにしなきゃいけないってことになったのが6月23日なんですね。

 

6:02〜

しかし、みんな忙しかったもんですから、日程決めんのが大変で結局、6月23日12時、昼食の時間ですよ、ま、そっからやっと2時間取れるってんで、それで5人が集まりましてね、それも、ちゃんとした所が良いということで、参議院議員会館の神谷さんの会議室ですね、しっかりとやったんですね。穏やかに、前向きに、ちゃんと会議をやったんですね。そこで2時間話して、みんなが納得して、穏やかに話をしてですよ、喧嘩なんか全然しないで、大人ですからね、それよーく党員の方も、国民の方もわかっていただきたいんですよ。ちゃんと話をしてですね、ほいで、神谷さんの方から提案がありました。えー、神谷さんの方からですよ、提案ありました。確かに、参議院議員選挙の後ね、きちっとした体制で、えー、議論をしてきたわけじゃないから、継続性がありますからね、組織ですから。ですから5人で5レンジャーで話をしてきたので、5レンジャーの人にまず、ボードに就いていただいて、そのボードって言うのは、組織では必ずあるんですね、例えば、会社だったら取締役会、それから、なんか団体でしたら理事会っていうのがあるんですね。で、その理事会のような合議で決めて、合議でしかも段階的に決めてかなきゃならないわけですね、参議院銀選挙が終わったからこういう体制で行こうや、まあ地方選挙もある程度の人が当選してきたので、で、まあちゃんと国政政党としてやろうや、ほいじゃこういう体制でやろう、ここんとこにはこうしよう、こういう人をこれから立っていこう、もしくは政策に問題があればそれを議論しようという、ま、そういうねことを、しっかり組織で決めてかなきゃいけないですね。ちょっと団体になれない方は、聞いておられる方で、例えば、小さな商店の人だったら親父が決めるとかね、そういうことあるわけですが、まあ、組織はそういかないんですね。で、普通は任期でまあ1年が一番短いんですけど、まあ、2年とかね、えー、辞令を出して2年間この人に理事をやってもらう、まあ、あの、この参政党の場合ボードってですね、ボードをやってもらう。ね、ほいで、期間が終わったら再任するか、再任しないかも議論して、そいで、お辞めいただくんだったら皆さんで、どうもご苦労さんでしたっつって別れるっていう、そういうそのセレモニーみたいなものがきちっとあるわけです。それ、どうしてかって言ったら、社会に対する責任なんですよね。あの、私的な団体とは全然違いますからね。私が今これ言っているのは暴露とか最初言われましたけど全然暴露じゃないんですね。公的な機関というのは必ず、オープンでやっていくということが必要があるんですね。えー、まあ株式会社のね、取締役会とかそういうのはずいぶんいろいろ経験しましたけど、必ず公的、ま、それは国の委員会とか、私が経験したんでは4つほど国の委員会経験しました。そう言ったことでも常に手続き

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(引き続き工事中。しばらくお待ちください。)