8月6日に寄せて。 | アフロ番長☆再び!!

アフロ番長☆再び!!

『アフロ番長』再び降臨!

表の顔は、愛媛県東予地区で活動するゴスペルクワイヤ『GOsponatiON!』の番長、もといディレクター。

普段はツッコミどころ満載のアンポンタンな日々を過ごしております。

blogの内容は、歌に、猫に、徒然・・・つぶやいてます。

今日は8月6日。
そして、奇しくもある出来事に心が揺さぶられ、
いろんなことを考えさせられた日でもありました。


親がいること。
兄弟姉妹がいること。
夫がいて、妻がいること。
子供がいること。

それは、当たり前ではありません。


毎日毎日、あらゆる事故や病気の可能性をくぐり抜けて、
すごい確率で、平穏無事でいる。

それは、ものすごい奇跡です。


毎日毎日、ありがとう、ありがとうと唱えなくていいと思う。
だけど、その奇跡のような幸せの上にあぐらをかいて、
当たり前だと思って、
ぞんざいに扱っていると、
その幸せを、無くしてしまうかも知れません。

無くしたあとに気づいても、遅いのです。


無いものを数え嘆いても、
他人の幸せ(そうに見える姿)を羨んでも、
何も変わりません。


今、家族や、大切な人が生きているなら。
そばにいてくれる人がいるなら。
その人たちを、大切にしてください。


自分を大切にしてくれる人を大切にせずに、
憧れ追い求める人や物事ばかりに心を囚われる。
それって、おかしい。

自分を大切にしてくれる人から、まず大切にしなきゃ。


世間的な評価、賞賛は、
それは誇らしく、大切なものかも知れません。

ですが、私が思うに、
そんな評価や賞賛は、冷淡なもの。
国宝級の働きでもしない限り、
人生の最後まで、寄り添ってはくれないのです。


家族は、代わりがいません。
親も、兄弟も、夫も妻も、
特に子供は、
あなたしかいない。
あなただけしかいないのです。


人生の決断をしたとき、
美味しい部分だけを選んで受け取ることはできません。
全部受け取らなきゃいけない。
覚悟がなければ、受け取れるものではないと思います。


私と母は、お世辞にも仲のいい親子ではありませんでした。
でも、亡くなってから分かるのです。
母だけは、
たとえわたしが犯罪者になろうとも、
どんな姿に落ちぶれようと、
たとえ世界中を敵に回しても、
最後まで味方だったろうと。


生前にもっとああしておきたかった、こうしておけばよかった、
後悔ばかりが残ります。
どんなに手を尽くしても、後悔は必ずするもの、と言いますが、
でも、今、家族がいる人は、きちんと抱きしめてあげて欲しい。


家族がいることは、当たり前じゃないんです。
すごく尊くて、奇跡のような存在。
そして、お互いに、代わりが居ない存在。


「あること」から生まれる不満は、贅沢です。
「ないこと」を嘆けば、地獄です。


あるとかないとか、そんな事を考えらる余裕がないほど、
困窮している人もいる。
幼くして天涯孤独になった子どもの、なんと多いことか。


そこに向かって、なにかをしてください、とか
なにかをしなければいけない、と言っているのではないのです。


自分の幸せをしっかりと自覚し、
大切なものは何かを知るだけでいい。
それだけでいいんです。


まずは、自分が、大切な人が、
生きていることの奇跡に感謝してほしい。
それだけです。


わたしも、無いものに目がいくと、
とてつもなく不安で悲しいと思うこともある。
でも、思っているような形じゃなくても、
別の形できちんと幸せは手の中にあるんだと気づいてからは、
その気持ちがわたしの中に、長く滞在することはなくなりました。


生きていて、元気で、普通の生活が出来て、
自分の好きな仕事が出来て。

これって、すごく贅沢で幸せなことなんです。


でも、時々思います。
嬉しいことも悲しいことも、
いつもそばにいて、分かち合える人がいたら、
どんなに心強く、うれしいことか。


だから、
大切な人を、
大切にしてくれる人を、
大切にしてください。
明日はわからない。
大切な人がいて、抱きしめられるなら、今。
今だけが確実に存在するのです。


8月6日に寄せて。