「松本」「笑いのカイブツ」に共通する「天才」という言葉の裏にある落とし穴 | con-satoのブログ

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 収まることのない松本人志問題。個人的には、この10年、まったく興味がなかったので、この人の番組を見ないようになっていた。見ないキッカケになったのは、この人が肉体改造を始めたころ。瀬戸内寂聴は「あの人、昔は良かったのに、あんな体になって、かえってみすぼらしい」と言っていた。まさに、この意見に1票!

 なんで世間は、あんなに松本人志を持ち上げるのか理解できなかった。吉本の中にはダウンタウン以前、以後みたいな分断な世界があるように見える。

 大崎元社長以降の吉本。大崎氏はダウンタウンと共に歩んで来た。6000人の所属タレントがいるという吉本の基礎が、ダウンタウンー大崎のラインで出来た。

 ダウンタウンを引き連れて東京に来た時は赤坂のビルの1室でスタートしたのが、神保町の一棟のビルになり、今はゴールデン街の隣の元小学校が事務所というマンモスぶり。

 ダウンタウン以前の三枝(桂文枝)や明石家さんまなどの大物も、以後の世界とは別物。

 以後の人は、ひたすらダウンタウンを革命児と崇める。この時代からお笑い界は師弟制度から養成所システムへ変っている。

 師匠を持たない芸人にとって、ダウンタウンは師匠も同然になる。現社長の岡本氏などはダウンタウンの元付き人。彼らの言いなりだろう。

 そこで松本が天皇のようになってしまったのは、わかりやすい構図。本物の天皇は慎ましいお方だけど、吉本の天皇は下品な人だったということ。

 お笑いが特別視された影響を感じたのは映画「笑いのカイブツ」。主人公は構成作家。これが実に天才気取り。自分で「笑いのカイブツ」だと言えるのだから、どんなものが知れる。

 映画を見るとタダの変人だった。このモデルはオードリー付きの人だったらしい。その程度で自分を「天才」だと思ってしまうのはイタイ。そんなにお笑いって偉いのか?


 「田中さん」の作家さんも同様なタイプだったのではないか。この人は、さらに繊細なひとだったのだろう。許せないという思いが強くなってしまったのは残念。誰かキチンと寄り添ってくれる人がいたらと思う。

 人はそんなに強くは生きられない。大切なのは親身になってくれる他人がそばにいること。それが友人でもパートナーでもいい。表面だけでなく、心から許せる他人。

 時に厳しい意見もいう、その客観的な愛が大切だと思う。誰だって道を間違うことなんてあるから。