伊藤英明バッシングの「海猿」騒動。この原作者って相当にイヤな奴じゃない? | con-satoのブログ

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 「セクシー田中さん」から端を発した原作者問題。多くの作者、入り乱れての論戦中。以前、この問題について考えたのは、やはり、この問題の本質は原作者と接している出版社に責任があるということ。

 作家なんて、クセのある人が多いのだから、その人がどんな人かは、出版社が把握しているはず。映像化する権利に与えるか、与えないかも出版社の力が強い。


 その問題が「海猿」の作者と映像化された時の主演俳優に飛び火している。きっかけは原作者が「クソみたいな映画だった」と映像作品にクレームをつけたこと。それに「撮影現場に行ったが、主演俳優は「原作者に会わないといけないの?」と聞こえるような声でいう最低の奴だった」と追加コメント。

 このコメントに主演俳優と名指しされた(だったら固有名詞で書けばいいものを)伊藤英明は「(映像化)作品を誇りに思う」とコメント。さらに原作者からもらったイラストと激励のコメントを公開した。

 それに、また原作者が噛み付く。伊藤は2012年、原作者が撮影現場訪問の際にもらったと書いているが、サインには2005年と記されている。この原作者は「タイムマシーンでもあったの?」と噛みついているのだ。(第1作は2004年)

 問題は原作者が書いたものか、そうではないか、だと思う。この原作者はそれには触れずに時間が違うと伊藤を非難。

 俳優として伊藤英明のことは評価していない。「海猿」のドラマは見ていないが、映画は、すべて見ている。映画としては1作目は良くできた娯楽映画だった。確か呉で合宿のような撮影だったと聞いている。シリーズ化されてパターン化され、質も下がったと思った。

 当時も原作者とは揉めているという話は伝わっていた。それゆえに更なる続編は出来なかったと。 

 世間では原作者に対して「作品を誇りに思う」とアンサーした伊藤英明への非難の声が多数のようだ。

 しかし「クソみたいな映画」という表現は監督をはじめ映像の製作に関わった関係者に対して礼や節度を欠いた発言だと思う。「気に入らなかった」「不満だった」程度で収めるべきなのではないか。

 自分たちなりにベストをと思って作ったであろう映像化の関係者を代表して伊藤英明が「誇りに思う」というのは当然だと思う。映像を作る人たちだって、真剣に作品作りをしていると思う。出来上がった作品の出来とは別。それを「クソ」なんていう表現をしてはいけないと思う。