自己受容の一例 | 転機は、無自覚に描いた人生脚本を描き直し、人生の成幸者になるための絶好の機会。

転機は、無自覚に描いた人生脚本を描き直し、人生の成幸者になるための絶好の機会。

禅(ご縁・縁起)×キャリア(自分らしい生き方の探求)×心理学(自分を知り他者を知る)⇒自分の起点に沿った豊かな未来を自らが創造。過去の観念や想念から出来上がった人生脚本を描き直し、自らの手で未来を創造し、ありたい姿を手に入れることができる新時代のメソッド。

「人間とは、厄介な存在」

「自分も厄介な人間。よって、良い勝負」




なんか、この言葉にしびれました。




この言葉どこで耳にしたかって?




NHK朝のテレビ小説『梅ちゃん先生』です。

(今、再放送しています)




主人公 下村梅子は、小さい頃から何をやっても失敗ばかり。




出来の良い姉・兄と常に比較され、家族唯一の落ちこぼれと

評されていました。




しかし、大学病院の教授でありドクターの父が、子供を治療

する場面を目の当たりにしてから、医者を目指すことになったのです。




一念発起して勉強に励む梅子。




見事、医療専門学校(医専)に合格するのです。




医専では友人に恵まれ、各々家族の話しになったところ。

梅子の父が大学教授であり、ドクターであることが発覚。




梅子が医専を目指すことを反対していたということを聞いた

友人たち(4名)は、抗議の意味も込めて、梅子の父に会おうと

言い出したのです。



梅子の父から反対した理由を聞き、納得した友人たち。




その後、梅子の父に、医者としての心得を質問してきたのです。




梅子の父が語ったのが、冒頭の言葉だったのです。




「医者を聖職と思ってはいけない」

「人間は厄介な生き物です」

「患者も厄介、自分も厄介な人間。よって、良い勝負です」




帝都大学(東京大学でしょうね)の大学教授と言えば、相当な

人格者のイメージがあります。




その偉大な人が、自分も厄介な人間、と言えることに、私は

しびれたのです。(まあ、テレビドラマではあるんですが・・・・)




自己受容とは、完璧ではない部分も含めて、そのまんまの

自分を受け入れることです。




それを醸し出す言葉が、視聴率の高い、朝の連続テレビ小説

から聞けたことにとても喜びを感じました。




なんか感想文みたいになってしまいましたね。(笑)