まもなく3年を迎える。もちろん平均的な生き方をしている。生物学的にも社会的にも。3年前に「前半で抱えた宿題からは逃げない」と決めた。自己肯定感がどうやら低いことで防衛反応が優先されていた。思春期に「拠りどころ」がなかったことで長い間、一人で抱えることを前提に生物学的にハンディがあるこ、とも自覚できず、ただ劣等感と戦っていた。ある時は解離し、ある時は投影し、ある時は抑うつとなっていた。一つの節目を迎えた3年前。「いままで逃げてきたことにできる範囲で向き合う」と決めた。もちろん順調ではない。最初は再会。時間の経過でそれぞれが抱えている思いについ、防衛反応が出ていた。私が経験できていない世界に合わせなくてはいけないと思い込んでいたことに。「そんなの無理だ。お互いに。重ねられるところだけでいいや。」という答えをだした。次は依存心の強い他者の取り扱い。迎合することも試してみたが辞めた。迎合するほうが楽だけど、宿題からな逃げない観点では「他者の考えを尊重するけど、同調はしないくていいや。必要な距離を置く責務を負うことにする」回答をだした。その次は介護。確かに突然やってきた。最初はもちろん戸惑う、先が見えない不安もあった。経済的な面でも、体力・精神的な面でも。これは「相手に何も求めない、手出ししないで見守る。」が今のところのモチベーション。そして毎日付き合う自分の身体の変化。「生き物だからこうなる。」で収められている。「節目」を活用できたのはラッキーだった。ドラマのようにCM中に課題が解決されることはない。こうしたアウトプットに至るまでに3年かかった。でも、つま先立ちして「ドラマを演じる」ことは続かない。ドラマを演じたところで、自分が思っているより周りは私に興味ない。今は違う宿題がある。大枠では「平均」に属しているが、これまでを振り返ると多少の個性は自覚している。その個性を生かしてゆくことで宿題に向き合うことをもう少し試してみようと思う。