ドラマ化になった「セクシー田中さん」の原作者の女性が自死したことで、ドラマを制作した日本テレビへの非難の声が上がっている。ドラマも見てないし、コミックも読んでいない。それでもドラマはネットでも大きく話題になって、主演女優への絶賛の声にあふれていたと思う。大成功だったと言っていい。
しかし、原作者がドラマが終わったあと、制作過程に不満点があったと表明したことでこじれ出した。一般的にコミックでも、小説でも、映像化される時点で、原作とは別ものと考えるのが、常識ではないだろうか。それが嫌なら、映像化の許諾はしない方がいい。
今回の原作者がどれほどのキャリアかは知らない。もし、そのことを理解していないなら、原作者に一番近い編集者が、キチンと説明するべき。どうも、そのフォローが足りなかったように見える。担当編集者と作家なら二人三脚の立場。作家の性格、個性なども把握しているだろう。
一方、ドラマ制作側が知っているのは、その作家が発表した作品だけ。原作権の許諾をもらえば、あとは、こちら側の仕事と考えるのは、ごく普通だと思う。
先日観た田中絹代版の「伊豆の踊子」。原作はノーベル文学賞作家の大文豪、川端康成。これが大胆な脚色だった。踊子の兄にまつわるお金をめぐるドロドロしたやり取りが挿入され、原作を活かした部分は1/3程度。
しかし、川端康成は文句を言うどころか、踊子を演じた田中絹代が可憐で良かったと絶賛している。この昭和を代表する名作。都合5回映画化。最後の山口百恵版の時は没後だったけど、それまでの映画化に不満を表明したことはない。
原作話ではないけど、崔洋一監督、松山ケンイチ主演で映画化された「カムイ外伝」途中で主演女優交代などトラブルが続いた作品。脚本を書いたのは宮藤官九郎。しかし、映画の製作が進むウチに崔洋一がどんどん書き換えた。完成した作品はクドカンの書いたものではなくなっていた。
クドカンが脚本のクレジットを外してくれと依頼したけど、クドカンにネームバリューあり、と「共同脚本」というかたちで収まったという話もある。
映像化するにあたっては、たくさんの人が関わる。決して原作者の思うようにはならないのが、常識。村上春樹がなかなか映像化にウンと言わないのは、そう認識しているからだろう。
宮本輝の「泥の河」のように映画化大成功(その年のキネ旬1位)で原作の価値を引き上げることもある。ある意味、映像化は博打なのだ。