今週は「精神的動的平衡」を意識することが多かった。自分にとって「ストレス」と感じることがあると「じゃない方」を求める。私は「理屈で我慢」するタイプではない。社会的制裁があるものやある程度我慢ができるモノはもちろん我慢する。とは言え、「じゃない方」を求めるために無意識も含めて「そっちへ」向かう。個人的にはこれを「ストレス解消」と言うのではないかと思うし、このストレス解消を理屈や根性で抑えなければいけない状況が続くと病気や反社会的行動に転移することで結果的に「じゃない方」にたどり着こうとしてるように思う。
私の場合、不安を一時的に抑える手段は、手指の甘皮を剥く自傷行為と下痢。大体はこれで収まっている。それが長く続くと蕁麻疹になったことがある。これは無意識に疾病利得を獲得しようとしていたのだろう。今よりも同調圧力を意識せざるを得ない頃はサプリメントにも頼った。自己肯定感が低いので自分で解決する根性がないことは自覚していた。
最近は、同調圧力を意識する機会が幸いなことに少なくなった。年齢を重ねて「そうなれた」のは幸いだ。それでも老いの不安は増える。ただ、ストレスを自覚できる機会が増えたようにも思える。
そうなるとストレス「じゃない方」の行動をしても「これは今の自分には必要だから」と肯定できる。同調圧力も気にならない。
「生物は動的平衡を保とうとする」とエライ学者はんが言ってはった。
「じゃない方」を求めるのは私がAIではないからなんやろか。