ブログを随分お休みしておりましたが。
この度、宮城県に行っておりました。
わたしたちが取り組んでいる『YELL PROJECT えひめ』の活動の一環として、
被災地を実際に訪れ、この目でしっかりと見、ライブを4本させていただきました。
何回かに分けて、そのレポートをしたいと思います。
お読みいただけたなら幸いです。
この赤い鉄骨は、テレビで、新聞で、何度も目にしていたけれど。
ここが、その場所なんだ。
この建物の屋上を覆うほどの津波が押し寄せた。
波が去ったあとには、たくさんの人が居なくなっていた。
そんな想像を絶することがあった場所。
最初は、恐ろしかった。
どうしよう、と思った。
たくさんの方が亡くなった場所に、足を踏み入れた経験などない。
それも、ほんの2年半前のこと。
ただただ、怖かった。
どんな思いで、手すりや支柱にしがみつき、
どんな苦痛を、恐怖を、味わった事か。
祭壇に手を合わせる。
最初から「どうぞ安らかに」という言葉は、出てこなかった。
「いったい、ここで、何があったの?」
想定しているよりも津波が大きなものだったのか。
実際、屋上に上がればそこまでは波は来ない、
そういう予測もあっただろう。
だから庁舎を捨てずに、活動を続けたのだとも思う。
だけど、自分の命をまず優先し、早めに避難する道もあったはず。
遠くには行けなくても、早めに屋上に避難し、
支柱を探し、しがみつく体勢を整えることで、
少しは流されるリスクを減らせたかもしれない。
知っていたのだ。
一回でも多く。
一秒でも長く。
呼びかけを増やすことで、助かる人が増えるのを、知っていた。
知っていたからこそ、ギリギリまで呼びかけ、出来うることをした。
自分の身を守るよりも、助かる人を増やすことを、選んだ。
津波の大きさは想定外だったため、
命を賭すことまでその時の視野にあったのかは、わからない。
だけど、自分に置き換えてみて。
置き換えてみて、出来ることなのか?
私にはできない。
できないです。
あの場に立ってみて、
亡くなった人の無念。
遺族の方々の無念。
助かった同僚の複雑な思い。
流されるのを見つめていた避難民の思い。
色々な人の思いが一度に入り込んでくるような気がした。
混乱した。
いろんな人の悲しみが、ここには充満してる。
嘘は嫌なので、正直に書きます。
いまだに、ここで亡くなった方にかけるべき言葉が、見つかりません。
命は、誰の為に存在するのか、私が決めることはもちろんのこと、
人間が決めることすら傲慢な気がします。
ただひとつ思うのは、
時に人は、誰かの為に生きられるということ。
その誰かを選択するのは、人それぞれ。
でも多くの人は、わたしと同じように、
自分の大切な人、愛する人を選ぶでしょう。
覚悟の行動だったのか。
不慮の事故になってしまったのか。
それでも、そこにあったのは、
名も知らぬ、しかし同じ土地で暮らす人への、
使命感と愛だった。
でも、助かって欲しかった。
愛する人、家族のために、助かって欲しかった。
帰る前に、座間市の女性とお話しをした。
何度も、ツアーバスで地元の人をここに連れてきて、
ここで何があったのかを伝えているという。
「ここへ連れてきても、何も感じない人を見ると、虚しくなる。
想像力を働かせてほしい。
ここで何が起きて、この人たちの行動が、どれだけ多くの人を救ったのか。」
最後まで避難を呼びかけた女性は、結婚したばっかりだったんです、
彼女だって、生きたかったんです、
そう言って、彼女は涙ぐんだ。
「みんなに想像力を働かせてもらうために、どんなふうに伝えるか。
それがわたしたちの役目、ですね。」
またいつか会いましょう、と言って、彼女と別れた。
震災の爪跡も徐々に消えて行き、
この庁舎や第十八協徳丸もなくなっていく予定だという。
震災を思い起こさせるものは、これからどんどん無くなっていくだろう。
行くこと、知ることは、もちろん大切なことだとは思う。
どんなに震災の情報を詳細に知っていても、
「思いを馳せる」「その立場に立ってみる」という想像力が無ければ、
何かアクションを起こそうという気持ちには繋がらないと思う。
その「想像力」を引き出すのは、これからのわたしたちの役目。
ケースは様々だが、たくさんの人が、突然大切な人を失い、家を失い、
言い知れない喪失感を抱えている。
もしも、あなたの愛する人が、突然、目の前から消えたなら?
もしも、住む家も、仕事も、コミュニティも一瞬にしてなくしてしまったなら?
いますぐ答えを出したり、行動に繋がらなくてもいい。
でも、忘れないで、心の片隅においていてほしい。
同じ日本で、わたしたちの「当たり前」がない人が、
今もたくさんいることを。
わたしは、わたしたちは、
これからもそれを伝え続けていこうと思った。
ごめんなさい、今もまだ、あなたたちにかけるべき言葉を、
見つけられないでいるけれど。
どうぞ安らかに。