勝手な考察をする場所 -11ページ目

やっぱり完全な無は存在しない

無という存在  参照


無は有の否定です。

無が存在しない=無の否定です。


あっ!


無が存在しない=無の否定の否定=有


この世界が有によって構成されているとしたらこの結論はやっぱり間違いじゃなかったんだ。






と、思っただけです。


何か最近自分の考えていることが「ん?おかしいやん」ってことごとく自分に論破されてしまう。


「感情は普通と対象を比べている」みたいなことを書いてたんですけど


あれ?それ当たり前だな・・・

って思っちゃったわけですよ。

だって何かと比べないと判断なんて出来ないからです。

なんかもう ○| ̄|_ OTL orz  .

ブランク?ブランクなのか?日曜日になればきっと!!!

テーマ探ししてみよう

何か最近妙に忙しく、更新が少なくなってしまって・・・。流石は受験生

楽しみにしてくれてる方   いない?いないの!?( ´・ω・`)ショボーン・・・

 本当にすみません

「謝るくらいなら更新しろや」とか言わないでくれればうれしいです。



というわけでまずはテーマ(考察の対象)を探してみることにしました。

・何故ゲームをするのか?

 ゲーム全般編

 非テレビ(パソコン)ゲーム編

 RPG編

 アクション編

 シュミレーション編

・生きる意味

・種の行方

・ヒトに理性は必要か

・音楽(歌ではない)は何故いいのか

・意思伝達の方法を考える

・感情の仕組み

・欲の果てに何があるのか

・望むことの意味

・苦しみの存在理由

・幸せの存在理由

・生き物の始まりは

・宇宙の始まりは

・宇宙が消えたら

・霊について考える


ざっとこんな感じです。

うむ、いくつか書けそうなものがありますな。


明日神奈川工科大学のオープンキャンパスに行ってくるんでいくつか増えるやも知れません。


まったりやっていくんでまったり待ったりしてください(?

感情は無意識(非意思)

今日こんなことを考えていました。


結局、感情は本能なのではないか?


つまり、感情はある一定の条件を満たしたとき「美味しい」や「美しい」などを出力するシステムというわけです。


「美味しい」はいろいろな味の成分が一定の量感知されたとき出力されます。この量や種類などは人それぞれでしょう。

「美しい」も同じです。一般に黄金比なるものが知られていますし、理想というものがあって、それにより近いものが好まれる(よし美しいと出力される)のだと思います。


およそ全ての感情に上記のような定義が出来るものと思われます。


喜怒哀楽について考えてみます。


「喜び」・・・・・主に自分に利益があったときに出力される。また、その行動によって相手に不利益が出た場合喜び(感謝)は多くなる。そのほか、自分でない人に利益があった場合でも出力される場合もある。

「怒り」・・・・・主に自分に不利益があったときに出力される。

「哀しみ」・・・「怒り」と似ていて、自分に不利益が生じた場合出力される。しかし、あまり悟られないようにするところが「怒り」とは違う。

「楽しみ」・・・「笑い」と密接にかかわっており、楽しければ笑うし、笑えば楽しくなる。「笑うべき場面」に遭遇した場合「楽しい」と出力される。


「喜び」「怒り」「哀しみ」は利益不利益を判断基準にしているけど、「楽しみ」はどうも違うようです。

僕としては「楽しみ」が一番悩み深いです。

結局「笑うべき場面」が何なのかよくわかりません。勿論日頃笑うことなんていくらでもあるんですが。

「楽しい」の定義は、冷静に考えたらわからなくなるけど、冷静に考えないとわからない。

冷静に考えると「何でこんなことが楽しいんだろ?」って思ってしまう。

しょうがないので「楽しい」は保留にします。


以上のことから、感情は一定の条件を満たしたとき、一定の結果を出力するシステムだと思ったわけです。


ここまで来ると理性との差が感じられません。

りんごが2つあったら「りんごが2つある」と出力するのと同じに思えます。


しかし、本当の理性なら「本当にりんごか?本当に2つか?本当にあるのか?」と考えるのではないでしょうか?


理性というか哲学になってますが気にしたら負けです。

理性が本当に現実を求めるならこうなるはずです。

何をもってりんごとするのか? どこからどこまでがりんごなのでしょうか?

何をもって2つとするのか?   どれを1つにするかによって変わりますね。

何をもってあるとするのか?   見えればいいのか、触れればいいのか、それでは駄目なのか?


この判断を感情がしているのではないでしょうか?


対象は「りんご」の定義に当てはまっている。

対象は「2つ」の定義に当てはまっている。

対象は「ある」の定義に当てはまっている。

対象は「りんごが2つある」の定義に当てはまっている。


その定義は本能的なものであったり常識的なものであったりするのではないでしょうか?

そしてそれは無意識なのではないでしょうか?


無意識にりんごと判断し

無意識に2つと判断し

無意識にあると判断する。


しかし、無意識を捉えようとすると意思が作動します。

また、無意識に考えることは出来ないと思います。

仮に無意識に考えられたとしても、意思に伝えることは出来ません。


無意識を意思が捉えることは出来ないのです。

感情を意思が捉えることは出来ないのです




「嬉しい」や「悲しい」は

  「熱いお湯に指を入れたとき、とっさに指を引っ込める」と同じなのではないでしょうか?


無意識の意思性

この場合の「無意識」は「意思とは別の行動制御システム」みたいな物と考えてください。



僕は意思を持っています。

おそらくあなたも持っているでしょう。


考察するとき、計算するとき、文字を打つとき(ブラインドタッチできません)、etc...


何かを考えているときは、何かを意識しています。

意識しているということは、意思が作動しているということです。



ところが、何も考えていないときはどうでしょうか?


例えば、寝ているときは意識がありません。

起きない限り外部からの刺激に意思が反応することはありません。


では、意思以外の誰(何)が身体を支配しているのでしょうか?


意思以外に支配された状態をもう1つ出してみます。


僕は自転車で学校に通っています。

また、1人で登校することが多いです。

何か考え事をしているときは意識があります。


しかし、「気づかぬうちにこんなに進んでた!!」みたいなことがたまにあります。

多分慣れた道ゆえに体が覚えているせいなのでしょう。

しかし、通ったかどうかどうしても思い出せないときがあります。記憶障害ではありません。


その思い出せない空白の時間に僕は無意識に支配されていたのです。


つまり、その間に僕を動かしていたのは無意識という僕とは別の意思です。


何故無意識を意思とするのかというと、無意識が意思らしい振る舞いをするからです。


例えばガムを噛んでいるとします。


そのとき噛み方を意識しているでしょうか?


少なくとも僕はしていません。

何故なら、ガムを噛みながらこの文章を入力しているからです。


基本的にヒトは違うことを同時にやるのは不可能です。


例えば、左手は小指~親指の順で叩き右手は逆に親指~小指の順で叩いてください。

ちょうどピアノの鍵盤を弾く様にです。

普通のスピードなら誰にでも出来るはずです。


そこで、スピードを限界まで上げてみてください。


多分そのうちどちらかにそろってしまうと思います。


しかし、ガムを噛むような単純な動作は1つにはならないというわけです。

つまり、意識せずに出来る動作は無意識に任せているということです。


では、もし全ての行動が無意識にできるようになったらどうでしょうか?


仮に意思と無意識が全くの別物なら何らかの違いが出るはずです。

無意識には感情がないのではないか?と、思いました。

しかし、感情も結局何らかのアルゴリズムにのっとって出力されているものだと考えると、

無意識が感情を表現するのも不可能ではないと思えます。



結局、無意識は意思になりうるのではないでしょうか?


無意識も自我であるとするならば、ロボットに自我を持たせることは出来そうですね。

意思を定義するより、無意識を定義するほうがよっぽど楽ですから。



ここまで書いてあることに気づきました。


本当は逆のことを考えていたようです。


意思は無意識なのではないか?


僕達が意識していると思っていること。

今考えていることも、なにもかも。


僕達の意思は、何らかのアルゴリズムを基準に、

経験などのデータベースを参考にして出力されているのではないだろうか?


仮にそうだとしたら、DNAによる進化とその偶然のすごさに改めて驚かされます。

進学模試の関係で更新できませぬ&こんなこと考えてますみたいな

今日は英語と理科を受けました。

ぶっちゃけ・・・(ノ∀`)アチャー

笑うしかないです'`,、(´∀`*) '`,、


僕が最近主に考えていることは「感情」です。感情について


何故美味しいのか?

何故うれしいのか?

何故不快なのか?

何故美しいのか? 等

また、何故それらが好まれるのか?


間違ってるとかそういうことではありません。

僕も普通に美味しいともうれしいとも美しいとも思いますし、それらを好んでいるのも事実です。


でもなんでなんだろう?


例えば僕は甘いものを美味しいと思います。

ケーキなどのデザート類ですね

しかし、甘ければいいという事ではありませんね。

甘さにも不快なものがあるからです。

それらの基準はヒトによって違うということもあります。


また、ヒトは美しさを好みます。

例えば、著名な建築物はみな美しいです。変なものでもアートということになっているものもありますが


最近整形が話題になりました。

テレビでも整形を取り入れた番組があります。

何故整形するのでしょうか?


「親にもらった顔に傷を付けるのは良くない」とか言うつもりはありません。


周りの自分に対する態度が気に食わないからでしょうか?

周りが普通に接してくれたら整形をあきらめるのでしょうか?


それとも純粋に自分の顔がいやなのでしょうか?

その価値観は正しいのでしょうか?

大金を払う価値はあるのでしょうか?


他人事だからこんなことが言えるのかもしれませんが・・・。


当たり前のように喜び

当たり前のように怒り

当たり前のように楽しみ

当たり前のように哀しむ


なのにそれが何故だかわからない。


誰か僕の「何故」を解決してくれないかなぁ・・・。

せめて【ヒント】がほしい・・・。



単純なものって、何でこうも難しいかな(゜з゜)ブツブツ