「止められるか、俺たちを」で思い出した秘話③内田裕也を叱れる監督 | con-satoのブログ

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 1992年に公開された宮沢りえ主演作「エロティックな関係」。当時、宮沢りえは人気絶頂。この映画の公開時には貴乃花と婚約を発表して世間をアッと言わせる。共演は内田裕也、北野武。

 この映画、内田裕也のワンマン映画として企画された。何せ、脚本も内田裕也なのだ。製作・配給を担当したのは松竹。宮沢りえ、北野武のメンツが揃うなら、ペイできると踏んだのだろう。しかし、パリに行ってから内田裕也の暴走が止まらない。豪遊三昧。このままでは映画の完成どころか、会社が倒産しかねないというほど。

 暴走した内田裕也を抑えられるのは若松孝二だけと、急遽、若松監督はパリに飛んだ。さすがの暴れん坊も監督には黙って従い、映画は完成した。りえ婚約というタイミングで公開されたが、ヒットにはならなかった。

 若松監督は、それ以外にも暴走タレントの調教で現場に呼ばれたことがあった。それは93年に公開された「シンガポール・スリング」。この映画で暴走したのは徳永英明。当時、徳永は文化放送系列のアポロンという弱小レコード会社の所属。その会社で一番の売れ筋だったということでワガママ放題。とうとう映画を企画した。それがオーストラリアのアボリジニをテーマにした映画。しかし、素人の徳永に映画など創れるワケはない。現場がグチャグチャになったところで、若松監督が呼ばれ、オーストラリアに飛んだ。

 後年、若松作品には山本太郎、高岡蒼甫など、暴走・問題俳優が出演しているが、皆、若松監督に手なずけられている。