紙本屋がどんどん無くなっていく、一方でアナグロなフィルムカメラや装飾品、骨董品の高価買い入れを謳うチラシが割と頻繁に見受けられる。これも高齢化でタンスの中や棚の隅に仕舞われたまま、埃をかぶって使われていないものが多いこともある。主亡き後の存在物であれば世の中に出回ってこそ、ものの再生の意味もあろう。今の若い人は我々の時のように物欲に走ることが無いのかな。最も不景気で物価高で低賃金、非正規雇用と来れば、ひたすら縮こまるだけで、身軽なものしか背負いないよ。
 最近、特殊詐欺事件や凶悪犯罪といったニュースが後を絶たないのも気になる。電話による偽勧誘話は、何処かの組織が新参者を養育しているらしく、ある時若い男の電話で「XXXですが、納期の期限が切れています」と言ったので、「そういう事は書類で送ってください」と言ったら、「ハイ!」緊張した雰囲気が伝わってきた。さまざまに、あの手この手の品を変えて、犯罪者と警察側とのイタチごっこが続いている。ついこの間まで「古着や使っていない装飾品はありませんか?」という電話がかかってきていたけれど、こういう連中は家の中に入れたらいけない。隈なく家捜しされることがある。
 

着流し老境者の独眼的随想集―自己との対話

 日本津々浦々北上しながら咲き誇る満開の桜に出会った。今年もまた花の精の漲る力に思いを込めて、日本人に生まれた幸せを思う。花のみなぎる力はどこから来るのだろうか。平安期から鎌倉期にかけての武人たちは、動乱期を迎えても刹那の彼岸にある絢爛化生の境地を心の糧にして、花と散る誉れを飾った。現代の我々も何分の一かはその遺伝子を受け継いでいるから、旺盛な満開の放つ気韻に心が浮き立ってしまう。既に花は匂いとともに消え去って、見えない花の精は何処かに染みこんだまま、次の地へと移ろいゆく。これもまた無常の世の常である。
 人体の機能も年とともに老化して体のあちこちが軋んでくる。眼はかすみ、耳は難聴の度合いが増して、補聴器のお世話にならなければコミュニケーションもままならない。脚は何とか歩行には差し障りもないが、長い距離には無理がある。そうした老化によって生の限界がある以上、新たな生命の誕生を繰り返しつつ、連綿と継承されていく前提で「葉っぱのフレディ」みたいに、この世から去ることを納得する。人間の一生が桜のような気韻を伴うかは別問題だが、西行法師のように桜に帰化したような思い入れさえ、難行だと思う。ウクライナもパレスチナも人の命が軽く扱われている。指導者自身は砲弾に身を曝すことも、野晒しの寝床に横たわることもない。桜に寄せて肩の荷を軽くしたい思いであったけれど、ますます肩の凝る文になってしまった。
 トランプ政権の矢継ぎ早に繰り出した諸政策で、最もスキャンダラスなモノと言えば国別関税の一方的な課税宣言であろう。米国はそれだけ疲弊していると言うことで、このまま赤字国債を積み上げて世界の面倒をみていく事はしんどい、のれんは何時か第三国に引き継がれてしまうだろうから、なんかそうならない良い知恵はないものか、かつての栄華を取り戻したい一念が今回の窮余の策と言うことになる。どの道結果が同じだとしてもやらない手はない・・・トランプ的なギャンブル思考があったのかも知れない。以上勝手な推論です。ただこのような状況下で石破政権が「お願いに上がる」「経済的貢献を説明して関税率を下げて云々」トランプ大統領に談判するごとき姿勢が通用するかは疑問だ。長い対米依存の果てに、つき離されたにひとしいからと言って、十分に育った息子を揺りかごに戻すことはできまい。ここは自立を試みる場ではないか。台湾問題にしろ、ロシア、中国が極東の不安定状況を虎視眈々と待ち構えているにしても、今の米国には日米安保を遂行するだけの実際的な力はないのではないか。プーチンも習近平もそこを見越していたとすれば、敵対視するほどに危険度は高まる。それどころか親の子殺しだって皆無とは言えない。沖縄、本土に米軍基地があっても北海道にはない。これは何を意味するのか。
 世界の文明が地球を一巡する――エジプト、メソポタミア、中国、インド、古代文明が栄えたところは何故か逆戻りもせず新しい文明地を求めて、地上の繁栄を均衡するかのように巡ってきたのには意味があると推察する。そして20世紀には新大陸の強力な経済発展を元に、世界を牽引する軍産大国が出現した。その間に2度の大戦を経過して、ファイブアイズのアングロサクソン系が優位に政治経済を取り仕切ってきた。と思ったら、21世紀には築き上げた自らの覇権を崩壊させる憂き目に遭っている。このように人智では解せない地球規模の変動は、どうして起きているのか?
 仏教的に見ると、無常が支配している宇宙観から、地球も絶えず変遷する秩序の中に取り込まれているので、造物の人間界にも等しく変化が表れる、と言えようか。科学的素養がなくとも肌で感じる世界観と名打てば、宇宙観も万人に許容された哲学となる。たかだか100年の人命であるにも拘わらず、目まぐるしく地球を取り巻く環境の変化が、厳然として眼前に表れるのを見ていると、人間の業のなせる帰結なのだとつくづく思わせる。だからウクライナの問題もパレスチナの人間浄化ジェノサイドも、人間完成度の低い指導者が秩序を乱している事によって起こっている現象なのだ。
年老いてさざ波の立つ岸辺に我も立つ
否応なしに世界の荒波をうけている当今の有様は、老いた身にも幾ばくかの痛みが走る。本来なら日向ぼっこをして本でも読んでいれば、一日は暮れると思うのも、旧里の姿であって、とてもとても、そんなアナログ生活は通用しそうもない。絵を描くこともモノを作る趣味も置き去りにして、ひたすら 老残の大脳を洗濯する術に、毎日の時の進行を速めている。そんなわけで独りよがりであっても、時には大言壮語に 筆を飛ばしても、モノ書きの片鱗をブログに載せてきた。そして今は様々なEラーニングも提供されて、脳の活性化が相応に現実のものとなって、アンチエージングに寄与している。何れIPSも活用されて人命200年時代が到来するかも・・・新聞記事にもあったけれど、最近は『精神的』な考察が増えているそうで、何やら日本人も内面の構造改革に向かって、大宇宙の叡知を手繰ろうと踏み出したきらいがある