「CITY ROAD」の日々⑥続・みのわあつお、三留まゆみさん。さらに「宝島」町山さん。 | con-satoのブログ

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 映画評論家、みのわあつおさん、三留まゆみさん。なぜか売れっ子の若手評論家だったお二人との交友が深まった。二人とも「CITY ROAD」のライターでもあり、媒体として「CITY ROAD」に愛着を持っていただいていたことが大きな要因だったと思う。それでも自分は担当編集者ではない。それなのに編集者より深い付き合いになったのは縁があったのだろう。

 その90年3月のハワイ旅。当時、みのわさんも、三留さんも売れっ子。雑誌に勢いもあった時代。連載を何本も抱えていた。几帳面なみのわさんは旅行に行く前に、すべて入稿済みという手配の良さ。井上ひさし並みに遅筆!の三留さんは原稿を抱えて飛行機に乗った。何せ成田に着いたのがフライトの1時間前ジャスト。今なら完全にアウト。当時は1時間前はギリ、セーフだった。ギリギリでの成田到着になった理由は、もちろん原稿。スカイライナーの中でも書いていたそうだ。

 それでも、締め切りには間に合わない。とうとうハワイのホテルに電話がかかった。ハワイ時間の早朝。電話の相手は「宝島」の町山さん。今や人気コラムニストになった町山智浩さん。「三留さん、出して下さい」と冷静な声。三留さんを起こして電話をつないだ。結局。原稿はハワイのホテルからFAXで送った。(当時はネット環境などではない)


 原稿の入稿は遅かったけど、みんなに愛された三留さん。後日「宝島」には「この人たちは原稿をおっぽり投げてハワイに行った!」と書かれてしまった。