青山繁晴は選挙に何を持ち込んだか 前編 | 広島から 中国総領事館 誘致に待ったをかける

広島から 中国総領事館 誘致に待ったをかける

広島に県、市、県議会、市議会、経済団体を挙げ、中国総領事館を誘致する計画があります。
経済にばかり走り、国家安全保障を考えない誘致計画に警鐘を鳴らします。

すこぶる評判の良い人間に良い人間はいない。

これは個人的な経験からだ。良い人間には、これを妬み陰から悪評を流す輩が必ず出、またその情報を確かめることもせず鵜呑みにする者たちが続き、評判が損なわれる。見どころのある人間は、たいてい、良い評判と悪い評判が拮抗するものなのだ。だからこそ、自分の目で、耳で確かめることが大切になる。

養老孟司が面白いことを言っている。学歴社会になって人を見る目が失われた、と。そんなものが威力を持つ以前は、自分の目の前にいる人間がどの程度の人間なのか、眼前でしゃべっているその話を聴き、その様子を見、それを自分の頭で判断し、その評価に従っても、それほど間違うことはなかった、という程度の意味であろう。(「学歴社会の前」と聞いてぼくが思い浮かべたのは、明治維新から前の時代だ。)

ファンにとっては怒り心頭だろうが、青山繁晴はこれまで嫌がらせはあってもたいへん評判が良かったから、文春の記事が出てやっと信頼に足る人らしい「ほど良い」評判になった、そのくらいに思っておけば良い。

それよりも、学歴とか立場とか収入とか、そんな肩書きやレッテルや権力をチラチラ見せられて、その人物の垂れ流す情報を無批判に、あるいはありがたく受け入れてしまうという日本人がこれまでと同じようにこの国に居続ければ、日本は滅ぶしかない、怒りたくなるほど深刻なのはそっちの方だ。


さて、本題はここからだ。多くの人にとって、この度の参院選で最も意外に思えたのは、青山繁晴の出馬ではなかっただろうか。ぼくもその一人である。

おそらくトップ当選を果たすだろうと思われるが、その前に彼が日本の選挙に初めて?持ち込んだものを考えてみよう。

選挙戦が始まり、彼の街宣の動画がかなり出回るようになった。彼にしてみれば相変わらずこれまでしてきた話を場所を変えてしているだけなのだろうが、これまでの候補者とは相当の違いがある。

その一つが先の大戦の具体的な出来事への大量の言及である。それだけでも普通の候補と違うが、実は(ここからが大事なのだが)、彼のしゃべっていることは歴史的な事実ではない。多くの人はこのことに気がついていないだろう。一例として彼の話には大勢の幽霊が出てくるが、聞いている側は幽霊の話を日本の歴史だと思って聴き入っている。彼の話の多くは歴史ではない。では、彼の話していることはいったい何なのか?これについては後述する。

そして彼の大東亜戦争の話は圧倒的に昭和20(1945)年、すなわち終戦の年の出来事が多いのだ。これも際立った特徴の一つである。栗林中将(硫黄島の戦い)しかり、白梅学徒隊(沖縄戦)しかり、特攻隊しかり、原爆しかり。にもかかわらず昭和20年の八月以降の具体的な話が、つまり終戦後、日本人が極めて短い時間に精神構造上の非常に大きな変容を遂げたことについての言及がない。

彼は「たった1回戦争に負けたぐらいでー」というお馴染みのフレーズを使い、日本人が敗戦によって変わってしまったことについては頻繁に述べているのだが、そこには坂口安吾が堕落論の中で示唆していた極めて重要な視点がざっくり抜け落ちている。

つまり青山の言っている日本人の変化というのは(実は現在声のでかい保守言論人の視点とそっくり同じなのだが)、あくまで「青山の言うところの日本人の変化」に限定されている。それは戦後の日本人の変化の一面にすぎない。日本人の重要な変化の全てを述べてはいない。青山繁晴ほどの人が堕落論を読んでいないとか、それについて思い巡らしたことがない、などということは考えられないのでこれは意図的なものである。

では、彼は何をしゃべっているのか?

(後編に続く)