<今日のあらすじ>

五代十国時代ののち、960年に宋ができます。周辺国も大きくなり、だんだんと無視できない存在になってきます。そんな中、金が遼を滅ぼします。

 

 

 

 

 

ここから、また500年間くらいの歴史を各地書いていきます。

西暦でいうと大体1000年〜1500年くらいの、各地の出来事のはじまりー。

 

 

 

さて、東アジア、少し復習しますと、あれだけ栄えた唐は、玄宗と楊貴妃の一件で起きた755年の「安史の乱」から徐々に力を弱め、907年に滅亡します。

 

 

 

 

て言ったって、よく150年持ったよね。安史の乱は確かにダメージがあったのかもしれないけど、唐が滅びる直接の原因ではなかったのかもしれません。

 

 

 

ちょっと、脱線しますがね(でたでた、と呟いている誰かの顔が浮かぶ)、、、

 

いつも、歴史を書きながら、原因と結果にとらわれている自分に氣づきます。

今回の上のことも、

 

『玄宗が楊貴妃に夢中になる→唐が滅びる』

みたいにね。

 

ただ、本当に滅びることが悪いことなのかどうか、これはまた別の話だと思っています。玄宗が楊貴妃に夢中になっていなかったら、唐は滅びなかったのか?それはわからないし、そもそも滅びたからこそ今中華人民共和国という国になっているわけですよね。それがよかったのかどうかなんて誰にもわからない。

 

 

ね、リーダー、あなたに聞いてみたいのは。

何が良くて、何が悪いと、一体どんな基準で決めているのですか?ということ。

 

 

 

ハイ、本筋に戻りますー

 

 

 

 

 

その後五代十国時代に入り、960年、新しい国、宋(そう)が生まれます。武力よりも学が尊重される国でした。

 

以前から行われていた科挙に新しい試験が加わり、官僚ありきの、中央集権。。。

 

今に置き換えると、

社内登用試験がさらに厳しくなり、管理職ありきの、本社主義。

 

 

 

 

ゲロー

 

 

ゲロー

 

 

ゲロー

 

 

 

 

と、マァこんな感じで、当時の人も思っていたかもしれません。

 

 

 

で、今日語りたいのはこの下の地図をご覧いただきたいと思います。

 

 

 

 

上のところにある、遼という国。

前に渤海の話をしましたが右差し中国の中世の歴史

 

 

その渤海を滅ぼし、916年、唐滅亡から9年後に現れ、めきめきと国を大きくしていきます。

 

 

この、北方との関係が、東アジアの中世の次の歴史では非常に重要になります。ヨーロッパと西アジアが分けて考えられなくなってきたように、ここでも、分けて考えられないどころか、なしに語れないくらいまで勢力を伸ばします。

 

 

 

地図にある「西夏」は、西アジアとの交易ルートをしっかりと抑えていました。こういう、東西の通り道を持っている国の人は、交易品や情報もたくさん入ってくるし、にぎわいますね。国益として考えてもすごくいい立地だし、そういう意味で強いよね、武力とかじゃなくて。

 

 

 

その後、遼の中の右のほう「女真」と書いてありますが、この東北部が1115年に独立して「金」という国を作ります。

 

 

 

 

 

 

 

金(黄)は強くて、建国から10年で遼(緑)をあっさりと滅ぼします。

 

そうなると次に目をつけるところはそう、そうです、宋(赤)なんです。

 

 

 

 

 

わお、北東は鬼門だもんね、ここでも、また当てはまるね☆

 

 

 

 

 

 

続く。

 

 

アレッていうかうち、玄関が鬼門ですケド。

今氣づいた。。。( ゚∀゚; )タラー

 

 

ど、どうしたらいいんだ・・・